5. 能力者(タレント) その③ ☆
午後からは座学のお時間で、学習ソフトで超能力の使い方なる説明を受けた。画面を見ながら説明をヘッドホンで聞いているだけの講義って、ある意味拷問に等しいものがあると思う。
アダムとディーの特訓で疲れ切っていたあたしは、途中でウトウトし始めちゃって、講義はほぼ睡眠学習になっていた。気持ちよ~く舟を漕いでいるところを、ヨーネル先生に起こされる。
そんな訳で、睡眠不足と訓練の過密スケジュールによる過労を心配した先生が、早めに講義の時間を切り上げてくれた。ゆっくり休むようにと諭され、先生に連れられて部屋に戻る。
くつろげって言われても、軟禁中の身では気分は重いわよ。
それでも少しホッとして、一息ついたところに、夕食と着替えを持ってマリア・エルチェシカがやってきた。
相変わらずしかめっ面をして、見るからに機嫌が悪そうね。
アダムとディーに言わせると、マリアの眉間の立てジワとへの字口は、トレードマークだとか。
女の子にその評価は酷いと思うけど、うんうん……と思えてしまうのよね、毎日この表情を見ていると。
夕食を乗せたワゴンも、わざと乱暴に止めたでしょ。ガチャガチャと、食器の立てる不協和音が響く。
「ありがとう」
お礼を言っても、どうして迷惑そうな顔しかしてくれないんだろう。
彼女が、フンと鼻を鳴らした。なにか言いたそうなんだけど、どうせ耳障りな言葉を並べるだろうから、備え付けのベッドに腰掛けたまま窓の外の景色を見ていた。こんもりとしたブナの木立ちと、その向こうに小さく白い建物が見える。
「あんたが嫌いだからよ。目障りだわ。あんたがここに来てから、嫌な事ばっかり!」
突然、マリアがそういった。
「なに、驚いてんのよ。あんたの思考なんて、だだ漏れよ。精神感応者じゃなくたって、顔見りゃわかるわよ」
そういえば、マリアは精神感応能力が優秀だってアダムが言っていたっけ。恐る恐るマリアと向き合う。
「いいわよね、特別扱いって。ちょっと能力のランクが上らしいってことだけで、みんながチヤホヤしてくれるんですもの」
言葉の棘が、チクチク刺さる。今日は特別機嫌が悪そうだわ。
「……そっ、そんなこと……無いと、思うけど……」
うっかり、反論してしまった。とたんに彼女の怒りの指数が跳ね上がったのが、超能力初心者のあたしでも苦労なく感じ取れた。
最悪……な予感がする。
「嫌な子、嫌な子。そんなことないなんて、良くも言えるわね。
あたしはA級ランクの能力者証明証を持つ、公認上級能力者なのよ。
なのに、なんでこんな女中みたいなことさせられるの。朝昼晩とワゴン曳いて、問題児のお食事とお着替えの支度。さあどうぞ、お嬢様って。
オーウェン特務捜査部長が連れてきた子だからって、なぜあたしがこんな子の面倒見なくちゃなんないのよ。ああ、腹が立つわ。なによ、そのおどおどした態度。
オトコの前じゃ、さぞいい子ぶっているんでしょうね。あたしはなにもできません、助けてください、お願いします。そうやって、みんなの気を引いているんでしょ!」
マリアは不満の感情をぶつけてきた。
文字通り、負の感情が衝撃波のように、あたしにぶつかって来るの。それはもう、容赦なく。
敵意を持った彼女の感情は、ナイフのように鋭利で、するどい切れ味を伴っているから、あたしは身体中に切り傷を負った気がした。傷口は、ヒリヒリと痛い。
「ちょっとかわいいからって、アダムもディーも鼻の下伸ばしちゃって、みっともないったらありゃしない。ヨーネル先生だって、あんたのことばっかり。
どうやってあいつらを誘惑したのよ。オンナの武器でも使ったの。
いいわね、見てくれのいいオンナってのは。その手が有効に使えるんだからさ。
カラダでも、触らせてあげたの」
(……ゆ……誘惑? あたし……が……!?)
