4. 超心理学研究局能力開発部 その②
(さて、どうしたものか……)
引き攣った笑顔を浮かべつつ、カフェ・ファーブルトンのフロアマネージャー、ロイド・ドゥカブニーは足早に店の入口へと向かった。微弱ながら痛みを訴える胃を黙殺し、穏便な事態収拾のためのシュミレーションを組み立てていた。
「で、なんでおまえさんがここにいるんだい?」
顎を上げたクリスタが、鞭のようなしなやかさで腕を組み、目の前のリック・オレインを睨みつけていた。何気ない動作も美しく見えるところは、さすが人気デザイナーがイメージポスターに起用する程のモデルである。
眉をひそめた顔も、魅力的だ。非常時ではあるが、思わずドゥカブニーは見とれてしまった。
「あのなぁ……。どうしても納得がいかねぇんだよ。そりゃ、悪いのは俺だろうけど」
短か目の金髪を掻き、ムスッとした顔でリックが答える。
「わかっているんなら、これ以上テスを追い詰めるようなことをしないでくれ。相当ショック、受けてんだから……」
「そいつは、お互い様だぜ……ってか、俺の方がショックだぞ。いきなり『お兄さん』は無いだろう。この間まで一緒に寝――――」
「お客様!!」
声を上げたドゥカブニーは、店の入り口で言い争いを始めたふたりの間に急いで割り込んだ。
ひょろりと上背のある彼だが、両脇のふたりの方がさらに長身である。だが、勇敢なフロアマネージャーは怯むことなく己の仕事を全うしようとしていた。
「他のお客様の目もございます。そのお話の続きは、席の方でお願いできますでしょうか。只今ご案内いたします」
板についた営業スマイルを浮かべ――ただし目だけは笑っていなかったが、有無を言わせぬ強引さで、店の入り口を封鎖する大きな二つの壁を移動させようとした。
「アマンダ、テーブルにご案内して!」
隣でボーっと様子に見入っていた接客係のアマンダに仕事を言いつけ、いつの間にか背後に忍び寄り、隠し持った携帯通信用端末機で事の成り行きをUSNSS(宙間交流通信サービスサイト)で報告していたニナをキッと睨みつける。
彼は「カフェ・ファーブルトンの静かな午後のひととき」を守るために、最善を尽くそうとしていたのだった。
しかし懸命な彼の努力は、次の瞬間に脆くも崩れ去った。
来客を告げるベルが壊れそうな勢いでドアが開くと、ひとりの青年が飛び込んで来たからだ。
「大変だ。この店の制服着た女の子が、事故に巻き込まれた。あれ、多分、テスじゃないか……って! リック、……リック……いるか、リック!!」
店中に響き渡る大声の主はカヌレ大の学生で、リックの友人だった。
偶然事故の瞬間を目撃し、携帯通信用端末機の呼び出しに応答しない彼のために、急を知らせに走ってきたらしい。ニナのUSNSSのお喋りのおかげで、リックの居場所は見当がついていたという。
USNSSも、たまには人の役に立つこともあるのだと、ドゥカブニーは感心した。
かといって、容認は出来ないので、さらなるツイートに余念の無いニナの鼻先に仏頂面を突きつける。ついでに、肩で息をする彼のために、水を持ってくるように言いつけた。
新たに飛び込んで来たニュースは店内に衝撃を走らせ、「静かな午後のひととき」は影も形も無くなってしまった。
客も従業員たちも、誰もがいっせいに口を動かし始めたのだ。もはや収集をつけるのは困難だ。ドゥカブニーは、潔くさじを投げることにした。
テーブルに移動しかけていたリックとクリスタが、足早に入口まで引き返してきた。ドゥカブニーを含め、3人で顔を合わせ、耳を疑うような事実に困惑の表情を作る。
「それ、本当かよ!」
リックが友人に詰め寄った。彼は、何度も首を縦に振る。
「こ…この先の……、2ブロック先の交差点だ。暴走車に老人が撥ねられて、側にいたテスらしい娘が悲鳴上げていたんだけど、そのうち交差点付近の電気系統がすべてショートしてみたいになったんだ。
そしたら事故現場のあたりが急に眩しくなって、スパークしたような光の球がいくつも現れて……。
驚いているうちに救急車が2台到着して、爺さんとテスを乗せて別々の方向に走り出したんだ。それが事故ってから、1~2分の出来事で……」
興奮状態の為か言っている事に多少の疑問の感じたが、あらましは了承できた。テスが事故に巻き込まれ、救急車でどこかの病院に運ばれたということだ。
こうなるとリックは行動が早い。ぴたりと張り付かれた対戦チームの防御を出し抜く素早さで、駆け出そうとした。
「ちょっと、待ったぁ」
走り出したリックの腕にクリスタの長い腕が絡み、体重を掛けるようにして引き留めた。
身長差はさほどないふたりだが、体格は大いに違う。脚を止めさせるための咄嗟の行為だったが、見様によっては、急に男にしな垂れかかった風にも見えかねない。クリスタとしては不本意だが、こうでもしなければスモールフォワードを務めるバスケット選手の足を止めることなど不可能だ。
「リック。やみくもに走ったって、仕方ないだろ。ちょっと待ってな!」
クリスタの片手には、携帯通信用端末機が握られていた。誰かを呼び出しているらしい。3回のコールで、相手につながった。
「ハイ、メリル。おまえさん、今、まだ病院にいる?
