二
時間は少し遡って五日目の夜。
ここしばらく、というか牢に来るのは郷里、そして七葉と舞月の三人のみで。時間帯も大体同じ感じでパターン化していた。が、今日は違った。昼間は欠かさず来ていた郷里が来なかったり、夕方現在は、何時も七葉と舞月が来る時間より少し早くに数人のフードを被った老人達が現れた。
白い髭や皺がとても年老いた様を感じさせるが、鬼であるが故か、その背は真っ直ぐであったり健康的な肉体がフードの中でもわかった。
ただ一人。中心で周りよりも小さく感じる老人は他と異なり肉は薄れ骨が浮き上がり、肌は血の気がなく青白い。
浮き出た目が爛々と光を放つのにゾクリと背筋に悪寒が走る。
周りの者が紅矢を囲むように半円を作り出す。目の前まで歩み寄って来たのは気味の悪い老人のみ。
「ほう。確かに、華桐の子に似ておる。相変わらず生意気そうな目じゃな」
そう呟き、返答は必要なしというように皮と骨で出来たような細長い腕が紅矢の眼前にかざされる。
それに咄嗟に危険を感じて顔を逸らす。
見るな。見るな。
手から視線を無理矢理外す。
しかし髪を掴まれ力尽くで前を向かせられた。痛みに顔が歪む。微かに見えたのは銀髪の壮年。何も映さない虚ろな深緑の瞳を見た瞬間、無意識に涙が流れる。
胸が詰まって苦しい。何故か分からないからこそ尚更。
壮年を遮って再びかざされた骨ばった掌が紅矢の視界に入る。
『転成せし紅葉の魂よ』
皺がれた声が反響するように頭に響く。
目を通し魂を掴まれたように、掌から目が離せない。
思考が纏まらず、身体の神経全てが遮断されたかのように動かない。
たった一つ。涙だけが後から後から溢れてくる。
『…力を呼び起こせ。赤月姫を身に持ちし、破王の資格を持つ者』
術文の合間に入る語りかけるような言葉が頭に直接叩きつけられる。
朦朧とする意識の中でも、痛みが頭、身体に広がる。
「はぁっ…っぐ!」
目の前の老体の言葉に拒絶を訴えているようだ。それでも入り込んでこようとする"呪い"が魂を侵す。そんな感覚に一瞬脳裏を過ったのは先程の銀髪の壮年。
その瞬間ふつふつと湧いた怒りが紅矢の意識を留めさせる。
何に怒っているのかすら分からなかったが、呑み込まれてはいけないことだけは何と無く分かった。
ー呑み込まれたら彼奴と同じになる。
(…彼奴って誰だっけ?)
そんな事を思うがとっくに停止した脳は働こうとしない。
ただ苦悶の声と、時折の悲鳴が牢内に響いた。
それから数時間ほど経った。
精神的苦痛が多大な負荷となり意識が消えかける。心と肉体が別々に分かれてしまったかのように、意思はあっても体力が底をついた体は意識を失いかけていた。
これが最後だというように老体は一言。
『眠れ』
その一言で、意識は闇の底へ落ちていった。
綺麗な長い緋色の髪が足元に散らばる。正面には黒い髪の男が、真紅の瞳を悲しみに染めて立っていた。
赤く染まった手を伸ばして男が"俺"を呼ぶ。
『紅矢!』
聞き覚えのある声とともに右手を取られる。正面からではなく背後から。
引っ張られて振り返った先には有沙がいた。有沙に引かれて男から逃げるように走る。
あの緋色の髪と男が頭から離れず、後ろを振り返ると男は消えていた。腑に落ちないもののこれ以上知らずに済んだことにほんの少し安堵した。その途端握られていた手の感触が消え、有沙の姿は跡形もない。
「っ!有沙!あり…ッ!」
慌てて周囲を探すように見回すと足が水を踏む音がした。そちらに視線をやれば、あったのは水ではなく血。
小さな血溜まりは徐々に徐々に広がっていき、そこに沢山の骸が浮かんだ。
心臓が早鐘の様に脈打つ。
骸の顔は誰一人として知らない。しかしそいつらの見開かれた目は全て責めるように"俺"に向いていた。
「っやめろ…やめろ!」
叫んだ途端刃が体を貫く。貫かれた腹部から血が滲む。
刺したのは茜色の髪の少年。
殺意と憎悪の篭った橙の瞳が"俺"を射抜く。
『シネ…シネ!オ前ノセイデ!』
ずしっと背中に重みがかかった。橙色の髪がところどころ血で固まっているのが見える。
生気の無い濁った髪と同じ橙の瞳が"俺"に向く。
『許サナイ。私ヲ、コロシタクセニ』
ー許サナイ。許サナイ。
一斉にあちこちからあがる怨みの念。
それらの言葉が刃となり身に突き刺さる。
その一つは、本物の刃だった。
女と共に後ろから刺したのは、紅い刀を手にする綺麗に切り揃えられた藤紫色の髪の女。
『貴方ハ何処二行ッテモ逃ゲラレナイ。自由二ナンテナレナイ』
ーやめろ。
橙色の髪の女が続く
『可哀想二。君ハズット独リボッチ』
ーやめろ!
『コノ先モズット、ズットズットズットズットズットズットズットズットズットズーーット独リボッチ』
「うあぁああぁああああ!!」
絶叫は薄暗い地下牢に虚しく響いた。




