18. トランキライザー・ブルー その① ☆
マオは、これまでになく強引だった。あたしの手首を握ったまま、蜂の巣をつついたような騒ぎになっているクラビエデス通りを外れて、一番近く脇道へと入ろうとしている。
彼が大股でずんずん進んでいくから、引かれるあたしは小走りでついて行くことになる。ううん、半分引き摺られているよ。
だって歩幅にかなりの差があるんだもん。
待ってと言っても聞いてくれないし。
それより、ホントにこの場からいなくなっても良いのかと不安でアダムとディーを振り返れば、「早よ行けや!」と思念波で追い打ちを掛けられた。
マオに強く握られた手首が痛い。彼の見た目は花を欺く美人さんだけど、大きくて少し骨張った手は間違いなく男の子のもので力強い。
こんなにがっしりと捕まれたら抗うことは出来ないわ。しかも熱を持った手のひらから、彼の高ぶった感情が伝わってくる。
接触感応能力。
どうしよう。読むつもりはなくても、感じてしまう。あたしは彼の手を振り払おうとした。
「だめだ。あなたは一刻も早くこの場から遠ざからなければいけない」
余計に強く力を込められ、グイと引かれる。
ダメよ。そんなに強く引っ張ったら、身体がつんのめっちゃう。なのに。あたしの抗議など耳も貸さず、マオは薄暗い石畳の路地を進んで行く。
反対にあたしの脚は、いやだいやだと駄々をこね始めて――。
そこは道幅が2メートルも無いような、狭い路地だった。
入り口の両側にそそり立つのは金融機関が入居している建物。時代の先端を行く設備と警備体制を誇る内装設備とは裏腹に、ロクム・シティの景観条例に従って整えられた外観は、古めかしい石造りの重厚でいかつい外壁をみせている。
そうは言っても惑星改造で作られたこの惑星の歴史は50年足らずだから、どの建物もわざと年期がかったように加工して見せかけているだけよ。
遠い遠い人類発祥の地、地球の歴史ある古い都市の街並みを真似て造ったから。ロクム・シティを設計したひとって、懐古趣味だったのかもね。
例えば。カフェ・ファーブルトンのあるフロランタン大通り付近は、お洒落な繁華街らしくレトロモダンなデザインの建物が多いわ。けどクラビエデス通りは石やレンガの外壁に石材やテラコッタの装飾がデザインされた、エキゾチックな外観のデザインが主流ね。
均衡と調和の取れた静かな美しさを持つ建物は、金融街らしい堅実さを醸し出すのには、効果大だと思うわ。それは認める。
でも重量感のある壁は、路地に入ろうとするあたしたちを道の両側から圧迫しているようで。うわべの古さも手伝って、なんとなく怖いって感じがするの。
日曜日の夜だから、建物内のオフィスの灯りは消えている。たまに灯りの漏れている窓があるけど、上階で遠いし、なによりも人の気配が希薄なの。
だからなのか、街路灯が石畳を照らしている(あたしの超破壊的念動力もここまでは届いていなかったわ!)にもかかわらず薄暗くて、急に肌寒さを感じちゃう。
ああん、人の気配が無いというのは、こんなに寒いものなのね。
そういえば、もうすぐ季節は晩秋に入る。冬の一歩手前よ。路地を吹き抜ける夜風が冷たいのは、それも一因に違いないわ。
けど、困ったな。冷えを感じるようになった肌は、余計に彼の体温を感じようとしてしまう。あたしの手首を握る彼の手に宿る熱を。その真意を。
意識したら、頭の奥の方がズキズキ疼き出した。ダメよ、接触感応能力を働かせちゃダメ。彼の意識を読んじゃダメ。
だって。
(テスは超常能力を悪用しない、よね)
ええ。悪用しないわ。あたし、そんなことしない。あなたの意識を覗いたりしない。そんないけないこと、シナイワ。
どうかすると勝手に動き出しそうな能力を、自分の意思で押さえ込む。今は使う時ではないと言い聞かせる。
(……覗イタリシナイワ)
鈍い痛みが和らぎ始めた。痛みが引くのは嬉しいけれど、同時に意識も引きずられる。
くらりと揺れた意識のどこかで、眼鏡のうさぎが何度も首を縦に振っていた。
相変わらず難しい顔をしているのね。
はらはらと散る小さな薄紅色の花びらは、こんなに美しいのに。
(今度はなにを伝えたいの?)
