1. good-bye その① ☆
あたしは、決めた。そう、決めたのよ。
だからクリスタに報告するの。彼女には一番に報告しなくちゃならないわ。だって親友で幼馴染で、あたしのこととっても親身になって心配してくれてるんですもの。
でも、これでまた彼女に、心配と迷惑をかけるのね。
ああん、悪いとは思っているわ。でもでもこのままこんなことを繰り返して、つまらない愚痴を聞かせ続けるよりはマシよね。
そんなこと、ずっと考えていたからかしら。目が覚めた時から、気分がすっきりしない。
胸のもやもや感は「あいつのせい」だとしても、もっと奥のほうから、なんだかわからないモワッとしたものが、おいでおいでをしているっていうのか、なんていうのか――。
自分でもどう表現していいのかわからない、ザワザワした気分。落ち着かない不安感。
ああ、こんなのイヤ。
軽い頭痛を伴う、嘔吐感。――めまいがする。
どこか身体の具合でも、悪いのかしら。こんなこと、初めて。
仕方ないわ、悪いことはひとつずつ片づけて行こう。
まずは……。
あたしは、テス。テリーザ・モーリン・ブロン。
惑星レチェルのカヌレ総合大学で教養学科を専攻している、ごくごく普通の女の子。
「おはよう、クリスタ」
リビングに行くと、すでに朝の日課であるヨガに没頭する親友にあいさつをする。大学に入学してから友人の勧めで始めたエクササイズだけど、彼女のまじめな性格が幸いして、あっという間に上達した。
まあ、彼女の場合、美容と健康の維持は仕事の一環だから、熱心にもなろうというものよね。
あたしの健康法は、ゆっくりたっぷり寝ること。でも――――。
(ヘンな夢を見ちゃったのよね。内容は、よく覚えていないんだけど……)
「ああ、おはよう。テス」
低めのアルトの声が返ってくる。呼吸を整え、長い手足を優雅に動かしながらクリスタは次のポーズに移り、あたしはあくびを抑えながら朝食の支度に取り掛かる。
いつもの、朝の風景。
今日は天気もいいわ。あたしの体調と反比例してる。
冷蔵庫から卵と、野菜と、フルーツを出して、たいして変わり映えのしない……けどカロリー計算はばっちり出来たいつものメニューがちゃちゃっと仕上がる。コーヒーも淹れたし、これで完成。
すっきりとしない頭を振りながら、ツルのポーズを取るクリスタに声を掛けた。
どうしよう、まだ胸のつかえが取れない。やっぱり、病気かしら。
「なんだ、具合でも悪いのかい?」
あたしの顔をグッと覗き込んで、親友が尋ねる。身長差36センチは、なかなか大変。
「うん……。そういえばそうなんだけど、違うかもしれないし……」
「朝から歯切れの悪い返事だなぁ」
まずはどうやって話を切り出すかが、大問題なのよ。
何気なく覗いた鏡の中のあたしは、憂鬱そのものって顔をしていた。癖のあるプラチナブロンドのショートヘアは、気持ちとは裏腹に軽快に畝っているし、昨晩はよく眠っていないから、目の下にはうっすらクマが出来ている。
(バイトなのに、ヤバいわよね。この顔じゃ……)
鏡の中の自分にまじまじ見入っていたら、ライトブルーの瞳に、なにか映ったような気がした。
(――――――――!?)
なに、今の? 気のせい……よね。
……っていうより、寝不足が祟っているの。ええっ、幻覚視るほど重い病気なんて、困るわ。カウンセリングを受けた方が、いいのかな。
「おぉーい、食事にしよう」
クリスタがTVを点け、朝のニュースショーにチャンネルを合わせると、コーヒーをマグカップに注ぎだした。いい香りが、ふわっと拡がる。少しだけ、気が晴れてきた。
キッチンのカウンターテーブルで、ふたりで並んで朝食。
オープニングテーマ曲のさわやかな旋律と共に始まった朝のトップニュースは、この惑星の南半球の観光開発問題に関することだった。
いつもの朝の続きが始まる。
クリスタは気持ちよくお皿の上のモノを片づけていくけれど、あたしはフォークが進まない。話を切り出すタイミングを、探り続けているから。
(そうよ、さりげなく、さらっと話せばいいじゃない)
「オレンジジュース、飲む?」
「今日は、いい」
時間が経てば経つ程、言い出しにくくなることは、わかっているの。
(だから、サクッと何気なく……)
「ケチャップ、かける?」
「いらない」
(メゲちゃ、いけない。勇気を出して話すのよ。さあ、さあ……、さ……あ……、あ……)
はあぁ……、朝から気が重い。
なんでこんな思いしなくちゃならないんだろう、たかが、たかが……、たかが……オトコと別れるってことだけで!!
