4. 超心理学研究局能力開発部 その① ☆
カフェ・ファーブルトンのフロアマネージャー、ロイド・ドゥカブニーは軽い頭痛を感じていた。おそらく今日は、「BAD DAY」なのだろう。朝からトラブル続きだ。
そう、なにをやってもうまくいかない日はあるものだ。それが、たまたま今日だったのであろうと納得することに決めた。
出勤してみれば、開店前の準備は遅々として進んでいなかった。従業員たちは、こぞって噂話に花を咲かせていたのである。
ドゥカブニーは無責任な噂話は嫌いだ。だから普段なら聞く耳をも持つこともない。しかしこの日に限っては、少しばかり様子が違った。彼らがひそひそと交わす内容に、思わず足を止め、耳を傾けてしまった。
そして耳を疑う――。
が、フロアマネージャーはいつまでも噂話に関わってなどいられない。自分の立場を思い直すと、ざわつく彼らを叱咤し、なんとか時間までに店の中を整え、いつものように笑顔で客を迎えたのだった。
だからと云って、ドゥカブニーの頭の中から不愉快な噂話が消えた訳でも無かった。
(テスが、リックと別れたって!?)
それが噂話の内容だった。あくまで噂話であるが、ドゥカブニーは眉をひそめた。
(信じられないがなぁ)
噂の主であるテス・ブロンは、このカフェでバイトをしている娘だ。接客担当で、少々そそっかしいのを割り引けば、明るくて真面目で働き者。
この秋、カヌレ総合大学に入学したばかりで、確か一般教養を専攻していると話していた。奨学金制度を利用しているとのことだから、のんびりしているようだが、それなりに優秀なのだと思う。
バイトは、学費や生活費の足しと、極度の人見知りの改善の為らしい。女の子なのだからなにかと物入りだろうし、お小遣いも欲しいだろう。故郷の田舎のコロニーからすれば、ロクム・シティは都会で、物価も高いに違いない。
しかし……人見知りはどうだろう。多少引っ込み思案なところは見られるが、人当たりもよいので客からの評判はよく、他の従業員たちからもかわいがられている。まあ何事も、見た目だけではわからない。
本人にとっては、大問題かもしれないからだ。
ドゥカブニーは接客を生業としていたから、容姿も他人より辛目の採点になる。だからテスの最初の印象は、かわいらしいがあか抜けない純朴な田舎娘と云う処であった。
くせのあるショートヘアのプラチナブロンドと、こぼれ落ちそうな大きなライトブルーの瞳が愛らしいベビーフェイスで、いつも明るい笑顔を絶やさない。
小柄ながらメリハリのついた体型の持ち主で、しばらく前にもてはやされた、トランジスタグラマーと云う形容が当てはまるのだろう。
そのアンバランスさも無意識のうちに魅力に変え、周囲に優しさと愉しさを振りまいているような娘なのだ。求人広告を持って面接にやってきた彼女を見て、ドゥカブニーはひと目で気に入り、フロアに入れた。
読みは当たっていたらしい。テスは日に日に洗練されて、美しくなっていった。
ルームシェアの友人が、新進モデルのクリスタだということも大きな影響を与えているのだろう。
客のあしらい方も、徐々にコツを掴みつつある。厳しいマネージャーの目からすれば、まだまだの点も多いが、努力は認めなければならない。
テス自身は気付いていないのだろうが、早くも常連客の中には、彼女を贔屓にしている紳士やご婦人方もいるほどだ。
そのテスが、カヌレ大学が誇るバスケットボール部のスモールフォワード、リック・オレインと付き合っていると聞いた時には、少なからず驚いたものだ。
同僚で先輩格のニナとアマンダは嬌声を上げ、熱烈なリックファンであるウェイターのジョンは、なぜか握手を求めた。
ドゥカブニーもカヌレ大学の卒業生であり、学生時代からバスケットボールは熱心に観戦に行っていたクチであるから、「クラッチシューターのリック」はよく知っていた。
