憧れと恋は違います
今この貴族の世界には有名な色男がいる。
容姿、地位、若さがそろった、いわば優良物件というやつだ。この3つが揃う人はそうそういない。私が知ってる中でも片手で数えられるほどだ。
もちろんお年頃のお嬢さま達はその色男に夢中になる。
舞踏会が開かれるとお目当ての王子様を一目見ようと、また誰よりも気に入られようと必死になって自らを着飾る。そんな女性は腐るほどいた。かく言う私も例に漏れず、何人かいる色男の中の一人に夢中であった。
その人の名はアーベルジュ▪ハーベスト。彼は凛々しい顔立ちと少しくすみがかった金髪、鍛え抜かれた体がポイントだ。家もそこそこ地位があり、彼自身は実力で国家騎士団の隊長にまで登りつめた男である。年は私より6つ上の26歳とまさに優良物件。彼は何人かいる色男のなかでも2番目に人気である。まぁ私の中での一番は彼なわけだけど。
しかしアーベルジュ様の人気は本当にすごいもので、パーティーが開かれ、そこにアーベルジュ様が現れるだけで会場は女性で溢れかえる。それこそ一目見ることができるだけで奇跡、というくらいだ。
そんな色男アーベルジュと私は少しだけ共通点があった。
なんと、両親が大の仲良しなのである。しかしだからといって私がアーベルジュ様の婚約者になれるわけではない。もちろん家が近いわけでも小さい頃から一緒に遊んだこともない。ただ単純に親同士が仲がいいだけである。
しかし私には他の人々にはない特権があった。パーティーなどでアーベルジュ様が来たら両親と共にあいさつに行くことができたり、両親の脇で10分程度世間話をする機会があることである。それだけ?と思う人もいるかもしれないが。私のような平凡な女にはこれ以上ないくらいにありがたいことなのだ。だって本来なら彼の視界に入るはおろか、私自身が彼を見ることさえ奇跡のようなことなのに。
私にとってアーベルジュ様と話す10分は短いどころか長過ぎるくらいだった。あの切れ目にじっとみつめられるとあやうく勘違いしそうになってしまうし、思わず好きだと口走ってしまいそうになる。基本的に私は遠くからアーベルジュ様を眺めているのが好きで、恋しているというよりは憧れの方が近いかもしれない。
なぜ私が突然アーベルジュ様の話を始めたのかというと、先ほど突然当人のアーベルジュ様が私の家を訪ねてきたからである。いつもはご両親と一緒に来ていたし、来る前に連絡もくれていたのに、今日は違った。彼はなんの連絡もなしに訪れた。そして彼の隣にいたのはご両親ではなく若い女性だったのだ。私の目が寄り添う二人の姿をとらえた瞬間、頭が真っ白になる。今自分がどんな表情をしているのかもわからない。そんな私の脇で母は目を丸くして二人を見つめた。
「まあアーベルジュ!突然どうしんです?その隣のお嬢さんは?あぁどうしましょう!今主人を呼んできますね!」
母はバタバタと慌てながら父のいる書斎へと駆け込み、侍女がアーベルジュ様達を客間へと案内しようとしている。私はというと、どうしたらいいのかわからずただ廊下をうろうろしていた。
これはアーベルジュ様達についていくべき?それとも母たちを待っているべきなのだろうか?いや、そもそも私は彼の話を聞かなければならないのだろうか。できれば聞きたくないが、なんだか先程からアーベルジュ様の視線を感じるからそういうわけにもいかないのだろう。
「リリー。」
「っはい!」
「これからする話は、君にも聞いて欲しいんだ。一緒にきてくれるか?」
「はい…」
みかねたアーベルジュ様から私に声をかけてくれた。そのままアーベルジュ様達と共に客間に行くと、丁度父と母も来たところだった。父はアーベルジュ様と隣にいる女性をみると少し目を見開いた。たしかにアーベルジュ様が今まで女性を隣に置いたことは一度もなかったように思う。だから父も驚いたのだろう。お茶を用意させ、ソファに座った父はゆっくりと口を開いた。
「それでアーベルジュ。今日突然来たのはどういうご要件かな?まぁ言わなくとも大体察しはつくがな。」
