一
ー時刻は深夜2時。
月丘近くの森の中を歩く小さな影が二つ。
一人がテノールがかったボーイソプラノの声で心配そうに投げ掛けた。
「おい、本気かよ。明頼にばれたら…」
「だーいじょうぶだって!蒼紫寺も白波も会ったんでしょ?私達が少し会ったぐらいで何も言わないわよ」
はきはきとした声が自信満々に応えた。
「ったく…」
それでもまだボーイソプラノが不満そうな声をもらす。
「…それに、ちょっと興味があるのよ。あの無表情女が、殺そうとした蒼紫寺を止めるなんて…ね」
クスリと小さく笑って更に先へ進むと、慌ててもう一人が追いかけて行く。二つの影は、眠りについた村に静かに入り込んだ。
ー日の出とともに鳥の囀りが耳に入る。
村は早くも活動し、朝食の香りが辺りから風にのって漂う。
一番忙しい時間帯であろう時にただ一人、起きれずにいた。
「起きてー」
「……あり…さ?」
「兄ちゃーん!起きてー!」
「…ん…今日は…もう遅刻で…い…」
もぞもぞと寝ぼけたまま麻布に包まって再び安眠に浸かろうと意識が沈んでいく。
が、いきなり麻布を引っぺがされ寒さに覚醒する。
「働かざるもの食うべからず!」
紅矢の目の前で仁王立ちし満面の笑みを貼り付けた秋久と、傍にいる廂。
一瞬混乱に陥りかけながら、二秒で脳が追いつく。
「…俺、なんか変なこと言ってた?」
「変なこと?」
考え込む秋久と廂に慌てて被りを振る。
「いや、うん。ないならいいんだ。おはよう」
「おはよう。で、ありさってのは?恋人か?」
にやりと茶化すような笑みを浮かべた秋久に、紅矢は羞恥で顔が真っ赤になる。
「…恋人とか、そんなんじゃ…」
「ほほう。片思いか」
「っ!」
若いなぁ、と笑いながら去って行く秋久の後を追って廂も出て行った。
嶺弍の兄が秋久の様なノリだった気がする。
ふと脳裏によぎった思い出が懐かしく感じた。まだ二日程しか経っていないが、この二日で随分とたくさんのことがあった。特に鬼二人。白波は何か隠してる様子があるし、あの蒼紫寺とかいう奴は最初の印象からか怖いイメージが根付いている。
(他にも鬼…いるんだよな?まぁ二人だけに村が恐怖してるはずないか)
いや、蒼紫寺ならあるかもしれないと思ったが、それは頭の片隅に追いやった。
晴れ晴れとした青空が広がるなか、紅矢は村の手伝いで回っていた。いわば体のいい雑用係のようなものである。
「ねぇ。おにぃさん、この間月丘に来た人?」
突然背後から声をかけられ振り返ると、いつの間にいたのか、菖蒲色の長い髪を横に一つに束ねた少女が立っていた。廂ともより以外の子供をみかけなかった為、少子化かと思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。
不思議な雰囲気がある子供だが、周りの大人達も気にした様子はない。どこの子供かはわからないが、村の子だろう。
「あぁ。君は?」
「人に名を尋ねる時は先ず自分から、でしょ?」
…かわいくない。先ず最初にそう思った。
見た目は廂ぐらいに見えるのだが、中身は見た目よりも年上そうだ。じっと見つめてくる髪と同じ菖蒲色の瞳に微かな違和感を覚え、極力自然に目を逸らす。
「紅矢だ」
「私は十六夜」
紅矢が名のると、十六夜はにっこりと笑みを浮かべ、駆け寄り紅矢の右腕に腕を絡ませてきた。
慌てて振り解こうとしたが、図ったような上目遣いで見られ左手が意味もなく宙を掻く。
「素直な上に優しいね。お兄さんの事、好きになっちゃった」
楽しそうにくっついてくる十六夜は正直扱いに困る。見た目が可愛い部類に入るような少女な為邪険に扱い難い。
しかし紅矢も愛想がいいほうではない。
不機嫌オーラを纏いながらどう引き離すか、唯一教師に褒められる脳を働かせて考える。
「てめえぇぇ!十六夜から離れろぉぉぉぉぉおお!」
までもなく、すぐさま十六夜と同じ歳程の少年が人間離れしたスピードで突っ込んできた。咄嗟に数歩下がると少年は、紅矢と十六夜の正面を通り抜けるかと思いきや急ブレーキをかけて止まった。
少々乱れた呼吸を整えギロリと紅矢を睨みつける。
「なんでまだくっついてんだよ!十六夜から離れろっ!!」
「いや…俺がくっついてる訳じゃねーって!文句ならこいつに言え!」
「お兄さん、紹介するわ。彼は籬。私の…そうね、友達よ」
二人の口論を見事なまでに無視して自分のペースで語る十六夜は、少し悩んだ末に笑顔で友達と明言する。
籬と呼ばれる少年はそんな十六夜を見て二の次を告げられず開いた口は閉じることを忘れていた。彼の心情がなんとなく解り、同情してしまいそうだ。
先ほど血相を変えて飛び込んできたところを見るとこの二人の関係性がわかるようなわからないような。
「兄ちゃー……ぁ」
廂の声が聞こえて咄嗟に振り向く。
その先には驚いて固まった廂が立ち止まっていた。
「廂?どうし…」
「…誰?」