ダメだ、全然わかんない。
頭の中は、ふわふわぼんやり。手首に感じる彼の熱だけが頼りだった。
マオが歩くスピードを落したのは、クラビエデス通りの喧噪が大分遠くなったと感じた頃だった。
表通りに面した金融機関の入居する豪華な造りの建物を過ぎると、その裏には3階建てのマッチ箱のような建物がひしめくように並ぶ。
ただし街並みは徹底して中世風の面影を宿したデザインだから、路地も城壁みたいな石造りの壁が続いている。
建物の1階部分は小さなレストランやカフェ、洋品店や本屋に雑貨店といったこぢんまりとした店舗に利用されていて、どこも入り口の前には洒落た看板掲げられていた。
おそらくその大半は、クラビエデス街で働く人たちを相手に営業しているんでしょうね。今は、ドアに「CLOSED」のプレートが掛ったお店ばかり。
せめて大きなショーウィンドウだとかオープンテラスのお店があれば(単に本日休業なだけかもしれない)雰囲気も明るくなるのだろうけど、石壁に取り付けられた街路灯の灯りだけでは仄の暗いのよね。
この当たりは土地勘が全くないから珍しくって、キョロキョロしていたら、休業中のお店の柱の陰に身体を押し込まれた。マオが柱の前に立ち、あたしの姿を隠す。
訳がわからずドギマギしていると、路地奥から通行人がひとり。スーツ姿の男性が、目の前を表通り方向へ歩いて行った。
更にコツコツと云うハイヒールが石畳を蹴る音も。硬い音が石の壁に反響して、やけに大きく聞こえるの。
あん。そんなに慎重に庇ってもらわなくても、ベレゾフスキーは足止め食っているから大丈夫なんでしょ……と言いたかったけど、どこかピリピリした彼の表情を観たら、そうも言えなくなっちゃって。大人しく彼の影に隠れることにした。
ヒールの音が遠ざかる。
高校生の非能力者に気を使わせる大学生の能力者。
いいのかしら、これ? こっそり溜め息を吐く。
「ごめん。ずいぶん強く引っ張ってしまったから、痛かったでしょ」
すまなそうに目を伏せて、ようやく彼は手を離してくれた。
「ううん。平気よ。痛くないわ」
痛いのは手首じゃなくて。
「心配なのはわかるけど、あの場にいたら、あなたを逃そうとした先輩たちの苦労が無駄になる」
アダムとディーもそう言っていた。でもあの場にはベレゾフスキーもいるのよ。あいつがあたしのことを喋ったら、そのふたりが困るじゃない。
「そこは大丈夫だと思う。あの男は、あなたのことを警察や部外者には決して話さない。そんなことをしたら、今度はこの騒ぎの重要参考人を探そうと警察が動き出す」
ベレゾフスキーの目的は優秀な能力者の確保だけど、その目的と標的としている能力者の氏名は秘匿したいはずだとマオは言うの。
「あくまでも断片的な資料からの推測だけどね」
「断片的な資料って、なに?」
「あの男は僕の記憶を消去するつもりでいたから、挑発に乗って、いろいろと面白いことを語ってくれたでしょ。その辺のことや、僕の知り得ることを総合して、どんなものだろうかと考えてみたんだ。
でも、それ程的は外れてはいないと思う。どう?」
「さ……さあ。ど、ど……どうなのかしらぁ?」
わざとらしく頭を傾けてわからないを装うけど、マオの眼は疑っているわね。
ああん。事情を知らない彼の方が冷静に状況を分析できるのって、どういうものだろう。
ベレゾフスキーは、能力者対策委員会の要請であたしを確保しに来たと言っていた。司令執行許可状まで用意して。
あたしに准A級の認可証が発行されているとか、能力者不法犯罪特別捜査班だっけ……に編入とか、身に覚えのないことを並べていた。
なに、それ?――よ。
そういえば、この間ヨーネル医師のところへカウンセリングに言ったとき、健康診断や生活環境の聞き取り調査や治療法のひとつとして集団発想法やったけど、まさかアレが試験だったとか言わないでしょうね。
思い返せば、あの日は監査員が多かった。んんん……。
ふぇぇん、そういうことだったの!?
でもでも、よ。あの頃はどっぷり「うつ」に浸かっていて人と話すのも億劫だったし、能力も使えなかったから、なんにも出来ずボーッとイスに座っていただけなのよ。
あれが認定試験だとしたら、到底合格なんてする訳ない。そのくらい酷かったわ。
(……なのに……?)
うぅ~ん。考えたくないけど、オーウェンさんがウラで手を回して、あたしは裏口からパスしたとか……。暫定で准A級に認定されちゃったとか……。
……あ、あり得る。
あり得るかも……しれない。
だから、安全調査局の能力者対策委員会が動き出したのでは?
