6. 不機嫌なクリスタと不可解なテス その②
カフェに入った3人はカウンターでオーダー品を受け取ると、隣席と距離の近い店内席を避け、木々の間に点在する野外席へと移動した。
街中のカフェと違い、ここは森の地形を利用したオープンカフェなので、カウンターで飲み物を受け取ると、あとは客が自由に席を選ぶことができる。大抵の客は、森林浴も兼ねて木立の中に点在する野外席に足を向ける。それは、この3人も例外ではない。
それとなく集まる好奇の視線を振り切ってテラスを通り抜けると、木々の間を抜けて射す日差しはやわらかだった。秋風が心地良く感じられる日だったので、予想通り屋外の席は客で埋まっている。
どうしても席を確保したい3人は、空席を探しあたりを眺めまわしていた。折よく銀杏の木の下のテーブル席の客が腰を上げたので、迷わずその席に歩を進めていたのだった。
丸型のテーブルに、椅子が4脚。最初に椅子を引いたリックの隣にさりげなくメリルが入り、3人は席に着く。
険悪ムードのふたりがこれ以上違わないようにとメリルが気を利かせたつもりなのだが、テーブルを挟んでクリスタの目の前にあるのは不平を隠し切れないリックの顔だ。
おまけにメリルをテスに置き換えると、なんのことは無い2週間前の再現だと云うことに3人が気付いたのは、椅子に腰を下ろしてからだった。
しかも、このテーブル席だったような気がする。
クリスタの頭の片隅で、嫌な予感が踊りだした。足並み揃えてラインダンスをしそうな胸騒ぎを、慌てて蹴散らす。
気分を仕切りなおそうとコーヒーに手を伸ばすと、なぜか3人とも同じような表情で、同じように飲み物を口に運んでいる。
まさか同じことを考えているとは思いたくなかったが、確かめるのも億劫だ。鼻息で誤魔化した。
なんとなく気まずい間をコーヒーで飲み下すと、綺麗に巻いたミディアムロングのストロベリーブロンドを指に絡ませながら、メリルが口火を切った。
「残念ながら、その後もテスのIDの使用記録は認められませんの。
医療機関はもとより、交通機関や、ショッピングにも利用の形跡が見られませんでした。
ですから万が一のことも考慮いたしまして、警察の身元不明の死体リストを覗いてみたのですけど、幸いにも記録はありませんでしたわ。
犯罪者拘留リストも確認しましたけど、該当する人物はございませんでした。
事件と事故の関係者リストにも登録無しですから、レチェル警察のデータを検索しても、これ以上の成果は無いと思われましてよ。まるで、『神隠し』ですわ。
警察が動いてくれない訳ですわね。これでは、家出人扱いですもの。大学生が勉強に疲れて、プラッとどこかに消えたくらいにしか考えていないのではないでしょうか。
職務怠慢で、訴えてみませんこと。あとでウチの優秀な顧問弁護士に、相談いたしましてよ。
それでも宙港利用の記録はありませんから、身柄はまだレチェルにあるはずなのですけれど……」
淡いピンク色に塗られた唇から、深いため息が漏れる。
「もう2週間だぜ。ちっとヤバいんじゃ……って、なぁ、メリル。そのミョ~に詳しい情報どこから仕入れた?」
眉間にしわを寄せながら、リックが尋ねる。
「さる筋から、ですわよ」
事もなげに、メリルが答えた。
「その……さる筋、大丈夫か?」
長身を屈め、声を潜めてメリルに問い掛ける。
「不本意だが、そこを突っ込むのは、この際不問に付すことにしないか?」
テーブルの向こう側から身を乗り出し、こちらも声を潜め、クリスタがリックに同意を求める。
「あたしら善良な一般市民の大学生が集められる情報なんて、たかが知れているらしい。すでに2週間も行方知れずなんだ。街の真ん中でだぞ。
ポルボロン星の未開発地区の原野ならいざ知らず、情報ネットワークの発達したこの惑星で、市民ID取得者が突然消えちまったんだ。
救急車に乗せられたところまでは大勢の人間が目撃しているってのに、なんでそこから情報が途切れるんだよ。運ばれた病院は不明、あいつを乗せた救急車の記録さえないなんて、いくらなんでもおかしるぎる。