「ふぇ~~ん、クリスタぁ~」
となりの親友は、黙々と口に運んでいた朝食の手を休めて、ようやくあたしと目を合わせた。
彼女はクリスタ・ロードウェイ。あたしの幼馴染で親友で、この部屋を一緒にシェアして、同じ大学に通っている。
そう、モデルの、クリスタって言った方が、わかりやすいかしら。
191センチの長身の、黒人系の遺伝子が強く表れた容姿を持つクール・ビューティー。このシーズン、人気急上昇中の新進デザイナー、ロマン・ナダルのポスターに起用されて、彼女の人気も急上昇中。マスコミ登場率も、軒並みアップしつつある。
それでも変わらず、あたしの親友。
「どう、話す気になったかい? 昨日からこの世の終わりみたいな顔してるぞ。どうせまたリックとケンカでもしたんだろ。はいはい、今度のケンカの理由はなんだって?」
彼女はまるで今日のスケジュールを確認するような口調で、あたしを諫める。リックって云うのが、あたしのカレ……ううん、もうすぐ元カレになるオトコの名前。
「違うの、あたし決めたのよ。一大決心したんだから!」
「ふんふん。謝るんなら、あいつの機嫌のいい時にするんだよ」
「そうね……って、違ーーうッ! 謝るんじゃないの、別れるのッ!」
クリスタの深緑色の瞳が、大きく見開かれる。
暫しの間。TVでは、キャスターが次の話題の紹介に移る。
「別れるって、誰と?」
「だから、リックと!」
クリスタは左手でこめかみを押さえた。ついでに右手に持っていたフォークを置いた。
「テスが、リックと……かい?」
「ほ……他に、誰がいるの……」
彼女はマグカップに手を伸ばすと、コーヒーを飲みほした。
「――いや。確か、つい2日前に『あたしはリックと結婚したい』と言っていた女が、目の前にいるような気がするんだが……」
あたしは口を歪める。間違いじゃありません。それは確かに、あたしです。
「ハイスクールのころからのくされ……いや、ラブラブの仲じゃないか。プロムでキング&クイーンに選ばれたときだって大喜びしてた。そーいやぁ、そのころから結婚するのしないの騒いでいたよーな……」
目を閉じ、うんうんと頷きながら、そんなこと思い出さないでよ~~。
リックこと、リック・オレインは3歳年上の先輩。ハイスクールを卒業する最後のプロムパーティーで、下級生のあたしをパートナーに誘ってくれた。
彼はバスケットボールの選手で、スター的な存在だった。
アステロイド星系惑星選抜大会にポルボロン星代表として出場して、準々決勝で負けたとはいえ幾度もゴールを決め、ハイスクール中の女の子の憧れの的だったのよね。
そのリックが、コートの端っこで応援していたあたしに声をかけてくれたのよ。もう、信じられなかった。最初は、冗談だと思っていたんだから。
有頂天になったあたしは、その頃すでに副業でモデルをしていたクリスタにドレスを選んでもらって、大喜びで出席したんだった。
パーティーの最後にキング&クイーンに選ばれてステージに上がったときは、ホント、舞い上がっていたわ。まだ16歳の子供だったし、結婚にあこがれる年齢で、本気で彼との結婚を望んでいたのは確かよ。
――――でも!
「過去の過ちだわ。あたしまだ18歳なんだし、結婚なんてしない! 女子大生ライフを満喫するの。学士課程の資格取得して、キャリア積んで、バリバリ仕事のできる女になるの! リックともバイバイって決めたのよ!」
思わず握った両手のこぶしに、力が入る。でも冷めた目であたしを見ていたクリスタは、がっくりと肩を落とし、盛大な溜息を吐いた。暗い表情のまま、長い指でフォークを取ると、スクランブルエッグを突きだす。
「……がんばれ、テス。……で、リックとはちゃんと話をつけたのかい?」
TVニュースの話題は、最近問題になりつつある超常能力を持つ人たちの能力制御不能による不可抗力事故なんちゃら…で、クリスタの興味はそちらに傾きつつあるのね。
だからなの、声が多少うわの空に聞こえるよ。
「……は……話って……」
反対に、あたしの声は固くなる。ニュースキャスターはゲスト解説者に、「専門家のご意見」を求めている。解説者はしたり顔で超常能力保持者の自由の法的規制を訴え始めた。
他人の自由に口を出すなんて、なんて心の狭い人なんだろうって思うけど、そうも言っていられない事態がどこかで起きているらしい。
そういうあたしだって、大変な事態に陥っているんだから。
「だから、別れ話」
視線を完全に画面に固定しフォークを動かす彼女の手を制して、ここぞとばかりに話を切り出す。
「それなんだけど……」
今だわ、このチャンスを逃しちゃいけない! と親友にかじりつく。
「ねぇえ、クリスタ。どうやってリックにその話を切り出せばいいと思う?」
どこかで空気が凍りつく音がした。
彼女が、ゆっくりと顔をこちらに向けた。褐色のつややかな肌に、卵方の輪郭に収まったクールな美貌が、とんでもなく崩壊しかけている。眉間には三本の深い縦ジワが刻まれ、形の良いぷっくりとした唇はいびつに歪み、顔の真ん中でちょっと大きめの鼻が不機嫌そうに胡坐をかいてしまっている。
セクシーでワイルドな美女の顔が、地球観光のお土産にもらった黒い悪魔のお面みたいになっているよう!
