半宵動乱
時刻は時計の短い針と長い針が頂点を指した頃、
街灯の明かりだけが街並みを照らし出しているような
そんな真っ暗闇で人の気配など微塵もない真夜中である。
場所は巨大な倉庫が立ち並ぶ海沿いの工業団地―――
そのエリアから少し離れた所には
高層ビルが立ち並ぶビジネス街が広がっており、
その中でも一際高いビルの屋上に―――
大の大人がうつ伏せになっていた。
付け加えてその人影が伏せている場所は
少しでも足を踏み外せば地面に向かって
自由落下をしてしまうような―――
非常に危険な場所だ。
しかしながら景色は申し分なく、
街下の展望を何の障害もなく俯瞰することが出来た。
大の大人は一寸たりとも身動きせず、
死んでいるのではなかろうかと疑いをもたれても
おかしくない程に時間が経過した頃、
その人影付近から何やらザーザーという機械音と共に
男の野太い声が聞こえてきた。
「ズール、こちらチャーリー。
応答を頼む。」
すると伏せている人影は少しそれに反応をみせると
男の声を発している機械を手に取り、
それを口元に近付けた。
「こちらズール、ちゃんと聞こえてる。
頼むからその呼び方はやめてくれ・・・」
〝ズ―ル〟と呼ばれた人影が機械を通して
野太い男の声をした〝チャーリー〟と
やり取りをしている所から察するに
どうやら口元に近付けた機械は無線らしい。
更に人影は声質から男だと推測できた。
〝ズール〟と呼ばれた男は溜息を吐きながら
面倒そうに返答した。
「いやいや、
お前にはズールというコードネームがぴったりだ。
日本語最高!」
「――――――」
〝ズール〟と名付けた時のことを思い出したのか
無線越しにやり取りしている〝チャーリー〟は
楽しそうに高笑いし、
今この場にいる〝ズール〟は頭を垂れている。
「お前はそんなことより、
ちゃんと狙撃に集中しろよ。」
ひとしきり高笑いした後
ようやく落ち着いた〝チャーリー〟は
急に真面目な声色で〝ズール〟に念を押した。
〝狙撃〟という物騒な言葉の通り、
〝ズール〟の目の前には超長距離狙撃用の
対物ライフル一丁が
街下―――
正確には海沿いの工業団地に向けて設置してある。
「心配いらねぇよ、俺を誰だと思ってるんだ。」
「そうか、心配はいらないか・・・
なら失敗した時はお前が責任を取れよ。」
〝ズール〟は無線の向こう側にいる身勝手な発言を吐く
男に対して苛立ちを覚えるように目を瞑り、
眉間に皺を寄せた。
指示を出すばかりで作戦時には
胡坐を搔いてるだけなんだから責任くらい持てよ、
とか―――
仕事放棄してんじゃねえよ、
更には―――
人の話は真面目に聞け、
などなど―――
色々と言いたいことが山積みではあったものの
〝ズ―ル〟は溜息を一つ吐くと
この男の奇行、狂言は今に始まったものでは
なかったと思いなおし再び態勢を整えた。
「―――――――――――――」
夜風に髪の襟足がなびき首をくすぐる。
〝ズ―ル〟はうつ伏せになったまま狙撃用に
セットされた長銃の照準を再度合わせる。
照準に狂いがない事を確認すると銃から目を離し、
望遠鏡を手に取った。
望遠鏡を覗きこんだ先にはしっかりと
これから工業団地沿いの海岸に着くであろう
輸入船が写っていた。
「いいか、まだ撃つなよ。
撃つのはブツの引き取り・・・
その現場の証拠を抑えてからだ!」
「あぁ・・・分かってるよ。」
〝ズ―ル〟が照準を合わせた頃合いを狙ったのか、
〝チャーリー〟はタイミング良く話しかけてきた。
〝ズ―ル〟は船を望遠鏡で見据えながら
港に着岸するのを待つ。
「じゃあ狙撃をする前に再度確認しておくぞ。」
「――――――――――――」
〝ズ―ル〟は無言で〝チャーリー〟の先を促す。
それだけ狙撃に集中したいのだろう。
「天候、気温、湿度共に問題なし。.
