6. 不機嫌なクリスタと不可解なテス その① ☆
季節も深まり、モッフルの森の木々も、黄金色に色づき始めていた。それはクリスタにとっては不思議な風景であった。
故郷の惑星ポルボロンには、こんな豊かな森は存在しなかった。
木々が無かった訳では無い。乾燥地帯に適応する樹木はいくらでもあるが、それ等はこれほど豊かな表情を見せることは無いし、鬱蒼と、木々が密集して生息するという事が珍しかったのだ。
ましてや、紅葉などというものは。
ポルボロン星の植物は、もっと硬質で、たくましい。
もちろん生息する地域の環境によっても多少の違いはあるが、縹渺たる原野に根付く木々は、孤高の哲学者のようだ。
それがどうだろう。レチェル星の植物たちは、みな青々とみずみずしく、柔らかだ。
クリスタが親友のテスと共に、大学進学のためにこの惑星にやって来たのは初夏の頃であったから、それは彼女たちの目にはとても鮮やかに強烈に映った。
ロクム・シティのメインストリートに街路樹として並ぶマロニエを見た時には、造り物ではないかと疑って、さりげなく触って確認したものだ。
家々の窓辺、庭の芝生、フラワーボックスやショーウィンドウにまで、あちらこちらに緑や花が溢れている光景に目を丸くした。彼女の感覚では無駄なくらい草花は花をつけ、次々と咲いては枯れていった。
ポルボロン星の常識では、植物が花を咲かせるのはその必要性からなのだが、ここでは人々は純粋に花の美しさを楽しみ、そのために手間をかけている。
なんという贅沢だろう。
街角の花屋の店先に、毎日色とりどりの花々が並んでいるという光景は、ほとんど奇跡に近かった。
ポルボロンでは最高級の花屋でもなければ、これほどの品種と色彩は望めない。
さらに南半球には地平線まで続く草原や、見渡す限りの花畑、宝石を思わせる輝く湖水、きらめく紺碧の海……あきれるほど豊かに、地球の理想的な自然の形を再現していた。
それらを売り物にした観光地と知られる南の大陸とはいえ、その美しさには感嘆せざるを得ない。
この惑星では草を踏むと青臭い匂いが立ち上り、空気自体に周囲の木々や草花の香りが染み込んでいて、吹く風に緑を感じさせるのだ。
クリスタはこの惑星が大好きになった。豊かな自然を、愛するようになった。
たとえそれが惑星改造による、人の手によって強引に造られたものであったとしても――だ。
――とはいえ、その季節と自然がもたらす素晴らしい秋の風景さえ、現在のクリスタは心から楽しむことが出来なかった。
幼馴染で親友、共にカヌレ総合大学に進学しルームシェアまでしているテスが、2週間ほど前から行方不明になっているからである。
交通事故に巻き込まれ、救急車に乗せられたところまでは確認が取れているのだが、その先がわからない。
目撃証言によればテスに怪我は無かったようなのだが、どこの病院にも、彼女が運ばれたという記録が無いのだ。個人身分証明証の管理が徹底し、生活にIDの使用が必要不可欠になっているこの惑星で、2週間も使用記録が無いというのは異常で、生存の危機が危ぶまれる。
それでもクリスタは親友の生存と無事を確信していたし、同じようにテスを案じる仲間がいた。
なにより責任感の強い彼女としては、テスの家族から大学卒業までの身辺管理を頼まれている以上、「わかりません」のひと言で済ませる訳にはいかないのだ。
気のいいブロン夫妻と7人の弟妹を、これ以上不安にさせることは、クリスタ・ロードウェイの名に懸けて許せることではなかった。
(どこに行っちまったんだよ、テス!)