そして彼女は大きく深呼吸すると、天を仰いだ。
「テェ~スゥゥゥ~~。おまえさんは、何を……」
地を這うようなクリスタの低音ボイス。頭のいい彼女は、これから降りかかるであろう「親友の面倒事」と、恒例の「その後始末の煩わしさ」をいち早く察知したんだろう。頭ふたつ分くらい上から、射殺されるんじゃないかって思うほどの鋭い視線を飛ばしてきた。
「ごっ……ごめんなさいっ! 先に、あやまるから……怒らないでッ!!」
電撃を受けることを覚悟して、身体を小さくして目を瞑る。
そこへ絶妙のタイミングで、ドアのチャイムが鳴った。
誰だろう。なんにしても、救いの神に違いないわ。クリスタの刺すような視線から逃げ出して、そそくさと玄関へ急ぐ。
来訪者の確認チェックボタンを押すと、センサーチェック『OK』の合図が出る。もちろんあたしとクリスタが入室許可登録していない人物には、『OUT』の表示が出るの。
そしたらドアは絶対に開かない。
この建物の防犯対策はかなり厳重。
通りに面した最初のドアの暗唱番号を押して建物の中に入ると、高い天井の共用玄関があるの。
奥の突き当りに、さらに堅固なドアが見えてくるわ。このドアは建物内部に通じていて、そう簡単には開かない。承認システムが設置してあるから。
ドアを開けるには、あたしたち住人は管理人から渡された特別な錠と虹彩や耳介などの生体認証スキャンのチェックを受け、外部からの訪問者は防犯センサーのスキャンで所持物チェックを受けた上で、インターホンで訪問先の住人の許可を得なければならないのよ。
さらに各階の共用の廊下から、間借りしている部屋の玄関にもうひとつ。これは住人同士のプライバシーを守るためのもの。
もちろん住人の承認および生体承認システムの許可無しには、こちらのドアも開きません。
こうしていくつかのロック解除や承認審査をパスして、ようやくあたしたちの住居スペースに辿りつけるということなの。
外部からの不法侵入者を防ぐためには、このくらいしないとダメなんだって。故郷の田舎とは大違いだわ。都会って物騒なのね。
特にクリスタは、知名度が上がってマスコミ関係のかなり強引な取材なんかも増えちゃったから、セキュリティの必要性はいやがうえにも増してきちゃったのよー。
もうひとつトリッキーな防犯装置を取り付けようかってクリスタは言うんだけど、あんまり奇抜なもの仕掛けられたら、怪しい侵入者より先にあたしが『OUT』になりそうだわ!
で、チャイムのコール音が1回ということは、訪問者は同じ建物内の住人。
ご近所さんがあたしたちの住居スペースの玄関前で待機中。「ドアを開けて」のサインを出しているってこと。
クリスタの機嫌を損ねているあたしとしては、お客様大歓迎の状態なのよ。『OK』表示が出ると、モニターの確認もそこそこにドアの開閉スイッチをONにしてしまう。
女の子のふたり暮らしなんだから、用心のため、来訪者をキチンと確認してからドアを開けろってクリスタから言われてるんだけど、あわてんぼうのあたしはいつもフライング気味。
セキュリティの意味、無いわね。
そして開いたドアの向こうには、上層階に住む友人のメリル・ペタンクールが立っていた。
メリルって、本来は上品でおしとやかな良家のお嬢様なんだけど、今朝は違った。好奇心オーラが全開で放出されている。少し垂れた大きなヘイゼル色の瞳は、キラキラと輝きまくっている。
ドアが開くのも待ちきれずに、隙間からスリムな身体を滑り込ませ、あたしの手を取るといきなり怒涛のマシンガントークが始まった。
「ごきげんよう、テス。どうなりまして? 気になって、押しかけてしまいましたわ。だって、あなた、あれから何も言ってこないのですもの。あの後、彼に会いに行ったのでしょう。今からデートだって、ニコニコ幸せいっぱいってお顔していましたもの。もう、ごちそうさまって感じでしたわ。相思相愛のお相手がいらっしゃるって、とっても素敵なことですわね。うらやましいですわ。わたしも大学生活を送っている間に、たくさんの殿方と恋愛をしてみたいと思っていましてよ。うふふ、これはわたくし事ですわね、ごめんあそばせ。それで首尾はどうでしたの? 結果が気になりましてよ。わたしまでソワソワしていますのに、テスったら結果報告してくれないのですもの……水臭くってよ。あら、どうしてそんな顔なさっているの?
――ねえ、テス。ちゃんとリックにプロポーズしていただいたの?」
満面の笑みで繰り出される、残酷な質問。もちろん悪気がないのは、十分理解しているんだけど……。
「あ~~~~ん!!」
もう、泣くしかないッ!
2019/8/27 タイトルロゴを追加しました。ロゴデザインは志茂塚ゆり様。加純が画像加工で枠を付け加えさせていただきました。
志茂塚様、ありがとうございました。