マリアの怒りは、ひとりで勝手にエスカレートしていく。なんだかとんでもない誤解をしまくっているようだけど、言っていることがあまりに方向違いで突拍子もなくって、怒りが湧いて来ない。
それより、よくまあこんなに偏見に満ち満ちた見方ができるものだと、感心してしまった。
彼女の周りに、どす黒い、もやもやしたものが渦巻いているのが視える。
(――――? これって、嫉妬……なのかな?)
マリアは生まれ持った能力のおかげで、ずいぶんと苦労してきたらしい。
幼い頃にその能力に目覚め、自己流で器用に使いこなしてしまったがために、かえって偏見や差別の対象にされ、親にさえ見放された環境で育ったそうなの。
2年前にオーウェンさんにスカウトされて、能力開発センターに来るまでは、すさんだ生活も強いられていたみたい。
だから他人に心を開かず、狭量で、ものすごく攻撃的なところもあるけどヨロシクね――とオーウェンさんは言っていたけど、そんなの無理よ……。
たとえあたしがヨロシクしたくても、マリアは1ミリも妥協してくれなさそうでしょ。
「そうよ。オーウェン部長がなにをあんたに吹き込んだのかは知らないけれど、あたしはあんたと仲良くする気は無いわ。
あんたなんて、あの時の侵入者に、どこかに連れて行かれちゃえばよかったのに!」
侵入者って、ベレゾフスキーのことかしら。
「その、なんとかよ。『医療用カプセルベッド』の中で全裸で寝ているところを見られちゃったんでしょ」
(――――ぃ!?)
思い出したくもない記憶を引きずり出され、身体がカッと熱くなる。じんわりと嫌な汗が噴き出してきた。
すぐに汗は冷え、体温を奪われ、今度は寒さで小刻みに震える。
どうしてそんなこと知っているんだろうと思ったら、頭の中に異質な感触が存在するのを感知した。
あたしの内部を、冷たい風のような感触が駆け巡り、乱暴に探っているのがわかった。記憶や思考を読まれているんだ!
彼女は強力な精神感応者!
あたしより小柄で、スレンダーと云うより病的に極端な痩身のマリアが、滑稽なくらい大きく視えた。
ベリーショートの赤い髪が、炎より赤く燃えていた。表情が、歪んでいる。
(やめて! マリア!!)
「それから、どうしたの。一緒に寝ましょうって誘ったの?」
「そ…そんなこと…、してな…い…」
強烈な圧力が、あたしに圧しかかってきた。
彼女には容姿コンプレックスがあって、自分は誰よりも醜く、だから美しいとか好ましいと感じたものは、人であれモノであれ、破壊しないと気が済まないところがあると聞いたわ。
けど、あたしの美醜はさておき、これは滅茶苦茶でしょう!
(――――ああ……嫌……イヤよ……苦しい……)
重圧と共に、体内には思考と感情を凍てつかせようとする、冷たいマリアの感触が暴れまわっている。脳内を引っ掻き回され、ズキズキとする痛みが襲ってきた。
息をするのさえ難しく、腰かけていたベッドに突っ伏すと、彼女の攻撃がさらに激化していく。
苦痛に耐えかねて、涙がこぼれた。途切れ途切れの悲鳴と一緒に、涙が溢れてくる。
シーツの上をのたうちまわり、どうにかこの場をしのぐ方法を考えていたけれど、それさえも精神感応者のマリアには筒抜けで逃げることができない。
彼女の嘲笑が聞こえる。
(――――――――イヤ!!)