高校時代、無名のチームをアステロイド星系高校バスケットボールリーグで最高成績ベスト4にのし上げたのは、リックの活躍によるところが大きかった。
その注目選手がカヌレ大学のバスケチームに入ったと知った時は、ドゥカブニーも大いに喜んだ。程なくレギュラーメンバーの座を勝ち取ったリックは、期待通りカヌレ大の勝利に貢献している。
ボールを持つと大胆不敵で豪快な彼も、コートを離れればナイーブで優しい青年だ。
田舎から出て来たばかりで都会生活が不慣れな恋人を、バイトが終わる時間になると、店の裏手でこっそり待っている姿をよく目撃していた。
手をつないで、楽しそうに会話をしながら帰って行く様子を観ていると、ドゥカブニーの心がじんわりと温かくなった。
彼の目には、テスとリックはお似合いのカップルに見えたのだったが……。
ともかく、噂を頭から信じることはできない。
開店すれば、席は客で埋まる。すぐにランチタイムが始まる。目が回るように、忙しくなるのだ。
今日のシフトにはテスの名前もある。噂の真偽は、本人に確かめれば良いのだ。
どうせ「え~~~、それって嫌がらせですかぁ。デマですよぉ」と、鈴を転がしたような声で笑いながら否定するに決まっている。
ひそかにテスとリックの恋愛を応援する、心の広い父親の心境になっていたドゥカブニーとしては、認めたくないものがあった。
そんなカフェ・ファーブルトンのフロアマネージャーの心境を逆なでするように、店はトラブルが続いた。
ウェイターのジョンは注文を間違えるし、アマンダは客とぶつかって皿を落とす、ニナはポケットに忍ばせた携帯通信末端機の受信メールをこっそり読むのに余念がない。そしてその内容を、同僚たちに伝達して回っている。
日頃噂話には興味を示さない店長さえ、いつの間にか話に加わっており、ドゥカブニーに問い掛けてきた。
誰もが、あのふたりの恋に行方に注目していた。
そこへ泣き腫らして目を真っ赤にしたテスが、飛び込んできたのだ。バックヤードは、ハチの巣をつついたような状況になった。
ランチタイムに入り、ただでさえ店は忙しいのである。こんなこせつかない状態で乗り切れるのかと、ドゥカブニーは一抹の不安を感じた。
しかも、あの腹立たしい噂は、どうやら本当だったらしいのだ。
(なんてこった……)
フロアに立つドゥカブニーは、笑顔の下で、大きな溜め息をついていた。
テスを呼びつけ事の真相を問い質したい気持ちを抑え、お客様に心地よい時間を味わっていただくために心を砕き、従業員を叱咤し、ランチタイムの繁忙をなんとか乗り切ろうかと云う時に、またトラブルが発生した。
そこまでなんとか平静を装っていたテスが、突然泣き出したのである。
堪えていたのであろう。ドゥカブニーとしては、「ここまでよく頑張った」とねぎらいの言葉を掛けてやりたかったが、他の従業員の手前そうもいかない。
ありがたいと云うか、客のひとりが彼女と話をしたいと申し入れてきたので、渡りに船ではないがテスに休憩を与えた。
涙の止まらない傷心のテスに救いの手を差し伸べたのは、従業員たちが「隅の老人」と呼ぶ、このところ毎日訪れる少し変わった客だ。
なにを話したかは知らないが、和やかとは言い難い雰囲気だった。険悪とは言わないが、様子が異様だったのである。
注意を払ってみていた訳ではないが、テスのお腹の虫が鳴いたところまでは、なにげない会話を交わしていたように見えた。
その後、ふたりとも表情が強張り、あの一画だけ空気が凍りついたようになっていた。
やがて客は帰って行ったのだが、忘れ物を届けるのだと言って、テスは飛び出していった。
そして、また、トラブルが発生しつつあるようだ。
店の入り口で一歩も引かずにらみ合う、長身のふたりをどうしたものだろう。「クラッチシューター」のリックと、「新進人気モデル」のクリスタ。
(早く帰ってきてくれ、テス…………)
ドゥカブニーは、胃を抑えた。
♡ ♡ ♡ ♡
気が付いたら、カプセルの中だった!