「はい、突然の訪問申し訳ございません。今日は恋人ができたことをご報告に参りました。」
母は嬉しそうに手を合わせて、アーベルジュ様達を見つめる。父は何故か複雑そうにアーベルジュ様の瞳を見つめていた。父の視線を受け止めながらもアーベルジュ様は微笑み、そっと隣の女性を引き寄せ、紹介をはじめる。その自然な動作につい見惚れてしまった。
「名前はジュリアと言います。元は町娘だったらしいのですが、今はシュバイツ家の養子になり一人娘です。あそこの家は子に恵まれませんでしたから。」
「はじめましてジュリアと言います!つい先日からアーベルジュ様とは結婚を前提にお付き合いさせていただいておりますの!」
確かに少し言葉遣いなどがおかしいところはあるものの、元気で明るい印象のジュリアさんはアーベルジュ様の隣にいても劣らないほど美しい容姿をしていた。
仲睦まじく見つめ合う二人を改めて目の当たりにすると、ショックだったけれど何かが違うような気がした。そう、例えるなら大好きだったアイドルが若くして結婚してしまったときの感覚だ。その感覚と全く同じだ。つまり私はアーベルジュ様に恋しているわけではなかったのだ。
あの美しく恋などほとんど知らないような真面目な男が、みんなのものである、誰のものでもないということが嬉しかったのだ。つまり私はただ誰のものでもないアーベルジュ様のことを慕っていただけの性格の悪い女ということなのだ。
そう開き直ってしまえば後は簡単だった。はじめの方は父や母が気を使って舞踏会やパーティーの出席は控えろと言っていたため、家で自分磨きに精を出した。そうしたら、両親が余計に憐れに思ったのか、パーティーにはいかず見合いをしろと言われた。どうやら両親の中で私はアーベルジュ様に片思いしていて、失恋のショックからまだ立ち直れていないように見えるらしい。
実際はそんなこと全然ないのに。もう既に次の男性には目をつけている。アーベルジュ様と同じくらい人気の男性で、年は22歳と大変若い。今日久しぶりに参加するパーティーには彼も参加するらしいので、今日ははりきってドレスアップを行った。
その日の夜、パーティーに行くとアーベルジュ様とジュリア様の話で持ち切りだった。私はこの時初めて今夜のパーティーにアーベルジュ様達も参加するということを知った。
「ねぇリリーさん、あなた前までアーベルジュ様のこと慕ってらっしゃいましたよね?」
「えっはい…でももう相手がいる方にアタックなんてしませんよ。」
「まぁそうなの?でもそれもそうよね。あーあ、アーベルジュ様もいなくなってしまったから残るのはエドワード様かジェルミ様か…。」
「そうですよね。私はこれからはエドワード様のところに行ってまいります。」
うんうんと悩み始めたご令嬢に付き合っていると、一度も目当ての男性のところに行けない危険がある。少し無理矢理だったが、なんとか抜けることに成功し、エドワード様を探す。その間、何度もアーベルジュ様とジュリア様の姿が視界に入ってくる。
なんでだろう、無意識に彼のことを目で追っている自分がいるのだろうか。そんな事を考えていたが、次の瞬間お目当てのエドワード様がいるのを見つけた。私はもうアーベルジュ様のことなど頭からすっかり抜け、ただ遠目に見えるエドワード様をうっとりと眺めていた。
そんな日が何日も続き、私は立派なエドワード様のファンになった。アーベルジュ様とは違い細身で上品な物腰はまさに王子様のようなのだ。まだ一度も話したことはないが、遠目から見る笑顔だけで満足である。
今日も今日とてエドワード様を囲む令嬢の一人になって、エドワード様のお話を聞いていた。このままいつも通りパーティーが終わるかと思っていた。しかしそれは突然現れた。
