18. トランキライザー・ブルー その③ ☆
突然現われたエア・カーに引きずり込まれたテスは!?
声を出す暇も余裕もなかった。
身体はワゴン型のエア・カーの後部座席へと引きずり込まれていく。突然のことで、抵抗することさえ思い浮かばなかった。
「早く発車しろ!」
運転席に向かってあたしを取り押さえている男が叫ぶ。車の中には後部座席にその男がひとり、運転席にも男がひとりの計2名。
後部座席の一部とトランク部分は改造されていて、PCやら通信機器などの精密機械がコンパクトに並べられている。さらに数基の小型空間モニター画面が行儀よく並び、ロクム・シティ内各所の映像をチェックしていた。
その画面には、ここダリオル通りやクラビエデス通りの様子を映したものもある。
(――なんなの、この人たち?)
車体を持ち揚げる空気圧が上がった。微妙な振動は発車しようとしている証明。
取り押さえられたあたしは後部座席の上に転がされ、がっしりと後ろから覆い被さるように体重を掛けられて身動きも出来ない。
(どうしようっていうの!?)
知らない男に無理矢理身体の自由を奪われている、と云う不快感が身体を縛り付ける。気持ち悪い。
あたしは、この男と接触することを「厭わしい」と感じているんだ。
頭の中は真っ白になった。
痛み出す頭。こめかみの辺りがドクドクと脈打って、破裂しそう!
能力が暴走する前兆。ダメだってば、ダリオル通りで能力は使えないわ。使用禁止区域内だもん。
あたしの名前を呼ぶマオの声が。彼はどこ?
首を動かすと、エア・カーのオートスライド式のリアドアが閉まりつつある。
(ああん、閉まってしまう)
離れていた距離を一足飛びに駆けつけてきたマオだけど、無情にもドアが閉まる方が先だった。あたしたちは無情な扉の内と外に隔てられて……
♡ ♡ ♡ ♡
――と落胆しかけたとき。
激しい音と共にリアドアが開いた。発車しかけていたエア・カーの車体が、衝撃で大きく揺れたほどの!
マオよ。マオってば、オートスライドドアがぴたりと閉まる寸前に隙間に靴先を差し込んだの。
乗り物のオート式のドアって、閉作動中に差し込みや引っかかりを感知すると、安全のため機能が停止するでしょう。それを利用して一旦作動を停止させたリアドアを、今度は挟んだ右足を90度傾けて横に一蹴り。
その衝撃で、車体から外れそうな勢いでドアは横に滑って。
後部搭乗口は全開の状態になった。
異常を感知したエア・カーのAIコントロールシステムは、慌てて安全機能装置を作動させ、車体を浮揚させていた空気圧を下げる。システムは全てにおいて「安全」を最優先するから、エア・カーは自動的に停車状態にロックされたの。
車体が沈んだ拍子にバランスを崩した男の身体は後方へ傾き、そのせいで装置を並べた棚に頭をぶつけた。悪態はついても拘束を緩めてはくれないのね。
マオがドアの敷居に脚を掛けた。
するとタイミングを見計らったように、エア・カーはいきなり圧縮空気を大量に吐き出し車体を上昇させる。そして、ゆりかごみたいに左右に大きく車体を揺らした。
衝撃でマオは車外に振り落とされ、あたしと男はシートの上から転げ落ちる。
運転席の男が、自動運行システムを手動に切り替えたみたい。派手にアクセルを吹かせる度に、床下から圧縮空気を吹き出す振動が伝わってくる。
ドアが閉まらないまま、強制発進しようっていうのかしら?
あたしの心配は無駄になった。軽い作動音と共に、リアドアが閉まろうと緩やかに動き出した。ああん、ドアが閉まったらエア・カーは発進するわ。
(あたしはこの男たちに、どこかへ連れ去られてしまうの!?)
(助けて、マオ!!)
舗道に落されたマオはもう体勢を立て直していた。再度ドア横に取り付くと彼は右脚を蹴り上げる。
そして、そのまま動き始めたリアドアを靴底で堰き止めた。すました顔で。
けれども、当のマオは相当怒っているらしい。
目が据わっている。
左手は屋根に、右脚はリアドアが閉じようとする動きを止め、上体を少しかがめ車内を見渡しつつ、左足一本で立っていると云う、かなり不安定な姿勢にもかかわらず微動だにしないところは、えーっと……博物館で観た、なんて言ったっけ?