ドスンと、鈍い音がした。
彼女の攻撃が止んだ。
苦しい息の下、音のした方へ顔を向けると、マリアが壁に磔になっていた。
甲高い奇声を上げている。西側の壁の中央に強い圧力で貼り付けられて、蚊トンボみたいに細すぎる身体をジタバタとさせていた。
(――アラァ、身体二昆虫針ヲ刺サレタ標本ノ昆虫ミタイ! ケケケ……)
苦しくて切なくて、マリアの攻撃から逃れようと、咄嗟に念動力を使ってしまったらしい。使えても、それをコントロールすることは不慣れなので、加減するということができない。
攻撃を振り払うつもりが、彼女自身を吹き飛ばしてしまったみたい。
「ごっ、ごめんなさい。あ、あたし、こんなことするつもりじゃ……」
叩きつけられたマリアの身体が、壁をつたって床にずり落ち、しりもちをついた。
「痛い、痛いじゃない。なんてことするのよ。あんたなんか、やっぱり嫌いだわ!」
とがった顎を持ち上げて、悪態をつき始める。辺り構わず不機嫌をまき散らす姿は、きかん坊の小さな子供だ。
彼女を取り巻く黒いもやもやが増殖し、動きが活発になってきた。
「ちょっと念動力が強くて、ちょっと精神感応能力が良くって、ちょっと透視能力があって……だから、なんだっていうのよ。
研究チームが、あんたのこと、本当はなんて呼んでるか知ってるの?
『研究サンプル16号』よ。
そうよ、あたしたちは研究の実験サンプルとして、ここで飼育されてんの。
バカな世間知らずのあんたは、しばらくしたらここから出られると思っているみたいだけど、『優良サンプル』のあんたは、一生ここから出してもらえないわよ。
だって、『サンプル』って、製薬会社が薬品投与実験に使う『ねずみ』と同じだもの。連邦政府が能力者をよりよく飼育するため、よりよく使役するための『実験動物』になったのよ」
(――――ナンデスッテ……!?)
声も出ないあたしを尻目に、マリアは得意になってしゃべり続ける。
実験用ねずみって、なに?
あたし、尻尾は生えていないわ。でもそのうち、標本にされちゃうのかしら。急に怖くなって、身体中が粟立つ。
――と同時に、ここに至って、なんとなく、ふつふつと怒りが湧いてきた。
怒りの対象は、マリアだけじゃない。
この施設のこと、ちょっと不気味な研究開発チームの先生方、本当のことを教えてくれないオーウェンさん、異端視するベレゾフスキー、懐中時計と謎を残して死んでしまった老人、二股かけてくれた恋人、そしてあたしに……をしてくれた……。
この数日間にあたしに降りかかってきた諸々のことに、無性に腹が立ってきた。
そして、やっぱり、目の前で訳のわからない嫉妬に醜態をさらし、この世のすべての不幸を背負ったような顔をして、あたしに不満をぶつけてくれるマリア……。
見当違いも、はなはだしいわ!
(ソウソウ、ナゼ、アタシガ、コンナ目ニ合ワナクチャ、イケナイノ?)
あたしは涙をぬぐった。
「あたしたちは檻から出られないの。出る時は、臨床検体よ。実験のデータを出すために、いろんなことをやらされるわ。
ああそうだ。あたしには無理だけど、あんたなら繁殖実験の被検体にもなれるんじゃないの。先生方の前で、交尾でもするのね。
相手はどっちがいい? アダムかしら、ディーかしら。それとも〇▲□★…………」
ねえ、マリア。あなたの場合、容姿コンプレックスがどうしたとかよりも、その曲がった根性が問題なんじゃないの!!
「……なによ、あんた、あたしを無視するの! ほら、なにか言い返してみなさいよ!
なによ、その目。言いたいことがあるんだったら、言えばいいじゃない。
あんたって、ホントに、存在自体が腹立たしいのよッ!!」
マリアが、いきなり掴みかかってきた。彼女の蜘蛛の足みたいな指が、あたしの首にかかる。
(ソロソロ我慢モ、限界ダ……)
あたしのなかで、なにかがプツンと切れた。
2022/1/27 挿し絵を追加しました。