久方の再会
昔馴染みの友人が、こっちに来ると連絡を寄越したのは確か一週間前。私が心を込めて送る手紙に、いつもメールで返事を寄越す無粋な彼だったのだが。何年ぶりだろうか、手紙を送ってきた。
渡したい物があるからそっちに今週の日曜日行く、と一文だけ。……到着予定の時間が、書かれていなかった。午前に着くか、午後に着くかさえ。
数年ぶりに会う友人を思うと、私は今朝からそわそわしてしまい、柄にもなく部屋を掃除したり、来客用の茶道具を出したり、庭の手入れをしたりして……既に慣れない労働にぐったりしていた。この時代誰も普段着にしないような浴衣を着崩したまま、胡座をかき今にも机に突っ伏しそうな程に。
壁の時計を仰げば午後の二時。部屋は典型的な日本家屋の和室なのだが、かかっている時計は銀色の、無機質なデジタル表示のもの。ミスマッチなのはこの上ないと理解しているのだが、買い換えようにも雰囲気に合うものが選べないのも事実。どうしたものか、と彼に手紙で送ったことがあったが、大した返事は得られなかった覚えがある。
しっかし、彼はいつ来るのか。約束した時間に遅れるような奴ではなかったが、そもそも時間を約束していない以上遅刻も何もありはしない。
「全く、普段やらないことをするからそうやって大事な情報を書き忘れるんだ。これじゃ落ち着かないじゃないか……本当に、どうしてくれよう」
「書き忘れたんじゃない。書かなかっただけだ」
自分より低い声に慌てて振り返る。と、そこには待ち人の姿が。脇には大きめの荷物を抱え、シャツにネクタイを締めた姿で立っていた。
「……いったいどこから入ってきたんだい、君は。そもそもその格好は仕事帰りなのか? 日曜日なのに」
「きちんと玄関から入ってきたさ」
親指で廊下の方を指しながら彼は言う。
「出張帰りだからな」
「インターホンを押して入る、という常識は必要ないのか」
玄関の脇の、目線よりわずか下にあるインターホン。気付かなかったと言わせるものか。昔からあったものだ。それこそ、彼がまだ幼く、私と共に遊んでいた頃から。
「インターホンを押す必要性を感じなかったからな。庭を通ったとき後ろ姿が見えた上に、玄関の戸が開いたままだった」
「そりゃ、換気の為に開けてはいたが、礼儀という…………ああ、もういい。君に、私に対しての礼儀を求めようとした方が馬鹿だった。……相変わらずで、何よりだ」
溜息と共に苦笑すれば、彼も頬を緩ませる。彼は昔からこんな奴だった。それが礼儀正しくインターホンを押し、お邪魔します、と一声挨拶してから部屋に上がったものなら、虫唾が走るに違いない。
なんだか体から良い具合に力が抜けた気がして、机へと突っ伏した。上半身を起こすのも面倒になってきて、そのまま腕を伸ばし、ずるずると急須がのった盆を引き寄せる。
「疲れてるのか?」
「君が来ると言うからね、今朝からどうも落ち着かなくて。片付け等々やっていたら、ま、その」
「それは悪かったな。仕事の終わり具合が読めなかったから連絡を入れなかったんだが」
そんなに気にしなくていいさ、と言いながら急須に手を伸ばす。湯飲みを並べて茶を入れるだなんていつ以来だろうか。立ち上る湯気を見ながら思う。
「しかしその程度で疲れるのは情けないと思うが。きちんとした仕事をして、体力つけたらどうなんだ、いい加減」
ぴし、と音を立てんばかりの勢いで動きが止まった。涼しい顔で言ってくれて、この。
「資産運用というきちんとしたことをやっているだろうが、私は。生きていくのに必要な金はこれで十分なんだ。立派な仕事だと思うがね」
「趣味の範囲内だと俺は思うが。……ま、いいさ。お前に説教しに来た訳じゃない。これを、渡そうと思ったんだ」
彼は持ってきていた荷物を私に渡す。結構な重みのあるそれを開けてみろと言われ、覗いてみればそこには落ち着いたこげ茶の、振り子時計が入っていた。
「貰い物だったんだが、お前が部屋の時計をどうにかしたいと言っていたのを思い出してな」
金古美の針や振り子が一層のアンティーク具合を醸しているそれは、どう見ても高価なものとしかとれない。いくら彼からとはいえ、無条件で貰って申し訳なくなるくらいに。
「すごく嬉しいんだが……私は何か君に、お礼をできるようなものを持っていないんだ、生憎。大丈夫なのかい、それでも」
時計から彼に目を移す。彼はいたって涼しげな顔で、貰ってやってくれ、と言った。こっちが礼に持ってきたようなものだから、と。
「前、手紙で写真を送ってくれただろう? 昔二人で取った写真。あれを見たら、過去をのんびり顧みる時間や余裕も必要なんじゃないかと思えてきた。ちょうど仕事三昧で疲れていたのもあって、何だか気が軽くなってな。助かった」
「ほう、私の手紙が、ね。埃を撒き散らしながら部屋の中をひっくり返した甲斐があったものだ。……そうとなればいただこう。大事に使うよ」
箱から取り出すとその下から小さな鍵状のものが出てきた。時計の背にはそれがちょうど入りそうな穴。
「これ、巻くやつなのか。私はやったことがないが、君は」
「……なんだお前、時計を巻いたこともないのか」
「ない、ね。やり方が分からないんだが、やって貰えるかい」
白々しい顔で彼に時計とセットで押しつける。彼は迷惑そうな顔をしながらカチリカチリとゼンマイを巻いていく。きっちり巻ききったところでそれを畳の上に立てれば、振り子の規則正しい音が部屋に響き始めた。
「ありがとう。……いい音だね」
「そうだな。今じゃもう、殆どの場所で聞けない音だ」 彼はしみじみとして時計を見ている。歳が同じなだけあって、身体に染みついたその音を懐かしく感じるのは私だけではないらしい。――ああ、そうだ。
「これは一ヶ月くらいで止まるだろうから、そうしたらまたここにきて、巻いてくれないかい。君の手元をさっき見ていたんだがね、どうも複雑な動きで私には覚えられそうにない」
からかうような口調で言えば、怒ったような呆れたような、複雑な表情をした彼と目が合う。発言通りにとったらそういう反応にはなるだろう。が、無論そういう意味で言った訳ではない。……口に出して言わなければ、駄目か。小恥ずかしいことこの上ないのだが。
「一ヶ月に一回でいいから会って、互いに昔話をしようじゃないか。っていうところまで言わないと伝わらないか、君には」
「お前に言われたら分からないな。本気で毎月ゼンマイ巻きをさせられそうだから」
お互い顔を見合わせ、くつくつと笑い出す。ああ、この瞬間が好きなんだ。穏やかで、楽しくて、平和なこの瞬間が。くだらないことでただただ笑い合うのも、静かに黙って同じ時を過ごすのも。学生の頃はそれが普通だったから何とも思わなかったが、今となってはそれらがとても愛おしい。
縁側から吹き抜ける風に目を細めながら、彼は茶をすする。そうだ、菓子を出していなかったな。美味しいものを買っておいたんだ、と立ち上がり台所へと行く私を、ゼンマイ巻きを副職にするかな、という彼の呟きが追い越していった。