――そうだ。護法善神みたいだよう!
これで憤怒の表情だったら間違いなく護法善神なんだろうけど、彼は怒ると無表情になるタイプらしく、目だけが怒りの炎を燃やしているのが怖い。
お顔が整っているだけに、そういう表情はなおさら怖い。後ろの男がゴクリと息を飲んだのがわかった。
「早く発車しろ!」
「ダメだ。アクセルを踏んでも動かない」
あたしを拘束する男と、エア・カーのハンドルを握る男が押し問答を始める。
その間も運転手はどうにか動かそうとアクセルを踏見込んでいるみたいだけれど、マオが屋根に手を掛けたりドアが閉まらないようにしたりと荷重を掛け、コントロールシステムに誤作動を誘発させているから安全装置が浮揚を許さない。このまま発車すれば、搭乗者がケガをすると判断しているからだ。
長い黒髪が大きく揺れ、彼はエア・カー内に半身を乗り入れてきた。
「テス、こっちだ!」
伸ばされた手にあたしはすがり付こうとする。すると腰に回された腕に、グイと後ろに引き戻された。
「ダメだよ、逃がすわけにはいかないんでね」
声に反応して、あたしは腕の主の顔を見た。
(――――ひィ!)
この顔……っていうか、この目、見覚えがある。
じっとあたしを見つめる無表情な冷たい目。今はマスクで顔を覆っていないけど。
レチェル4で別名『透明の繭』と呼ばれる医療用のカプセル型治療装置の中に寝かされていた時、ベレゾフスキーと一緒にやって来たエンジニアの人。確か名前は、ラブーフとか呼ばれていた人だ。
(あたしの全裸姿を覗いていた男~~!)
えっ、なんでこんなところにいるの?
いいえ。それより、あたしをどうするつもり!?
(コイツハ、アノ男ノ部下ナンダカラ、アノ男ノ命令デてすヲ捕マエニ来タンデショ)
(ベレゾフスキーの!!)
ラブーフの目が、いやらしく歪む。身体の底から沸いた虫酸が、全身を走った。
逃れなきゃ! でも、身体が硬直してしまったの。伸ばしかけて強張ってしまったあたしの手。
視線はなすすべもなく彷徨う。
様子がおかしいと察したマオは、即座に車内へ飛び込んで来た。動かせなくなった手を掴むと、渾身の力で身体ごとあたしを引き寄せてくれた。
胸に飛び込むような形で、あたしの上半身は彼の元へ。
かき抱くように、彼の腕があたしの背に回される。その力強さにドキリとしながら、あたしも彼の首に腕を回す。
ためらいも、戸惑いもなかった。だって掴まりたくない、離されたくない一心だったんだもの!
彼の体温を感じることで、不安しかなかったあたしの心に勇気と怒りが沸いてきた。こいつらに掴まるなんて、絶対にイヤ。
だからしつこく腰にすがり付くラブーフを振り払おうと、身体を捻ったり揺すったりしたんだけど、男は離れるどころか一層しがみついてきた。
そればかりか、腕を伸ばし身体の上にのし掛かってきた。
「駄目だってば。逃がす訳には……」
中肉中背の男だけど、よほど上司(あいつよ、ベレゾフスキー!)が怖いのか、必死で張り付いてくる。成人男性の体重は結構重い。さらに狭い車内では内装や取り付けられた装備品が邪魔をして、こちらも思うように身体を動かせないの。
それでも抵抗を試みようと、あたしは足をバタつかせた。すると靴のかかとがラブーフの脛に当たって、そこそこのダメージは与えられたみたい。
ヤツが怯んだ隙にあたしはマオの方へとにじり寄る。彼があたしの身体を引く。呼吸を合わせて、開きっぱなしになっていたドアの方へと身を寄せると、エア・カーが大きく揺れ、また奥へと引き戻された。
ああん、運転席の男が邪魔をしたぁ。あと少し、あともう少しで車外へ出られるところだったのに!
ううう、めげないもん!
