四
ー苦シイ。
ー痛イ。
ー熱イ…。
熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ。
「貴方は他の鬼とは違うな」
女性にしては少し低い声が聞こえたと思うと視界が一瞬で開けた。
真っ先に視界に入ったのは藤紫色の長い髪。
撫子色の瞳は真っ直ぐ紅矢に向けられている。
一瞬の沈黙の後小さく口元に笑みを浮かべ視線は別へと向けられた。
その後を追うと遠くに微かに見える沢山の山々。
その間から覗く夕日が緑に囲まれた山をほんのり朱く染めている。
「あんたは…」
もう一度女へと視線を戻すと藤紫ではなく橙の髪が風で揺れていた。
向けられた綺麗な橙の瞳は穏やかに、優し気な笑みを見せた。
「此処にはどうして来たの?」
「…え?」
意味が解らず聞き返せば再び同じ言葉で問い返される。
「此処にはどうして来たの?」
「…お、れは…」
「…君が来なければ、皆が死ぬことはなかった…」
優しい声音から一変。トーンの下がった低い声が女から零れる。
濁った暗い橙の瞳が向けられる。
それでも笑顔は優し気で。歪な笑みを浮かべる女の手が頬に添えられた途端背筋をゾクリと冷たいものが走った気がした。
いつの間にか引いていた焼けるような熱が思い出した様にぶり返す。
その手を払い除けたいと思いながらも、体はピクリとも動かない。
恐怖と痛みに震える紅矢を見て、それでも女は微笑む。
「助けて、" "。君は悪くない。悪いのはこの世界。だから…」
女の腕が後頭部に周り、そっと優しく胸に抱きしめられる。
懐かしい匂い…はしなかった。
鼓動の音も聞こえず果てしなく冷たい女の体は感触すら曖昧。
「全テ、壊シテ。君にはその力がある」
ぎゅっと抱きしめられる。
女の冷たい体が、暴れる熱に犯される体にはとても心地よかった。
体の力を抜いて身を任せてしまおうか。
そんな思いが脳裏を過る。
ー苦しむのはもう嫌だ。
ー裏切られるのはもう嫌だ。
ー独りはもう…
『紅葉!』
女に縋る様に回した手は、女を掴む前に別の手に掴まれた。
"温かい"手の感触。
黒い癖っ毛の髪を靡かせ、赤い瞳に涙を浮かべてそいつは叫んでいた。
『紅葉!紅葉!』
まるで子供の様に泣きじゃくりながら何度も"紅葉"の名を呼ぶ。
ー違う。俺は紅葉じゃ…
『置いて行かないで……独りにしないで!』
ハッと目を覚ます。
暗く湿った空気を漂わせる岩の地面や壁。腕を絡めてそびえ立つ幹は何一つ変わらない。
だというのにとてつもなく長い間眠っていたような気がした。
そこでやっと頬を伝う涙に気づく。
慌てて拭おうとしたが幹に巻き込まれて腕はびくともしないことを忘れていた。
その間も溢れる涙は次から次へと頬を伝い地面に滴り落ちる。
「?紅矢君!」
七葉の声が聞こえて視線を向けると、慌てた様に駆け寄ってくる姿が見えた。
「ど、どうしたの?何かあった?」
狼狽した様子で着物の袖が濡れるのも気にせず紅矢の涙を拭う。
大丈夫、と答えると心配そうな瞳で見つめられてつい視線を逸らした。
「ほんと、なんでもないから。ただ…懐かしい夢を、見た気がする…」
ポツリと呟いた言葉に七葉は追求するでもなく静かに聞いていた。
かける言葉がなかったわけではなく、余計な事を言わない様にしたのだと思う。
だいぶ落ち着いてきたところで、七葉は一歩紅矢から下がって離れた。
「…七葉?」
不審に思い名を呼べばにこりと笑みを見せ、紅矢…というより紅矢の腕に巻きつく幹に向けて両手を前に突き出した。
掌が淡い藤色の光を帯びる。
それと同じく紅矢の右腕に絡まる幹も藤色に光りだす。
これが妖力、というものなのだろうか。
苦しそうに表情を歪めるものの、かざす腕には更に力が入る。そういえば最初の時に此処の幹を動かす方法を知らないと言っていなかったか。何となく嫌な予感がして七葉を止めようとする。
「お、おい!七葉!」
「大丈夫。華桐様…前棟梁に動かす方法は教えてもらった、の…」
しかし微かに笑みを浮かべて、紅矢の言いたいことに気づいたのか答える。が、その間も術の行使をやめようとはしない。
微かに幹が動いたのが接している腕でわかる。一度動いてしまえば後は続いて一帯の幹も動いていく。
右腕を絡める幹が外れ久々に腕が楽になった。