ン、もう! オーウェンさんったら、どんな奥の手を使ったの? そんなことまでして、あたしになにをさせる気なのかしら。ほえぇ。
能力者としての現状だとか、能力喪失が事実か否かの調査なんて言われたって……1時間前までのあたしと現在のあたしでは違いがありすぎる。そうでしょう、ベレゾフスキー!
1時間前だったら偽装だったけど、幸か不幸か、現在だったら超常能力が復活しちゃっているんですもの。
しかもあなたの前でそれを証明しているんだから、調査も連行して取り調べも必要ないわよね。その目で能力の行使したのを目撃しているものね。
「聞いた話によると、一概に能力者と言っても、能力が強力でしかも自在に制御できる上級の能力者ともなると極端に人数が減るらしいね」
そうよ。だからあたしも「狩り」されたんだわ。
「狩り」までして確保したい能力者といえば、B級以上の上級超常能力の保持者。マオの言うとおり、現状そのクラスの能力者は希少な存在なの。
どのくらい――って、あたしが対象になる位よ。
だから軍部や政府の秘密任務を扱う機関各所で有能な上級能力者は取り合いになっているとも聞かされている。
――にしても。一般市民のマオが、そんなこせこせとしたウラ事情まで知っているはずもないわよね。
「だけど。今回は確保に失敗している上に、あの状況を速やかに収拾しないことには、クビが飛ぶかもしれないんじゃないかな、あの男」
うん、そうね。どういう特権を使ったんだか知らないけど、通りを封鎖して警備会社にも協力させたにもかかわらず任務失敗して、街路灯を数基ぶっ壊して(これは、あたしのせいだけど……)いるものね。
遠くなったとはいえまだ警察車両のサイレンの音も聞こえるし、警報アラームが一斉に鳴り響いてロクム・シティ中に知れ渡っちゃったような騒ぎだから、無かったことにはならないだろう。
アダムとディーも、なんと言って誤魔化すつもりなのかしら。
んんん。もしかしたら、これはあたしも後で大目玉食らう案件?
ふえぇ! もしも……どころじゃなく、間違いなく大目玉だよね。
(ひゃ~~ん!!)
それにしても。
「さっきベレゾフスキーと言い合っていたときからそう思ったんだけど。そのっ、いろいろと……詳しいのね。どうしてそんなに詳しいの?」
「ああ。この間の小試験の課題だったから猛勉強した」
「ふーん……って。もう、嘘つき。あいつと同じ手になんか引っかからないわ!」
両手を振り上げて顔をしかめたら、マオったら愉快そうに笑い出すの。
あん、あたし怒ったのよ! それとも、そんなに変顔だったかしら?
トレードマークのアルカイックスマイルじゃなくて、アハハと声を上げて笑うのよ。ひど~い。
でも垣間見せた素の笑顔は、悪戯な男の子っぽくって。表情が柔らかくなって。
……かわいくって。
だから、つい――見とれてしまった。
イラスト:exa様
♡ ♡ ♡ ♡
けれどマオはすぐにいつもの澄ました表情を取り戻す。
「あいつは警察じゃないけど大きな組織に属して、部下も数名従えているんだから、ある程度地位のある人物なんだろうな。国家の安全とか、大層なこと言っていたよね?」
「あ……、そっ、そんなこと言っていた……っけ?」
スッと顔を近づけて、あたしの目を覗き込む。
ヤだ、それ反則。
急にそんな綺麗な顔が近づいたら、ドキドキしない訳ないじゃない。目尻の切れ上がった涼しい目元は、羨ましいくらいセクシーだし。
「そんな男が目の色を変えて追い掛けるあなたは、いったい何者なんだろう? 上級能力者で、それから……。まだ秘密を抱えていそうだよね」
やん。スススッと両の口端が吊り上がったわよ。おまけに目を細めたりなんかしないで。視線がますます妖しくなるわ。
興味がないとか言っていたくせに、あいつのことちゃっかりしっかり観察しているんだ。まあ、あれだけやり合っていたんだから、興味は沸くわよね。
ほんのりと甘味も感じるような、深みのある紅茶にも似た色の瞳がジッとあたしを見ている。逆光の中でも澄んだオレンジ色とも琥珀色とも云えない色は鮮やかな艶をみせて、まばたきをすると濃紅色とも濃茶色とも取れる影がゆらゆらと揺れて。
眼鏡は掛けているけど――美少年オーラは抑えているけど、こんな超至近距離じゃ意味ないよ!
ほら、一気に頭に血が上ってきた。顔が、顔が赤くなるぅ。
(落ち着いてよ、心臓。そんなに激しく動いたら口から飛び出しちゃう!)