気が付けば、右ストレートが空を切っていた。
モデルの仕事上、スタイル維持と健康管理には気を使っている。
毎朝のヨガと共にボクササイズは日課だ。最近は特にボクササイズに熱が入り、美容やダイエットのための運動程度では物足りなくて、本気でボクシングジムに通うことを考えていた。
サンドバッグを思い切りたたくスパーリングは、脂肪燃焼に筋力アップと云う効果の他にも、ストレス解消になるし集中力も高められる。
モデル事務所からはジャズダンスのレッスンを勧められていたが、彼女自身としてはボクシングトレーニングの方が興味深かった。
幼い頃からクラシックバレエで鍛えた身体だ。コツさえつかめば、形はなんとなく様になってしまう。
同じゼミの友人から教わったシャドウボクシングも、ごく短期間に向上していた。
足を肩幅程度に開き、右足をずらし体重を移動する。基本のフォームを取ると、素早く2~3回左ジャブを連打。
そして大事な親友を誘拐した見えない敵に向かって、思い切り右ストレート……!
「おわ…っと! おまえ、ホンットにあぶねーヤツだな。いきなり噛まされんのかよ」
クリスタの右拳の先には、憮然としたリック・オレインがいた。
カヌレ大学バスケ部が誇るクラッチシューターは、いきなり目の前に出された右ストレートを寸でのところで回避したらしい。
その後ろで、メリル・ペタンクールが目を丸くしている。
クリスタは、現実に引き戻された。
(そうだった。今日はこいつらと、テスの行方を探ろうと、あたしがこの場所に呼び出したんだっけ……)
「ああ、悪い。モヤモヤが溜まって仕方ないんで、ストレス解消に始めたんだ」
両脇を締め、再びジャブからストレートを繰り出す。
「そのストレスの一因ってのは、俺かよ……」
苦い表情のまま、リックはクリスタのパンチを受け流す。
「――ん、もうッ。いい加減になさいませ。
テスが消えてしまってから、クリスタはご機嫌が悪いのですわ。さあ、ふたりとも。いがみ合うのは、無しにしてくださいましね。
わたしは、あなた方のケンカに付き合うつもりはございませんことよ。お互い忙しい身の上なのですから、時間は有効に使いませんこと。
さあ、さっさと注文を済ませて、情報交換といたしましょう!」
長身なふたりの間に流れる重たい空気を突っ切って、メリルはモッフルの森のオープンカフェに入って行く。
場の指導権をあっさり横取りされてしまったふたりは、大人しくその後に従うよりなかった。
♢ ♢ ♢ ♢
モッフルの森も、惑星開発時に人工的に造られた森のひとつである。
カヌレ大学のあるロクム・シティの西側からポルタカル山塊に続き、北側は首都バクラヴァに隣接し、南はケスタネ大平原の端まで伸びている。総面積約18000ヘクタールに及ぶ広大で起伏に富んだ、『地球の自然』を出来る限り忠実に再現した美しい森だ。
アカマツ、オーク、ブナ、クマシデ、ハリエンジュ、栗の木、銀杏、白樺……モッフルの森には5000種以上の木々が移植されていた。
計画的に配置された針葉樹と広葉樹は、年月をかけて程よく混じり合い、コケ類やキノコ類が根元を覆い、シダ類が葉を広げ、さらなる形容をかたち造って行き、この場所が人工物であることを忘れさせていた。
森の自然を満喫しているのは、人ばかりではない。耳を澄ませば、あちらこちらから聴こえる鳥の声、木々の間を走り抜ける小動物の躍動、昆虫の類にまで範囲を広げれば、億の単位の生命が生息しているに違いない。その濃密さに、クリスタはそっと息を吐いた。
それなのに、ここには親友の姿が無いのだ。
幼稚園で隣の席に座ったのがきっかけで、彼女の後ろを付いて来るようになった、小さな女の子。
引っ込み思案で、泣き虫。プラチナブロンドで大きなライトブルーの瞳と白い肌。母に読んでもらった絵本に出てくる、ちょっと不機嫌な可愛らしい少女を彷彿とさせた。
