4. 超心理学研究局能力開発部 その④
ベレゾフスキー(以下、敬称略!)が、両耳を手で押さえ、止めろと怒鳴り続けている。苦痛に彼の整った顔が歪みだす。
(…マダ……、……止マレナイ……)
装備されていた医療機器やハードウェアから、火花が飛び散る。大きく映し出されていた空間スクリーンは、狂ったように画面を変化させ、ブラックアウトして消えた。
照明が点滅を繰り返す。
「うぅ……う……わあぁぁぁ……」
ラブーフ(こっちも敬称略!)が手にしていたメモリチップが発火し、慌てた彼はそれを投げ捨てる。床を転がったチップは、ポンと爆発し、粉々に砕けた。驚く間もなく、腕に着装していた小型タブレット端末が火を噴いた。
「……ぅぅ……、うわぁぁ……、うわあぁぁぁ……ひいぃぃ……」
ラブーフは意味不明の大声を上げ、直立不動の姿勢のまま後ろにバッタリひっくり返ると、2~3度身体を麻痺させ泡を吹いて動かなくなってしまった。
「データが……」
荒い息の下、ベレゾフスキーは部下の安否よりも、搾取したデータの損失を口惜しがっていた。
あたしと彼の目が合う。
「おのれ……、――――が!」
(ナン……デスッテ…?)
目覚めたなにかが、あたしの顔を使って、ニタリと笑う。
(……い……、イヤよ……)
なにかがあたしを乗っ取ろうと、長い爪を伸ばす。訳のわからない恐怖に怯えて意識を手放そうとした、その時――――!
「そこまでよ、テスちゃん!!」
野太い声が響いた。
「あ~~あ、派手にやってくれたわねぇ。ホンット、テスちゃんA級どころか、超A級かも。
いい子、みつけたわぁ。さあっ、もうお遊びはおしまいよ。はい、はい、はい。
ちょっとぉ、コーリャ。あんた、なにやってンの。
テスちゃんは能力開発部で預かるって、公安局内でも話付いてンでしょ。なんであんたが、ちょっかい出しに来てンのよ。
しかも、こそこそ泥棒のまね? ン、もう。らしくないことしちゃってぇ~」
いつの間にか、部屋にはもうひとりの男性がいた。
ベレゾフスキーよりずっと小柄だけど、身体はボディビルダー並みのマッチョで、丸坊主の頭と赤銅色の肌はつやつやと光っている。
もちろん服装は、タンクトップにタイトなパンツ。
太めの眉と鼻の下の一文字の芋虫みたいな髭が、喋るたびに上下するのが印象的。というか、目が離せない。
左手を頬にあて、身体の軸を微妙に揺らしながら、こちらに近づいてくる。キモカワなタコのキャラクターみたいな人だ。
あたしと目が合うと、頬にあてていた左手を急いで左右に振り、
「ハ~イ、テスちゃん。ワタシ、ジェレミー・オーウェンよ。よろしくね~~」
とどめが、このオネエ言葉。強張った身体から、力が抜けていく。
同時になにかもするすると意識の奥底に後退していき、恐れから解放されたあたしはほっと息をついた。
「だっ、黙れ。私の名前を、幼児のように愛称で呼ぶのは止めろ!」
乱れた呼吸を抑え込み、こめかみに青筋を立てて抗議をするベレゾフスキー。彼の名前ニコライの愛称形は「コーリャ」になるんだったっけ。
とにかく、この隙に素早く簡易服を纏う。これ以上裸観られたら、恥ずかしくて死んじゃいそう。
オーウェンと名乗ったタコキャラさんが、喋りながら、あたしの側までやってきた。
「あら~、かわいいじゃない、コーリャちゃんって。
――――フン!
