四
元老達の話が終わり薄暗い森を、草を踏み締めて歩く。年寄りの話程つまらないことはない。まぁ、でも面白い話もあったか。
にたりと笑みを浮かべる郷里は、見ている者がいたら恐怖しただろう、醜く歪んだ笑み。
早く紅葉に会いたい。
これから起こることに笑みを零さずにはいられない。上機嫌に洞窟に戻る郷里は入り口で誰かとぶつかった。金の瞳と目があう。
「なんだ、いたのか波舞月」
波舞月とはこの兄妹の総称だ。その時々でどっちかなんて考えるのもめんどくさい。どうせ同じ個体だろ。特に訂正もせず舞月は、別に、とだけ呟き通り過ぎて行く。
あの兄妹には手を出さない方がいい。舞月はたいしたことはないが、波月は危険だ。紅葉と同等レベルの力を持ち、あの性格。年寄り連中ですら手を焼いているのだ。郷里も無視を決め込み歩き出そうとする。
「さっきは上機嫌だったなァ?爺連中が何か言ってたか糞犬」
突然、うざったらしい笑い声を含ませた言葉に止められた。振り返り静かに睨みつける。波月だ。
「誰が糞犬だ」
「違わねェだろ。ご主人様探しもやッと見つかってよかったなァ」
犬の鳴き真似をしてクツクツ笑う波月に苛々する。
狂気を含んだ金の瞳が郷里を射抜く。
「で?なァんの話をしてきたんだァ?」
至極楽しそうに言うが、目は笑っていない。
周囲に水気が集まってきているのが肌で感じる。断っても無理矢理聞き出すつもりか。なるべく面倒ごとは避けたい。
そう判断して仕方なく口を割った。
そろそろ郷里が帰ってくるだろうからと紅矢と別れた七葉は森の中を歩いていた。
洞窟を出るまで郷里とは会っていないから、まだ帰ってきてなかったか、反対の通路を通っているみたいだ。洞窟内は広間を中心に分断する様に正面口と裏口がある。どっちがどっちとは決められていないが。
適当な木の幹に凭れかかって空を仰ぎ見る。
茜色と夜の色が混ざった色の空に鉛のような重々しい雲が途切れ途切れに掛かっている。綺麗とは、言えない。
自然と溜息を吐くと、ふと浮かんだ紅矢の優し気な眼差し。
そういえば一度だけ、あの優しい笑みを見たことがあった。
もう何百年も昔のこと。それでも七葉の中では一切色褪せることなく脳裏に焼き付いている。心が温まる、優しい世界を一部だけでも見せてくれた、紅葉君。私の初恋の人。孤独な筈なのに、それでも彼の世界は優しさに包まれていた。
今まで生きてきた中であんなに優しい世界はあの日の思い出だけだ。それも、一時間にも満たない、ほんの数分の出来事だった。あの時と比べて、今のこの世界はなんて冷たいのだろう。
この世界で生きるのは、優しさを知ってしまった七葉にはとても辛い。
思わず泣きそうになる。
視界が歪んで慌てて涙を拭う。
と、草を踏む音と共に空色の髪が見えた。
「舞ちゃん?」
「それ、やめてほしいんだがな」
相変わらず七葉の呼び方に文句を言うがたいして嫌そうではない。
七葉の顔を見てギョッとした舞月が慌てて駆け寄る。
「どうした!何かあったのか?」
何事にも動じない舞月の表情が崩れ、必死に宥める姿に、何でもないよ、と涙を拭い努めて明るく笑う。
「ほんとうに何でもないの。それよりどうしたの?」
舞月がわざわざ此処まで追ってくる必要は無いし、随分前に出て行った筈だ。
不思議に思っていると、舞月は静かに頷いた。
「さっき波月が郷里から聞き出したんだが…」
夜中の二時頃。
殆どの鬼が眠りについた頃を見計らって、郷里や七葉がいる洞窟から随分と離れた山小屋に来た七葉は扉を叩いて小屋の主を呼ぶ。
「華桐様!いらっしゃいますか?」
一拍あいて扉が開き、内から初老の男が出てくる。
「七葉、どうした?こんな時間に」
優し気な真紅の瞳に一瞬安堵を覚え、直ぐに両手を握りしめる。
「どうしても…お話したいことが…」
そう言うと男は数秒考え招き入れてくれた。無駄な物がないほんとうに殺風景な部屋。この部屋はいつ来てもこの男の寂しさが満ちている気がする。
何もないのは、大切なものを全て己で切り捨て、そして捨てられてしまったからか。
この人はとても優しい人なのに、この堺藤の掟がこの人を孤独にさせてしまった。
でもそれは私も同じことだ。
壁に目をやると、上等そうな淡い桃色の着物の切れ端と樹脂で固めた紅葉が飾られていた。
「久しぶりです、紅葉を見るのは」
「お前は来るたびいつも同じことを言うな」
苦笑を漏らす彼は三百年以上前の堺藤の鬼の棟梁であり、紅葉の父親だ。今は棟梁ではないのだから様付なんてするな、なんてことを前に言われたが私にとっては今でも華桐様は華桐様だ。
「で、話とは?」
促されて座すと用件を問われ居住まいを正す。一息吐いて七葉が事の経緯を話し出した。
「…ということがあって…」
「なるほど。紅葉そっくりの…その紅矢、という子は力があるのか?」
あらかたこれまでの経緯を手短に説明し終え、華桐の反応を見る七葉に華桐が問う。それに首を横に振るが思い出した様に付け足して答える。
「でも、傷が…」
「治った…か」
「……はい」
確実に人間が出来る範囲を超えている。
紅矢が鬼だと断言出来るわけではないが、紅葉と何らかの関わりがあると七葉は考えていた。七葉の話に華桐も同様の考えのようだ。意を決して七葉は口を開いた。
「そして、郷里君の話だと…」
七葉の話を聞いた華桐の握り締めた拳が微かに震えていた。
「また…あいつらはッ…」
普段は物静かな空気を纏う彼が珍しく怒りを露わにする。三百年前に一度だけ見たことのある姿。
紅矢が堺藤に来たことで、堺藤は三百年前に戻ったかの様だ。再び、同じ事が繰り返されると思うと胸が詰まる。胸に手を当て七葉は思う。
華桐は恐らく今回の件も妨害するだろう。私も出来ることをしよう。まだ若かった頃の私とは違う。今なら少なからず力になれることがあるはずだ。
七葉はグッと拳を握りしめた。