どうした?と言い終わる前に呟いた廂の言葉に、「え?」と訊き返す。
廂の視線は紅矢を除く二人を捉えていた。
「…?こいつらは十六夜と籬って…」
「そんな名前の人、この村にはいない!」
廂の言葉に咄嗟に意味を理解し二人から離れる。
「止まれ」
途端に十六夜の声が歪んだように聞こえ、離れようと後ずさった足が地に縫い止められたように動かなくなる。足だけじゃない。全身がピクリとも動かなくなる。そんなことがあっても、周りの人々は一切反応がない。まるで気づいていないようにも見える。正面に立つ十六夜は相手に恐怖心を与える笑みを見せた。
「お兄さん、判断力早いね。そこの子供も…私達のこと見抜くなんて」
「お前ら、鬼…か?」
紅矢の問いかけに十六夜は小さく笑む。
「聞かなくても、わかってるんでしょ?」
再び、今度は視界共々全てが捻れて歪みを生じる。するとやっと四人の存在に気づいたというように視線を向ける人々。その視線が鬼二人に向かった瞬間、辺りが騒然とする。
紅矢の正面に立つ二人の姿は先程とは違い、額から角が突き出た鬼の姿。
「っ…」
廂の息を飲む音が聞こえる。籬は特に興味がないのか冷めた瞳で眺め、十六夜が一歩前に踏み出す。紅矢の身体は相変わらず、ピクリとも動こうとしない。
すると、廂が駆け寄り紅矢の前に庇うように立った。
「…何?」
「兄ちゃんは、ッ殺させない!」
不機嫌そうに眉を顰める十六夜を廂は恐怖を押し殺して睨みつける。
紅矢からは小さな背中しか見えないが、声が震えていた。恐怖心がありながらも、たった一日暮らしただけの相手を助けようというのか。男とはいえ惚れてしまいそうだ。
なんて巫山戯た事を考えていると、辺りの空気が重くなった気がした。
「…人の子風情がッ!私の邪魔をッ!」
十六夜の掌が廂に狙いを定めて止まる。
その掌に不可視の力が集約される。何かが迫ってくるのを感じ紅矢は咄嗟に廂の名を叫ぶ。
バチンッーー
その瞬間、弾くような音が辺りに響いた。
ダンッーと体が着地し、着物が空気に乗りふわりと舞う。
一つ溜息を吐いて立ち上がると、零れ落ちんばかりの胸を張り、手は腰に、足は仁王立ちに立つ淡藤色の髪の美女。
「大事にしてくれたな。お前達」
彼女の登場に十六夜も籬も驚きを隠さない。
その二人の背後から音もなく現れた茜色の髪の男は、静かに呟く。その途端大袈裟なまでにビクッと肩を跳ねさせる二人。恐る恐る振り返る二人の顔は若干引きつっている。
それを見て深い溜息を吐くと、男は籬の頭を軽く引っ叩いた。
「いづッ!!!?」
とてもいい音がした。確かに軽く、本当に軽く叩いただけに見えたのだが。
しかし籬はあまりの痛さに立ち上がれずに膝をついて呻いている。
そんな籬の姿を見ていた十六夜も、男と目が合うと、同じように引っ叩かれた。
これもまたいい音だ。
勝手に行われるその情景を眺めていたら、ずいと顔を近づける女。彼女も鬼のようだ。額には同じような角がある。因みに茜色の髪の男にも、だ。
まじまじと見つめられ無意識に後ずさる。そこでやっと動けるようになっていることに気がついた。
「…君……」
「??」
ホッとしたのも束の間。
顔を両手でガッチリ抑えられ逃げられずに女の深い海のような青い瞳を見返した。
すると唐突に手が離れ、解放されたと思いきややわらかいものを顔面で受け抱きしめられる。
「や〜ん、格好良くて可愛い!」
どっち?なんて聞いてる場合じゃない。
離れようにも力が強すぎて抜け出せない上に、息が苦しい。ていうか呼吸が出来ない。
やわらかいものが何かは確認せずともわかる。だがそれが殺人兵器になるとは思いもしなかった。
「んんー!!!」
頭部に絡み付く腕を離そうと奮闘するが、無意味に近く、徐々に意識が遠くなるだけだ。
「華園。離してやれ」
死を覚悟した時、やっと助け舟がでた。
もちろんそれは茜色の男。やっと酸素を得ることができ、地面に膝をついて乱れた息を整える。
「悪かったな。大丈夫か?」
男の妙に貫禄のある声が聞こえ顔を上げると、驚いた様に目を見開く橙色の瞳と目があった。その反応に違和感を覚えたが、すぐに男の表情は戻り紅矢の腕を掴んで立ち上がらせる。
背丈は紅矢よりも十センチ程高い。
整った顔に切れ長の瞳が、顔を見合わせる様に向かい合う。同じ男が言うのもなんだが、イケメンオーラが垂れ流れている。
「に、兄ちゃん!」
先程の強気な態度はなりを潜め、完全にびびっている。それもそうだ。鬼が倍に増えたのだ。だが悪い奴にはどうしても見えない、気がする。
「君が…紅矢君…だっけ?私は華園。こっちの男が朱頼よ」
にこにこと笑顔を振りまく華園は簡単に自己紹介を始める。そこではたと、疑問を持つ。
「?なんで俺の名前…」
「それは勿論…鬼と人の禁断の恋!となれば自然と耳に入ってくるじゃない!」
ね!、と言う華園の言葉に開いた口が閉じない。何度か脳内で木霊した後、やっとの思いで言葉を紡ぐ。
「…は?」