わかってないわねぇ。もちろん嫌がらせでそう呼んでンのよ、ベレゾフスキー」
始めは軽い調子のオネエ言葉で、最後はドスの効いた脅し文句になっている。
顔つきも、厳しいものへと変化していた。
もうキモカワキャラではない、彼はベレゾフスキーを制止することができる、ある程度地位がある人だろう。
見た目は、どうあれ。
オーウェンさんは、あたしをベレゾフスキーの視線から遮る位置に立ちふさがった。
「悪かったわね、テスちゃん。ワタシ達の落ち度だわ。
この男がこそこそ動き回っているのはわかっていたんだけど、まさかこんな強硬手段に出るとは思ってなかったのよね。油断していたわ」
「こそこそとは、なんだ。オーウェン、おまえも見ただろう。この娘は危険だ。
能力が強い。少し動揺したくらいで、この破壊力だ。
公安本部で拘束したい。能力開発局でのんびり研究などしているレベルではない」
なおもベレゾフスキーは食い下がった。青筋は、さらにくっきりと浮き上がっている。
「あんた、なに言ってンの。能力開発局の施設に忍び込んで、コソ泥みたいなことして、施設や備品破壊して、まだ難癖付ける気! テスちゃんは『開発局預かり』だって、もう決定してンのよ。
公安本部で拘束したって、能力者は危険分子扱いじゃないのサ。このレベルだから、開発局で研究対象として保護したいのよ。
能力者を厄介モノ扱いする奴に、かわいいテスちゃんを渡せるもンですか。とっとと尻尾巻いて、お帰りッ!!」
オーウェンさんの啖呵に、さしもの冷血公安ナントカ委員もたじろいだ。
完全に分が悪いことを悟ったのだろう。「覚えてろよ!」的な一瞥を置き土産に、立ち去ろうとする。
「ちょっと、コーリャ。あんたの部下はどうすンの。置いてく気なのぉ」
からかうようにオーウェンさんがその男の背中に声を掛けた。
コーリャことベレゾフスキーはピタリと立ち止まり、機械仕掛けの人形のような動きで踵を返す。
振り向いた顔は蒼白で、必死で怒りを堪えているのか薄い唇がピクピクと震えていた。
大股で倒れたままの部下ラブーフのところまで戻ると、彼の作業服の襟首を片手で掴み、無言でそのままズルズルと引き摺って部屋を出て行った。
「あ~~、帰った、帰った。ホンット、ヤな男ね、ベレゾフスキーって。
だからエリートとかって種族は嫌いなのよ。そう思うでしょ?」
楽しそうに肩を揺らして、ニコニコ顔のオーウェンさんがあたしに同意を求めた。
近距離で観るキモカワキャラのオーウェンさんは、ベレゾフスキーとはまた別の、なんとも言えない迫力がある。
あたしは勢いに押されて、首を縦に振っていた。
「それより、怪我はない?」
不意に顔を近づけられ、怯えたあたしは、後ろへと身体を引いた。
「あら、ごめんなさいね。そんなにびっくりした。そりゃ、そうよねぇ。テスちゃんは昏睡状態から目覚めたばかりなンですもの。
しかもあんなのにかどわかされかけたからって、いきなり能力を使いだしちゃうんだから。
も~~、無鉄砲な娘よねェ」
微妙なスイングで身体を揺らすオーウェンさんにボディタッチされそうになり、あたしは短い悲鳴とともに飛び上がって、さらに身体を後ろに引いてしまった。
「ああ、そうね。不用意に触られるのは、イヤよね。……こんな時だし。
ワタシが悪かったわ。気にしないで。
さあ、なにから行きましょうか。
まず、ここは惑星レチェルの首都バクラシュ郊外にある、公安安全局所属の超心理学研究局能力開発部の第4研究所兼能力開発トレーニングセンターって所よ。
ワタシは、ジェレミー・オーウェン。能力開発部所属の…まあ、手っ取り早く言えば、諜報員ってとこかしら。能力者のスカウトとか、管理指導なんかもやっちゃってるの~~。
それでワタシ、テスちゃんのスカウトに来たんだけど――――」
ああ、また訳のわからない難しい単語の行列!
オーウェンさんには申し訳ないけれど、話の途中で気が遠くなってきた。深く暗く長い穴に、滑り落ちていく感覚。
レチェルの裏側にまで行けそう……。
落ちていく途中で、鼻の下に髭を蓄えた青虫が、手を振っているのが見えた……ような気もする。
さらに落ちていくと、年寄りのウサギに出会った。丸縁眼鏡の白ウサギは挨拶も早々に、懐中時計を懐から取り出し時間を確認すると、慌てて走り出した。
「あ、待って。行かないで!」
つられて走り出す。前を行く白ウサギは左足を引き摺って難儀そうだというのに、どうしてあたしは追いつくことさえできないの?
ウサギの背中はどんどん小さくなって、消えてしまった。置いてきぼりにされ、立ち止まるあたしの足元を、銀色の小さな円盤が転がっていく。
ウサギが持っていた懐中時計だ。拾おうと伸ばした手をすり抜け、時計は転がりながら天に昇り、月になった。
鏡のような月の中には、長い黒髪の人影が浮かび――――
ゆっくりと上体をひねり、こちらを見ようとしている。
さらさらと、流れる黒い髪――――
(あなたは、誰?)
振り向いた顔は、牡丹と芍薬と百合の花で出来ていた。
(…………ッテ、来…ル)
(……これって、夢……夢よね……ゆ、め…………)
底なしの深い眠りに落ちてしまう、ほんの一瞬手前、あたしはふと思った。
――――オーウェンさんの重低音のオネエ言葉って、慣れるまでどのくらい時間がかかるのかしら?