当時からクラスで一番背が高くて腕っぷしも強く、我が儘勝手の幼い男の子たちより余程頼り甲斐のあった彼女は、先生たちからも一目置かれた存在だった。そんな彼女だったから、男の子たちから意地悪を受けて泣いていたテスは、当然擁護すべき存在となった。
この年頃の男の子がする意地悪なのだから、憎い訳ではない。
気になる存在だからちょっかいを出すのだが、こちらも子供なのだから、そこまでは理解が及ばない。
弱きものは守らねばならない。クリスタは厳格な父から教えられたことを、忠実に実行に移しただけに過ぎななかったのだが。
そんないきさつから、保護本能を刺激され、決して要領が良いとは言えないテスを庇い続けているうちに、周りは面白がってクリスタをテスの保護者扱いするようになってしまった。
無邪気なテスは彼女に懐き、いつも後ろを付いて来る。
こうなると彼女自身もすっかりその気になり、押しつけがましくない程度に過保護になった。なにしろ、テスは危なっかしくて、思わず手を差し伸べてしまいたくなるのだから。
そんな関係が、幼稚園から現在へと続いている。仲が良いのは今も変わらないが、ふたりを取り巻く環境は変化した。
クリスタは11歳からモデルの仕事を始め、公私ともに多忙になった。
スカウトされ、なにげなく始めた仕事だったが、何事も継続するということは難しい。浮き沈みの激しいモデルと云う世界では、切磋琢磨の努力が出来ないものは、すぐに沈んでいく。
その厳しさと、新し物好きの好奇心を刺激してやまないファッションの世界は、彼女を虜にした。
努力の甲斐あって仕事はコンスタントに入ってきたし、大きなチャンスにも恵まれた。
ただ学業と仕事の両立は、考えていた以上に骨の折れることになってしまった。
そんな彼女に協力を惜しまず支えてくれるのがテスで、大学進学に伴い故郷を離れ新天地で生活することになると、彼女の身の回りの世話を甲斐甲斐しく焼いてくれたのである。
性格や趣味嗜好は違ったが、妙なところで気が合うし、一緒にいても窮屈感が無い。女友達で、気兼ねない距離感を保てる存在と云うのは、なかなかに稀有なのだ。
細かいところに神経が届き世話好きなテスは、おおらかで豪快なクリスタのフォロー役には最適だった。だからルームシェアの共同生活も楽しかった。
お互いに足りないところを補い合い尊重しつつ、時には喧嘩もしたが、順調に学生生活を謳歌していたのだ。
しかしテスのためにもそろそろ過保護な友人を卒業し、距離感の修正をしようと彼女は考えていた。親友が、ステディのリックとの結婚を望んでいたからだ。
――ところが。突然テスはリックと別れると騒ぎ出した。
そのリックは、事もあろうか浮気の最中に事故を起こし、それをネタに強請られていた。その後テスは行方不明、頭が痛くなるようなことが立て続けに起きている。
(せっかくテスのお守りをリックに押し付けてやろうと考えていたのに、だ!)
思い返すたび、ギリギリと奥歯に力が入ってしまう。
しかもこの一件、良く考えるとどうしても腑に落ちないことが多すぎる。
その疑問を究明することがテスの行方を探る近道であろうとは思うのだが、なぜかいつもうまくいかない。横やりが入ったり、話が逸れて脱線したり、まるで誰かが故意に邪魔をしているみたいだ。
(冗談じゃない。あたしの大切な親友なんだ。このままになんかできるもんか。絶対探し出してやる。待っていな、テス!)
そのために不満ながらもリックと休戦し、提携を結んだ。顔が広く情報収集能力に長けたメリルを、迷惑とわかりつつも巻き込んだ。
クリスタは目標を定めると、一直線に突き進んでいけるタイプ――――なのであった。
2019/12/13 挿し絵を追加しました。