ああ、そう。よかった、ちょいと頼まれてくれないかい。……うわっ、待ってくれ。こっちの要件が先だ、緊急だって!
調べてほしいんだ、そう……救急で、テスが運び込まれていないかい?
あ~~、仔細は後で詳しく説明するから、とにかく先にいるかいないかを……ん~~、大至急頼む!!
あ、通信、切るなよ」
心配で凝り固まったリックに、通信末端機から目を離したクリスタが説明する。
「かけた先は、医学部のメリル・ペタンクールだよ。
彼女はボランティアで、カヌレ大学病院の小児病棟の子供たちに、絵本の読み聞かせをしていてね。確か今日も行くって言っていたから、あわよくば確認してもらおうと思ってさ。
ここから搬送されるんならあそこが一番近いし、救急医療施設も充実しているから確率は高い」
絡めた腕を外し、焦る大男を落ち着かせるために、背中を一発ポンと叩く。
リックは黙ってうなずいた。額に汗を浮かべ、顔色も悪い。ソワソワと小刻みに身体を揺らし、視線も定まらないのは不安で仕方ないのだろう。
やはり嘘のつけない男だな、と彼女は思っていた。
年長者であるドゥカブニーが、静かに声を掛ける。
「無事であれば良いのですが。……ああ、クリスタ嬢。よろしければ、通信末端機の音声をスピーカー仕様にしていただけませんか。そうすれば手間が省けましょう」
そうだとうなずきクリスタが操作をした直後に、携帯通信用端末機から興奮した高い声が溢れてきた。
「……クリスタ、クリスタ、聞いていらっしゃいますの!
今、確認していただいたのですけど、テスが運び込まれたと云う記録はございませんわ。30分前に階段から落ちたおばあさんが搬送されて来ましたけど、それ以降は緊急搬送は無くってよ。
無理を言って、他の病院にもあたっていただきましたけど、該当無しですわ。
それどころか、救急車の出動要請もございません。もちろん、外来にも受診記録はありませんでした。
承知していらっしゃると思いますけど、医療サービスを受けるのなら、身分証明書の提示が必要でございましょう。所持していなくたって、それなりに記録は残るはずですわ。……でなくては、医師も治療に取り掛かれないのですもの。
それが、ありませんの。救急搬送されたのであれば、記録がないなんて、なおさら有り得ません。……念を入れてレチェルの医療機関全部チェックしていただきましたけど、テスらしき患者を受け入れた形跡は全く無いのですわ。
それ、間違いではございませんの?
でも、テスはどうしたんです? 救急って、どういうことですの? あの娘、どうなっていますの?
クリスタ、説明してくださる約束でしょ。……やだ、あの娘事故にでもあったんですか?
ねえ、クリスタ、クリ――――」
クリスタは無言で通話を切っていた。
空気は、一気に重くなった。
「てっきりあそこだと思ったんだが……。あと、可能性があると言ったら……」
「首都のバクラヴァなら、病院数も多いし……」
「いや、病院の規模や設備、医師の数とか……カヌレ病院の方が勝っている。
なんたって大学の附属病院だからな。救急医療チームも優秀だって評判だ。
だからバクラヴァからカヌレ病院に患者が運ばれるケースはよく耳にするが、その反対のパターン……って。
そうだ、個人病院に運び込まれた可能性ってのは……」
たまらず、ドゥカブニーは口を挿んでいた。
「待ってください。言っていませんでしたか。他の病院にも該当が無い上に、救急車の出動要請自体が無かったと……」
ふたりは、うなずくことさえできなかった。
「運ばれたのが、テスじゃなかった……ってことは……」
「だって、カフェ・ファーブルトンの制服着てたんだろ! 俺は、友人の目を信じるからな」
「じゃあ、テスはどこへ行っちまったんだよ!!」
(どうなっているんだ、テス……)
言い争うリックとクリスタの後方で、ドゥカブニーは顔をしかめ、しくしくと痛む胃を抑えていた。
前回も嘆きましたとおり、約200年後の通信機器事情は予測が付きません。
あくまでも小説ですので、小道具はストーリーを面白くするための道具として、ゆる~く容認してください。
携帯通信端末機・・・電話やメールに加えて様々な機能を備えたスマートデバイスの一種。ス〇ホ!?
USNSS(宙間交流通信サービスサイト)・・・ユニバーサルソーシャルネットワーキングサービスサイトの頭字語。SN〇ですね。