エドワード様を見つめていた私の後ろから、数カ月前までは毎日聞きたいと思っていた声が私の名前を呼んだ。アーベルジュ様だ。近くにいたご令嬢も一緒に振り返り、みんな唖然としている。名前を呼ばれた私も同様だ。アーベルジュ様は驚きで固まっている私の手をとり、そのままバルコニーまで連れて行かれた。視界の端にこちらを睨むジュリア様の姿が見えたが、ジュリア様を放っておいていいのだろうか。ジュリア様はきれいな方だから、すぐに他の男に取られてしまいそうである。
「アーベルジュ様。あの、ジュリア様はよろしいのですか?」
「リリー。」
「はい、なんでしょうか。」
「リリー。」
なぜかアーベルジュ様は切なげに私を見つめる、どうしてそんな目で見つめられるのかわからなくて思わず視線をそらす。すごく居心地が悪い。前はあんなに一緒にいられることがうれしかったのに、彼にお付き合いしている人がいるから後ろめたいのもあるかもしれない。
「あの、特に御用がないのならジュリア様のところに戻られてはいかがですか…?」
「ジュリアとはもう終わった。」
「えっ、と…それは、申し訳ありません。」
「いや、いいんだ。俺のわがままで別れてもらった。」
「はぁ…そうだったのですか。」
で?いったいなんなのだろう。ふと視線をアーベルジュ様に向けてみるが、彼と視線が交わることはなかった。アーベルジュ様は黙りこくってしまい、視線も泳いでおり、どこか緊張した面持ちだった。
「リリー、君は…。」
「はい?」
「君は、エドワードのことが好きなのか?」
「えっあの、」
「好きなのか!?」
「い、いえ…好きというか、まぁ素敵な方だなとは思いますけど…。」
「つまり好きではないと!?」
先程までの緊張は何処へやら、アーベルジュ様はものすごい剣幕で私に迫ってきた。私はとりあえずそれにこくこくと頷くことしかできない。
「そうか、そうか。では君はやはり俺のことが好きなのだな。」
「は、はい…………はい?」
「あぁ照れなくてもいい。実はずっと気が付いていたんだ。俺もお前のことをずっと愛していたよ。」
「えっと、アーベルジュ様?誰かと間違えてらっしゃいませんか?もしかして酔ってらっしゃるのですか?」
お酒の匂いもしないし、顔も赤くなっていないが、もしかしたら飲みすぎているのかもしれない。
「俺は酔ってなどいない。これは俺の本心だ。まさか疑っているのか?ジュリアと付き合ったのは君の愛を試したかったんだ。でも、俺の方が耐えられなかった。リリー、君と会えない日々はとても辛いものだった、どうか馬鹿な俺を叱ってくれ。そして俺のことが好きだと言ってくれないか。」
いつになく饒舌だ。それに酔っ払いは自分が酔っていることになんて気がつかない。きっとアーベルジュ様は酔っているのだ。明日にでもなれば全て忘れてしまうに違いない。ここは下手に相手にしない方がいいのかも。
「私はアーベルジュ様に憧れてはいました。しかしそれは決して恋などではなかったのです。」
「あぁリリーどうしてそんな意地悪をするんだ…!どうか俺の事はアルとよんでくれ、君にそんな態度をとられると苦しくて死にそうだ…。」
「…わかりましたアーベルジュ様。あなたが明日の朝に起きても同じ事を私にいってくださるなら、私も気持ちをお伝えします。」
「それは本当か?リリー。」
「ええ、アーベルジュ様が覚えていたらの話ですけれど。」
「馬鹿だな、忘れる筈がないだろう。あぁでも嬉しすぎて眠れんかもな。」
アーベルジュ様は上機嫌で帰っていった。私はふと父がアーベルジュ様は全く酔わなくて面白くない、とぼやいていたことを思い出した。しかし先程のアーベルジュ様は明らかにおかしかった。酔っ払いという言葉でしか片付けられないだろう。大丈夫、明日になれば忘れてる。そう自分に言い聞かせて自身も帰路についた。
次の日、早朝からアーベルジュ様が訪ねてきて昨晩行った言葉を一言一句間違えずに私に伝えてくることを、この時の私は知らない。
更にいうとそのまま丸め込まれて気が付けばアーベルジュ様と結婚してしまうなんて、この時の私は予想もしていなかっただろう。
一応前世の記憶がある主人公のつもりなんですが設定が全く生かされていないですね。