北西の風が1m、視界も良好、
狙撃相手との直線距離は約2200ヤード・・・
その超長距離用狙撃銃は現代最高のものだが
狙撃有効範囲は1650ヤードだ。
有効範囲から550ヤードも離れた獲物を捕える為には
長銃の性能だけに頼っては不可能な距離だが・・・
お前ならいけるだろ。」
「俺に無駄なプレッシャーをかけて何がしたいんだ?」
〝チャーリー〟の最後の発言に無駄な部分
もとい自身に対する皮肉を感じたのか
〝ズール〟は狙撃に気を逸らさない程度に
〝チャーリー〟の興に乗ってあげようと
望んでいるであろう問いを投げかけると
予想できる答えが返って来た。
「だってお前、
こんな状況だってのに冷静なんだもんな。
つまんねぇよ、そんなの。」
この男はいついかなる時でも本当にぶれなかった。
それから数分後、
嵐の前の静けさとはこういうことを言うのか―――
〝ズ―ル〟の耳には音という音が一切入ってこない。
〝チャーリー〟はさっきのやり取りを最後に
〝ズ―ル〟との無線を切った。
彼は今回の作戦の現場の指揮を任せられており、
他の部隊へも指示を出す立場にある。
おそらく今はそちらの方に回っているのだろう。
船もあと数十秒で着岸するであろう位置まで来ている。
〝ズ―ル〟は落ち着いた様子でその光景を見守ると
銃弾が装填されていることを確認する為に
一旦望遠鏡から目を離し、
充填されていることを目視した後、
安全装置を解除した。
「こちら、チャーリー。
ズ―ル応答を!」
「こちら、ズ―ル。準備は出来てるぞ。」
船が港に着いてすぐに
〝チャーリー〟からの無線が入った。
「日本の銃規制をこの工業団地に限り
一時的に解除した。
あとはお前のタイミングで撃て。」
「了解。」
〝ズ―ル〟は短く答えると呼吸を落ち着け、
銃身のブレをなくしていく。
スコープから覗く先には船が一隻―――
その船首付近から網で作られたはしごが降ろされる。
そのはしごからは黒スーツを着た男二人が降りてくる。
二人ともサングラスをかけ、
人相までは特定できないようにしているが、
一人は金髪でウェーブがかかっており
肩先まで毛先が伸びるほどの長髪、
体型は細身の高身長・・・
目視でも180㎝後半はありそうだ。
日本人離れした長い手足をしていることから
ヨーロッパかアメリカの出身だろう。
二人目も一人目と同じくらいの高身長であり、
体型は細身。
しかしこちらの標的は黒髪の短髪であることから
アジア圏出身の者だろう。
手には黒のスーツケースを持っている。
おそらく取引に使う物が入っているのだろう。
二人は船の近くの工場に歩み寄ると
シャッター横にある小窓を金髪の男が
規則的なリズムで叩いた。
直後、
シャッターが開き中から人相が悪く、
武装をした屈強そうな黒スーツの男数人が出てきた。
その先頭は小太りで低身長、
頭が肌色で染まっており、
髪は全く生えていない。
後ろに控えている部下らしき男の集団の中の
一人は取引で使われると思われる
銀のスーツケースを片手に持っている。
〝ズ―ル〟は彼らのやり取りを何の障害もなく
スコープの先に捕えている。
そして数瞬後〝ズ―ル〟は彼らを
弾丸で捕えなければならない。
〝ズ―ル〟は深呼吸しつつ、風速、風の向き、
弾道上の障害物の有無、逃げ道のルート確認、
スコープ先の視界状況などなど
狙撃する上での最終確認を行う。
スコープ先の狙撃対象はとうとう合流し、
スーツケースをお互いに見せ合いながら