なにかに強い興味を持ってそれを探ろうとするとき、マオの瞳は妖艶な光を帯びてくるのね。
こら、眼鏡を外さないでッ!
超絶美少年オーラまで放出されたら、マジやばいでしょ!!
(アレ? どっちなんだろう、マオの好奇心を掻き立てたのって、あたし? それともベレゾフスキー!?)
(止メテヨ。アイツダトシタラ、立チ直レ無イホド悲シイワ!)
(同感よ!!)
ほえ。「アタシ」と意見が合っちゃったわ。でも、そこ大事よ!
なんて思っている間も。
無意識なのか、故意なのか。標的にされて、その視線に射貫かれているこっちは、心臓に過負荷がかかって爆発寸前だわッ!
そっ、そんな誘惑みたいな脅迫したって、教えてなんてあげないわよ。……いえ、教えてあげられないんだってばっ!!
ああん、迫らないで。
年下の男の子に、どうしてこんなに焦らなきゃいけないのよ、あたし!?
うっかり秘密事項を漏らさないように両手で口を押さえる。でもこれじゃ「あなたに教えられないような重大な秘密なんです」って、カミングアウトしているようなものよね。ほら、面白そうにマオが目を細めた。
後ろに足を引いたら、コツンと音が。後ろは壁。
からかっている、絶対にからかっているのよ。わかっているのに……。
(いぢわるゥ)
ほええ、逃げようにも……ああもう! どうしていいのかわかんないっ!
(お願い! それ以上迫らないでぇぇ~!)
イラスト:志茂塚ゆり様
――と。その時。
路地の奥のドアが開き、そこから数人の人影が現われた。どうやらそこは営業中のパブだったようなの。酔いの回った上機嫌の男性たちが、大声でクラビエデス通りの異変のニュースを口にしながらあたしたちとすれ違う。これから野次馬に駆けつけるみたい。
それをふたりして見送っていると、今度はバッグの中で、あたしの携帯通信用端末機が鳴る。急いで通話をONにしてみれば、
「あ~、やっと繋がったわぁ。テスちゃん、無事? 今どこにいるの? 連絡してちょうだいよね。こっちだって心配してンのよ。それから復活したってあのふたりから聞いたんだけど、それホント……」
低音のオネエ言葉で矢継ぎ早に質問を浴びせかけるのは、レチェル4のジェレミー・オーウェンさんだ。通信端末機の映像再生画面に、キモかわのたこ入道キャラみたいなお顔が大写しで再生される。
「あの、えっとぉ……」
どこから話したものかと戸惑っていたら、被っていた帽子がフワリと浮いて、通信端末機の上に落ちてきた。スッポリと端末機を覆う。
あたしもびっくりしたけど、突然カメラの映像が遮られたレチェル4側は、また緊急事態発生かと大騒ぎになったみたい。帽子の中から、説明を求めるオーウェンさんの声が漏れてくる。
「ごめん」
帽子で映像の送信を遮ったのは、マオだ。そんなに映りたくないのかしら?
「時間が無い。このままじゃ待ち合わせの時間に遅れてしまう。現在まだ一般市民と一緒にいるから詳しい連絡はあとにする……ってことにして、その通信切って」
え? あ、そうだ。クリスタ!
あたし、クリスタと待ち合わせをしているんだった。
すっかり忘れていた。
トラットリアで晩ご飯を食べるのよ!!
「わかった!」
マオは携帯通信用端末機の上に乗った帽子を持ち上げると自分の頭に乗せ、あたしは横を向いて会話を再開。中断を謝ったあと、彼に言われたとおりのことをオーウェンさんに伝える。
「……ん、もう。仕方ないわね。部外者の耳に入れたくない事もあるし。じゃ、積もるハナシはあとで。ちゃんと連絡忘れないのよぉ」
いいわねと何度も念を押され、あたしはようやくOFFボタンを押した。
振り向けば、マオが微笑んでいる。
「少し急ごうか。この先の角を左へ曲がれば、ダリオル通りに出る。通りを西に進めば、あなたのアパートメントのあるパンペルデュ区へと続いている」
「うん!」
あたしは笑顔で大きくうなずいた。
『テスとクリスタ』へのご来訪、ありがとうございます。
新章に入りました。テスとマオは、クラビエデス通りの路地を抜けてダリオル通り方面へ。クリスタの待つアパートメントまで急ぐようです。
何事もなく帰り着ければ良いのですが、さて……。
exa様、FAありがとうございました。
それでは、次回をお楽しみに!
2020/8/25 挿し絵を追加しました。
2023/12/3 イラストを追加しました。志茂塚ゆり様ありがとうございました。