もっとおかしいのは、一緒に事故にあったじいさんの情報さえないってことだ。どうなってんだよ。
それで公開されている情報サービスで足取りが追えないってことは、どこかで情報を操作されているんじゃないかって、メリルが言い出したんだ」
リックは驚き唸ると、さらに小声で問い掛ける。
「確かに、善良な一般市民の大学生が集められる情報なんてもんは、政府機関や地方行政、企業とか民間団体なんぞが公開を許可した公的なものか、個人の作成した閲覧歓迎のホームページやブログとかが大部分だろうさ。
ハッカーでもない限り、な。あと噂とか、口コミとか。
でも、それ、フツーじゃね? 俺たち、一般市民だぜ?」
「それで、検索しきれないんだから、疑ってんだろ」
「誰が? なにを?」
顔を突き合わせたままで、クリスタの大きな深緑色の瞳が、メリルの方へ移動する。それを追って、リックの青い瞳も移動する。が、すぐに視線は元に戻った。
「……だからよ。俺もおまえもテスも、善良な一般市民の大学生だぜ。
それが何で忽然と姿を消して、痕跡が残らないなんてことになってんだよ」
「知るか! それがわからんから、悩んでんだよ!」
「そりゃ、そうだ」
納得したところで、ふたりは上体を起こし、コーヒーに手を伸ばす。同じように一息ついたところで、再びリックが正面に座るクリスタに目で合図を送り、顔を寄せる。
「もしかして…だけどよ。おまえら、テスが、とんでもねー事件に巻き込まれたんじゃねぇかと踏んでんのかよ」
クリスタが小さく頷く。
「――じゃなきゃ、説明がつかない。
なにがどこまで関係しているのかなんてわからないが、テスの誘拐はおそらく営利目的ではなく、なにか知られては不味いものを見ちまったとか遭遇しちまったとかの類だと考えている」
「……ぉ……まえら、な……ゆ……誘拐、なんだそりゃぁーー」
大声を上げ、リックは椅子から立ち上がった。静かな秋の森に響き渡る騒音に、周囲の視線が集まる。
「バカ!!」
クリスタの長い腕が素早く伸び、リックの頭を捕まえると、テーブルに押さえつける。
「大声出すなよ。目立つじゃないか。この間の二の舞になるのは御免だよ!」
2週間ほど前、同じ場所で繰り広げられたテスとの一幕を、周囲にいた学生たちにUSNSS(宙間交流通信サービスサイト)に投稿され、無責任な噂を山ほど流された。
一般市民の中では有名人のふたりは、かなり痛い目に合っていたのである。
「……あ……、悪ィい……」
憤慨するクリスタにリックは速攻で詫びを入れたのだが、ふたりの間に座りながら、しばらく存在を忘れられていたメリルがやんわりと口を挿んだ。
「……ん~、遅かったかもしれませんわ。
ご覧あそばせ。またUSNSSが無責任な噂を量産していましてよ。
ほら、リアルタイムで、増え続けていますもの。ここまで来ると、『笑えるぅ~』ですわねえ、おふたりとも」
ころころと笑いながら、先ほどから眺めていた携帯用のPCの画面をふたりに提示する。
メリルの携帯用PCは、最近発売開始されたばかりの復刻版デザインで、好事家の間では手に入らないと評判になった製品だった。
カードサイズの本体が両眼の虹彩認証機能でロック解除すると、登録された音声の操作で空中にディスプレイとタッチ操作兼用の8インチモニタが立ち上がる。クラシックなデザインと、いかにもな使用感が再評価されたのだとクリスタは聞いている。
そのメリルはふたりが見やすいようにと、提示したディスプレイモニタを10インチに拡大してくれた。そして、
「あちらのテーブルと、あの木の陰のテーブルの方たち。携帯通信用端末機を片手にこちらを観察していますから、犯人はあのふた組かしら」
あろうことか、メリルは彼らに向かってにこやかに手を振った。
「ちょっ……、ちょっとやめなよ。頼むから火に油を注ぐような行為は慎んでくれってば!
ほら、言わんこっちゃない。メリルのことも、取り沙汰されたぞ!」
「まああ! 本当ですわ。
ご覧あそばせ、『ピンク髪の娘が手を振った』ですって。これ、わたしでございましょう。
きゃぁぁぁぁあ、ついにわたしもお喋りされてしまいましたのね~。ステキですわ!