続け様に左腕の幹も外そうとする七葉は、先程よりも酷く辛そうで慌てて止める。
「もういい!七葉。これ以上やったら"死ぬ"ぞ!」
咄嗟に出た言葉に自身が驚いて固まる。
自分じゃない誰かの知識を得た様なそんな気分。でもそのおかげで七葉は妖力枯渇で"死ぬ"リスクを負う術を使っている事がわかった。
紅矢の言葉に一瞬驚きを見せた七葉は直ぐに心配いらないといった笑みを浮かべた。
「絶対、助ける…から」
更に集中して妖力を込める。
と、その瞬間牢内に乗り込んで来た金色が七葉を吹っ飛ばした。
「っにしてくれてんだよ。この死に損ないが!」
郷里、だった。
獣の腕からもとの腕に戻ると指にべったりと血がついており、慌てて七葉を見ると右脇腹を抉られた痕が有り、血が滴り血溜まりが出来ている。
「さ…とり…く…」
消え入りそうな声で必死に起き上がろうとするが中々力が入らず地に伏せる。
それを殺意の篭った瞳で睨みつけ、慌てて紅矢に駆け寄る。
「まさかあの爺の術破って目を覚ますなんてね。お願いだよ紅葉。大人しくしててくれないと…」
「何言ってんだっお前!七葉は仲間だろ!?こんな……ッくそ!七葉!」
自分勝手にもの言う郷里を睨みつけ、直ぐに心配になって七葉へと視線が向く。静まり返った郷里のことは気にも留めていなかった。
「…ねぇ。知ってる?」
突如嘲笑を浮かべて問いかける郷里に嫌な予感を覚え視線を戻す。
離れたところから七葉の微かな静止が聞こえてきた。
「七葉はもうすぐ…」
「やめて!」
七葉の叫びと共に何処からともなく桜の花弁が渦を巻いて郷里に襲い掛かる。数百、数千の花弁の刃は地面を抉り跡を残す。
しかし郷里は襲い掛かる桜には目もくれずに静かに佇んでいた。
その時、桜に紛れて小さく風を切る音が聞こえた気がした。すると郷里の左腕が何かを掴む。
黒光りするその太い針状のものが二本、それが飛ばされたのだと漸く気づく。
掴んだそれの向きを変え一つを桜の渦の中心に飛ばすと、一瞬で舞い散っていた桜の花弁が消え去り元の地下牢に戻った。
荒い息を吐く七葉へ残りの刃が放たれる。
ーザシュッ
放たれる瞬間の刃を紅矢は唯一動く右腕で受け止めた。
「紅矢君!」
「紅葉…っ!」
針の先端が右手を貫き血が零れるがそれには構わず、驚きに固まる郷里の手を掴み七葉に視線だけ向ける。
「逃げろ!早く!」
叫んだと同時に郷里の右腕が伸び両頬を掴まれる。
「…なんで?…なんであいつなんだよ…」
虚空を見つめる瞳は光もなく暗く濁った緑が紅矢を映す。途端に悪寒を感じた。今までの人生で殺気や恐怖を感じることはあったがこれは違う。
「俺を見ろよ!紅葉には俺がいるだろう!」
これは、執着だ。
依存と嫉妬、歪んだ感情の果て。"紅葉(彼)"はこの事を知っていたのだろうか。
喚く郷里の手が紅矢の首を容赦無く締め付ける。
「紅葉が悪いんだ。俺の言うこと聞かないから…」
絞める腕の力が徐々に強くなっていき意識が朦朧としだす。
このまま死ぬのだろうか。
嫌だ。
こんなところで。
ーナラバ殺セ。
声が聞こえた気がした。
"またお前か"と、考えることを放棄した脳が当然のように打ち出す。
ー怒ッテイイ。憎悪シテイイ。全テヲ…
「やめて!」
郷里に向かって渾身の力を込めて七葉が体当たりする。
首を絞めていた手が離れ、多少よろめきながらもギロリと七葉を睨みつけ蹴り飛ばした。
地に転がる七葉の体を踏みつけると苦しげに呻きながらも七葉の瞳は彷徨いながら紅矢に向かう。
それが郷里の怒りを増大させていく。
「紅葉をそんな目で見んじゃねーよッ!キモチワルイ!」
七葉の前髪を乱暴に掴み、近くに刺さっていた七葉の針を手に取ると引き抜き振り下ろす。其れは七葉の左眼に真っ直ぐ向かう。
奇妙な音が耳に響く。
「きッぁ"あぁやッぁぁぁぁぁ!!!!!!」
次いで七葉の悲鳴が牢内に木霊す。
庇うように手で抑える七葉の左眼からとめどなく溢れる血と、虚ろな瞳で壊れたように笑みを零す郷里をただ呆然と紅矢は見つめていた。
「な、な…くさ…」
ー憎イダロウ。アノ鬼ガ。
ー殺シテシマエ。
ー何故我慢スル?力ノアル者ガ偉イ、其レガ"此処"ノ掟ダロウ。
闇が優しく俺を包み込む。
七葉の優しい陽だまりのような笑顔が瞼の裏に浮かぶ。
「……殺ス」