あたしは身体を揺り動かした。その弾みにラブーフの右腕が座席のどこかにぶつかったらしく、苦痛の声を上げた。
締め付けが緩んだので今がチャンスともがいたら、男の左手はサロペットの腰の辺りを鷲掴み、引き裂くんじゃないかってくらい強く引っ張った。
その上もう一方の手が、胸当ての上から胸の膨らみを押さえ付けてきた。さらにあろうことか、指をいやらしく動かし始めたから、
「ひッ……ひやぁ……ん!」
情けない悲鳴を上げてしまった。しかもマオの耳元で。
怒りと恥ずかしさで顔から火が出たけど、こんな声を聞かされた彼の方も目を見開いてギクリとした顔をしている。
女の子みたいなきれいな顔をしているとはいえ、彼は思春期の男の子。その耳元でこの声はマズいとは思うけど、思わず口からこぼれちゃったものは仕方ないというか。
ああーん、羞恥心が先に立っちゃってマオの顔が見られないっ!
でもラブーフは止めようとしないばかりかさらに弄ってくるから、さすがに抗議をしようと口を開きかけた矢先に。
マオの左脚――正確には左脚に履いていた靴の底だけど――がラブーフの顔面を直撃していた。
セクハラ男の身体は頭から床にひっくり返り、その反動であたしたちは車外へ転がり出る。
クラビエデス通りでの時もそうだったように、庇ってくれたのであたしは痛い思いはせずに済んだけど、彼は身体が歩道の石畳に着いたとき少し顔をしかめたから、強く打ったかもしれないわ。
「だっ、大丈夫?」
「受身取ったから」
彼は素早く立ち上がると、あたしを立ち上がらせるために手を貸してくれた。
でもね、マオ。いくら相手が悪いとはいえ、顔面を靴底で蹴るっていうのはやり過ぎではないのかと思うんだけど……。
「あいつの心配をするの?」
「そういうわけじゃないけど……」
一呼吸置いて、
「あいつの最低な行為に――腹が立ったから!」
そう言うと、なぜだかプイッと顔を逸らしてしまった。彼のいつになく子供っぽい反応は、あたしをきょとんとさせたの。
その間も、車内ではラブーフが騒いでいた。
鼻を強打したラブーフは、鼻血と怒りで赤く染まった顔を醜く歪ませて、ジャケットの内側に隠し持っていた小型の銃を取り出し、あたしたちに向けて構えた。
後退るふりをして、マオがさりげなく身体をずらしてあたしを庇う。
「ホラ、これが見えるだろ。ふたりとも撃たれたくなかったら大人しく言う事を聞くんだ。こっちに来い!」
武器まで持ちだし余裕があるようだけど、声には焦りの色が隠せていない。目線も忙しなく動いている。あんな状態で発砲されたら弾はどこに飛んでいくかわからないわ! そっちの方が怖いかも。
一方、マオにもラブーフがベレゾフスキーの部下だと察しがついていたみたいで、
「上司より往生際が悪いやつだな」
と眉をしかめてみせた。
えー! それより銃口がこっちを向いているのよ。焦る気は無いの、マオぉ!?
反対にラブーフは興奮していて、今にも引き金を引きそう。
(どうしよう?)
念動力を使って銃を取り上げるって事、出来るかしら? 他を傷つけることなく、あの銃だけ排除出来ればいいのよ。
ふぇん。言うのは易しだけど。
制御が……。
(ヤラナキャ、ヤラレルワヨ)
その前に。
ここは一般市民居住区で、許可無く能力を使っちゃいけない場所よ。防衛や救助の為なら後で始末書を書けばいい、ってアダムとディーが言っていた。
ただし、あのふたりの言い分だから鵜呑みしていいとは思えない――思っちゃいけない節もある。
どのみちクラビエデス通りで無断使用しているから反省文も書かなきゃならないんだろう――から、こういう時こそ毒を食らわば皿まで……で。
あ、でも。制御がぁぁぁ。
(ホラ、早クシナイト!)