でも、ここはピンク髪などという中途半端な表現ではなく、きちんとストロベリーブロンドとおっしゃっていただきたいものですわ! そう思いませんこと。
それに――……」
クリスタの制止も受け流して、メリルはPCの画面に次々と現れるリアルタイムの情報の洪水に目を輝かせて感動している。
喜びのあまり、今度は立ち上がり、投げキッスでも飛ばすのではないかと心配になってきた。
「ああ、ご覧になってクリスタ。こんなスレッドもありましてよ。
『リックとクリスタ、第2戦の行方。勝つのはどっちだ!?』ですって。勝率予想まで出ていますの。
『前回はリックの負け……』、あら、いつの間にあなたは負けたのかしら?」
「俺は、負けたつもり無ぇーからな」
憮然とした表情で答えるリックに、クリスタは苦笑を漏らす。
「頼むから、そこで話を逸らさんでくれ。
ここは勝敗の問題じゃない、今テスがどこでなにをしているか、それが問題なんだ。
おまえさんだって心配だから、こうして顔を突き合わせているんだろうが!」
「おまえ、いつからハムレットになった?」
なぜか真面目な顔をして、リックがとんでもないツッコミを入れる。
「堪忍してくれ~、あたしゃシェイクスピアは嫌いなんだ。ましてや優柔不断で虚弱体質な哲学青年は、好みじゃないぞ」
「そこ、聞いてねぇけど」
すると今までUSSNSに夢中だったメリルが、いきなり参戦してきた。
「あら、ハムレットが物憂げで繊細な青年という解釈は、19世紀ロマン派に由来しますわね。確かゲーテが……」
「あ~~~、中世文学の講義は沢山だ! 頭が痛くなる!」
なぜ、モッフルの森で会話をすると話が迷走するのだろう。
話題がどんどんズレていき、いつの間にかすり替わり、ちっとも先に進まない。場所の選択を誤ったことを、クリスタは痛感していた。
かといってレチェルに居を移してまだ3ヶ月にも満たなく、学業と仕事に忙殺され、意外にもテス以上に行動範囲が限られている彼女が生活圏内で顔なじみの店といえば、お粗末ながらこのカフェがテスのバイト先しか頭に浮かばなかったのである。
現在の彼女とリックにとっては、どちらのカフェも出来れば遠慮したい場所になっていたのだが、目立つようなことさえしなければ大丈夫だろうと考えたのが甘かったようだ。
存在自体が目立つのだという認識が今一つ希薄なクリスタが、人差し指でこめかみのツボを押し始めた時、リックが声を掛けてきた。
「……ところでよ、クリスタ。このお嬢様、何者だ?」
「同じアパートメントの15階にお住いの、カヌレ大学の医学部1年生」
「そこまでは、知っている」
「友人だ」
「……だろーな」
リックはオレンジがかった短い金髪に指を突っ込み、わしゃわしゃと引っ掻き回した。
「ああ、悪い。具体的な答えが欲しいんだよな。おまえさん、ペタンクール製薬って知ってんだろ」
リックが目を瞬いた。
「知ってるもなにも。医療用医薬品から医療機器、一般用医薬品に健康食品まで扱う、医療品企業の大手じゃねぇか。業界ナンバー3だっけ」
「ごめんあそばせ。今は5番手くらいなのですけど」
メリルの訂正が入る。
「あ、これはこれは。いつもお世話になっています」
律儀にリックが頭を下げる。彼はペタンクール製薬の医療品の愛用者だ。
子供のころからやんちゃで生傷の絶えなかった彼が、母親に塗ってもらっていたのはペタンクール製薬の塗り薬で、今も常備薬なのだ。そういえば、胃腸薬もペタンクール製薬社製だった。
「わたしは製薬会社とは、関係ありませんわ。そのうち研究開発医として就職する可能性はあるかもしれませんけど。
あ、それはそうと、お腹が空きませんこと?」
突然の提案に、クリスタとリックは茫然とした。
2022/01/14 加筆・修正しました。
※USNSS(宙間交流通信サービスサイト)・・・ユニバーサルソーシャルネットワーキングサービスサイトの頭字語。アサンス。お喋り(ツイート)することによって、情報拡散。
現在でいうところのSN〇。
※携帯通信用端末機・・・電話やメールに加えて様々な機能を備えたスマートデバイスの一種。ス〇ホ!?
この辺の設定は、ユル~く観てください。