取引についてであろう会話を始めた。
(ここからではさすがに読唇術は使えないな)
〝ズ―ル〟は少しでも彼らの情報を
読み取ろうとしたがそれは無駄骨に終わり、
狙撃に全ての意識を向けた。
ここから標的を銃弾で射ようとした場合、
風の動向が最も重要になってくる。
さらに射撃有効範囲から大幅に離れている距離だ。
普通の超長距離狙撃の方法では不可能な位置・・・
イメージするのは放物線。
これだけの長距離だ。
弾丸は真っ直ぐ飛んでいかない。
弾丸は弧を描いて飛んでいく。
全神経を狙撃に向ける。
スコープの先には標的なる物体が一つ。
しかしスコープの先に見据えるのはあくまで標的の上方・・・
〝ズ―ル〟は何かに憑かれたように瞳孔を
不自然に見開きながら躊躇なく引き金を引いた。
爆音が〝ズ―ル〟を中心に霧散する。
銃身がその衝撃に伴い寸単位で浮き上がり、
放たれた銃弾は予想された通りに
緩やかに弧を描きながら風の影響など受けず
吸い込まれるように標的目掛けて飛んでいった。
着弾するまで2秒弱。
銃弾が直撃した小太り低身長の男は流血を最小限に、
口から涎を垂らし、白目をむきながら倒れた。
「白兵部隊突撃!
狙撃部隊は逃げてきた獲物を
一人残さず無力化しろ!」
無線越しに〝チャーリー〟の怒声が聞こえてくる。
発言の内容から他の部隊に対する命令だろう。
スコープ越しに見える景色は闇取引の現場から
一変して今やむさ苦しい男どもで溢れかえっている。
「〝ズ―ル〟良くやったな!
お前の仕事は終わりだ。
大手を振りながらこっちに戻ってこい。
現場の奴らだけじゃなく船の中も調べろ!」
(相変わらず忙しい奴だ・・・)
忙しなく部下への指示を出す〝チャーリー〟に対して
〝ズ―ル〟は頭を横に振りながら
やれやれと言った具合に肩をすくめ、
スコープから目を離して立ちあがった。
無線からは怒声とうなり声が絶えず聞こえてくる。
〝ズ―ル〟は撤退の為に超長距離狙撃用の銃を
ケースにしまいながら傍目に現場の方に目を向ける。
その目に見える景色は現場の状況などまるで分からず、
ただただ見慣れない船が船舶しているな程度に
様子が俯瞰できるだけである。
「今日も俺は・・・」
〝ズ―ル〟は不自然に言葉を切りながら
帰り支度を済ませ、
最後に足もとに残っている無線に手を伸ばすと
そこから何やら緊迫感に満ちた音が響いてくる。
「急げ!
全員無事に船内から脱出するんだ!」
無線の向こうから
〝チャーリー〟の声が響いてくる。
「船内・・・?」
〝ズ―ル〟は無線から目を離し、
望遠鏡を手に取ると再び現場の方に目を向ける。
〝ズ―ル〟はその光景を見た瞬間、目を見張った。
そこはさっきまでの状況とは違う景色が
〝ズ―ル〟がいる場所からでも把握できるように
広がっていた。
現場は騒々しい空気に包まれている。
船の周りには慌ただしく人が集まり、
船内から人が我先にと飛び出してくる。
それと寸分違わないタイミングで
逃げていった者達の後を追うように船内から
水が溢れてくる。
流水に巻き込まれ流れ出されてきた者まで現れた。
おそらく船底から海水が浸水してきたのだろう。
とうとう海水の重さに耐えきれなくなった船体は
徐々に沈没していった。
そしてかの輸入船は海面よりも低くなり
最後には海の底へと沈んで消えた。
(なんて後味の悪い終わり方なんだ・・・)
〝ズ―ル〟は心の中で呟き、
銃の入っているケースを肩からぶら下げて
その場を後にした。