あーん。このままじゃあたしたち……。
♡ ♡ ♡ ♡
その時、後方からクラクションの音が大きく響いた。
一度ならず、二度三度。
目をやればラブーフたちのエア・カーの後ろに、大型の黒いリムジン型のエア・カーが停車していた。クラクションはそのリムジンからだ。
ダリオル通りはそこまで道幅が広くはない。道路脇に停車する車があれば、大型車には迷惑でしかないわよね。だからなのか進行方向を塞ぐラブーフらのワゴン型のエア・カーに、道を空けろとばかりに、威圧的な音を何度も浴びせかけている。
後で考えてみれば、対向車はいなかったのだからワゴンを追い越していけばよかったはずなのに、このときリムジンはそれをしなかったのよね。
続けてクラクションを鳴らしていた。ワゴン車にさっさと消え失せろと怒っているみたいに。
高級車のクラクションは、人通りの途絶えたダリオル通りに鳴り響く。そのうち聞きつけた通行人が何事かと駆けつけてくるかもしれない。
「く、クソぅ……」
ラブーフは憎々しげに黒いリムジンを睨むけど、高飛車なクラクションの音に負けたのか、居丈高なリムジンの姿に萎縮したのか運転席の男に退却を指示した。
開けっ放しだったスライドドアが閉まりきらないうちにエア・カーは空気圧を上げ、車体を走行可能高度まで上昇させた。
途端、いきなり加速してダリオル通りを猛スピードで西方面へと走って行く。
するとそのワゴン車輌の後ろにピッタリ張り付き、追い立てるようにして、黒のリムジンも走り去っていった。
♡ ♡ ♡ ♡
周囲が静かになると、秋の夜風がダリオル通りを吹き抜けた。染みるような寒さを感じる。
高ぶっていた感情が一気に冷め、今度は凍り付くような恐怖感があたしを支配しようとしていた。
血の気が引いて、汗が背中を流れ出して、顔も引き攣っているのがわかる。
鳥肌が立つ。
凍えそう。
感情がパニックを起こしかけている――!
「テス」
マオの息混じりのしっとり声が優しくあたしの名前を呼んだ。
次の瞬間、冷たい呪縛が解けた。大きく息を吐く。
彼の声にホッとして……。
安心して……。
「マオ。お願いがあるの」
「なに」
「急がなきゃいけないのはわかっているんだけど……。少しだけ……少しだけ、待って欲しいの。今頃になって、怖くなっちゃって。震えが止まらなくなっちゃって。あはは、ヘンよね。でも……。
ちょっとだけ、泣きたくなっちゃって……」
言い終わらないうちに、涙がぽろぽろこぼれてきたよぅ。
一生懸命ガマンしていたのに。ホッとしたら、涙腺が言うことを聞かなくなってしまった。泣き顔を彼に見られたくなくて、咄嗟に両手で顔を隠す。
だって絶対にヒドい顔をしているんだから。マオに見せられないじゃない。
ついでに嗚咽も飲み込もうと躍起になっていると、彼の右腕があたしの背中に回され、包み込むように引き寄せられた。
ふわりと暖かい空気に包まれたみたいで、身体から緊張感が溶けていくのがわかった。
白いアウター越しに、彼の早い鼓動の音が聞こえる。
「ごめん、僕が油断した」
耳元で、沈んだ彼の声。
「……あなたに謝ることばかりだね」
違う。クリスタとのお喋りに夢中になって、浮かれて、周りを見ていなかったあたしが悪いの。それにこれは元々……。
(巻き込んだのはあたしなのに!)
うつむいたままのあたしの顔から、ポタリポタリと大粒の涙が舗道に落ちる。
ああん。もう限界。
「――さ、3分。3分だけ……な……泣いても、いい?」
マオがそっと笑った。
「じゃあ、5分だけだよ」
やわらかな声に、涙は安心して溢れ出て来る。
どうしよう、涙腺が崩壊したかもしれない。
(もしも……涙の海であたしが溺れたら、マオは助けてくれるのかな?)
子供みたいに泣きじゃくるあたしの頭を、彼は軽くポンポンと撫でてくれた。
イラスト:八木愛里様
『テスとクリスタ』にご来訪ありがとうございます。
八木愛里様、かわいいテスのイラストをありがとうございます。早速飾らせていただきました。
若々しくって、絞りたてのフレッシュジュースみたいなテスだな~と♡
物語は最後のクライマックスへやって来ました。女王駒盤外戦(誤字じゃありません)なんとか振り切ったようです。
そして、ようやくテスとマオの距離が……。
アパートメントまであと少し。ダリオル通りからボストック通り4番地まで。
クリスタとの待ち合わせは? マオは宇宙ハイウェイ特急バスの最終便に間に合うことは出来るのでしょうか?
それでは次回をお楽しみに!