たぶん医療用カプセルとかいう、人間が入れる繭みたいなベッド。
内部に収容された患者の生命維持と回復の促進を目的とし、外部と患者の完全な遮断と、医療機関への輸送の安全性と機能かと実現し――のなんたらかんたらで、別名『透明の繭』とか呼ばれているアレよ、アレ。
なにせ健康が取り柄のあたしとしては、今までお世話になったことは無いものだから、カプセルの内部なんて初めてで、乏しい知識を総動員して、おそらくそうだろうと思いつくのにしばらく時間がかかった。
あたしの故郷の惑星ポルボロンのド田舎の町には、こんな便利な文明の利器 は無かった。
宇宙船は光速で星間ハイウェイをを飛び回る時代に、ガタゴト道を四輪駆動の車で移動するのがトレンドって土地柄なのよ。
医療用カプセルどころか、医者にさえ、滅多に掛かったことが無かったわ。
大抵の病気や怪我は自分たちで治療したし、命に係わる……なんてことになると、大きな都市の病院に搬送した。「ここは忘れられた世界か!」って妹のアニュスは文句を言っていたけれど、へき地のコロニーなんてみんなこんなモノよ。
だからこのカプセルって、ちょっと憧れだったのよね。一度、入ってみたいなって。
寝心地は、最高よ。薄暗くて、少し涼しくて、水中をフワフワ漂っているみたい。
ああ、ホントに海の中にいるような気がする。
中学生のころ、夏休みの体験スクールでスキューバダイビングをしたことがあるの。初めて海に潜って、魚と泳いで、水面を見上げた時と同じように、ゆらゆらと揺らめく遠くやわらかな光源があたしを照らしている。
(――――繭の中の小さな海だわ……、わぁぁ……)
海の無い土地で育ったあたしにとって、海ってキラキラとした憧れなのよ。
たった2週間のプログラムだったけど、生まれて初めて海のそばで生活したあの時の体験は貴重な思い出になっている。張り切って泳ぎ過ぎて、足が攣って溺れかけたのだって、あのときは焦ったけど、今ではいい笑い話だわ。
そんなことを思い出していたら、幸せな気分になって、なんだか口元がほころんじゃった。
センサーが脳波の変化を感知しているのかしら、カプセル内に変化が起き始めた。
海底から水面に上がって行った時と同じように、光は少しずつ眩しさを増していく。ひんやりしていた管内も、緩やかに暖かくなっていく。
あたしの目覚めを促しているみたい。そんなことより……、
(ここは、どこなんだろう……)
あたしはゆっくりと目を開いた。
部屋の中は薄暗い。カプセルの中からは、外の様子は窺い難い。
記憶によれば、確か『繭』の前面と側面2/3は、治療中の患者の容体を目視でも確認できるように、透明の強化樹脂ガラス張りのハズよ。だから『透明の繭』って別名があるんでしょ。
ああん、外部からは確認できても、内部からは出来ないのかしら。
そんなことを考えていると、やがてぼんやりと配管が見えてきた。数メートル先の白い壁に、色別に太いのから細いのまで、何本も並んでいる。空調機の排出口も見える。
どうやら目の前にひろがる壁は天井のようで、カプセルは横に寝かされているのだと思い当たった。
患者であるあたしの目覚めを感知したのか、カプセル内は、カーテン越しに感じる朝日……くらいの明るさになり、気持ちの良い鳥の鳴き声が響いている。
いつの間にか、海底からビーチリゾートの木陰のデッキチェアまで移動した気分だわ。これでトロピカルドリンクが出てきたら、最高かも。
心地よい目覚めだけれど、カプセル内の方が部屋より明るいから、ますます周りの状況がわからなくなっちゃった。
(――――ひィ!!)
不意に目の前に、人の顔が現れた。
驚いて、身体がびくりと大きく反応する。
なんたってその人は、大きなマスクで鼻から下部を覆っていて、目元だけしか見えなかったから。無表情にあたしの顔をじっと見つめると、すぐに消えてしまった。
(……目……、無表情の眼!!)
身体が大きく震えた。
思い出したくないことを、思い出してしまった。さっきまでのリラックス感など、一瞬で吹き飛んだ。
全身が粟立つ。
(隅の老人が……!!)
あたし……どうしたんだっけ……。
「隅の老人」を追いかけて、横断歩道で声を掛けて、……そこに暴走車が……。
(そのあとは……、そのあと……覚えてない!!)
だんだん不安が募ってきた。耳を澄ませば、カプセル内を満たす鳥の声に混じって、外部の微かな機械音が聞こえる。微量の音も、もう耳障りな不協和音にしか聞こえない。
それからカプセルは非常にゆっくりと回転を始め、横に寝かされていたものがほぼ垂直にまで起こされた。
感じられるかどうかの振動で回転が停止すると、前面のガラス部分がすべてクリアになる。その中央に上から下へ縦のラインが走り、カチリと云う軽い音がして前面部分が左右に大きく開いた。
周囲の音と光が、いっせいに飛び込んで来る。
(……ぅ…わぁっ!!)
咄嗟に受け止めきれなくて、ぎゅっと目を瞑ってしまう。
(……ねえ……ここどこなの?……)
押し寄せてくる恐怖心に負けそうになりながら、あたしは自分の中の勇気を総動員して、『透明の繭』から足を踏み出した。
2022/4/24 挿し絵を追加しました。