side:エース
キィィィィィン。
軽快な金属音が球場内に響く。
「あ、また点取られた」
小さな声で言ったつもりだったのだが、狭いベンチの中ではよく聞こえたみたいで、周りの皆から思いっきり睨まれた。恐いからとりあえず気付かない振りをして試合を見るとしよう。
俺の高校は名門校として名を馳せており特に強力な打線が魅力とされているが、投手の方はまったく駄目で過去に投手力不足で何度も甲子園を逃している。
そこで、俺は一大決心してエースとなる為にこの高校に入ったのだが、他にも俺と同じような理由で入ってきた投手がいた。そいつは速球で押していく、いわゆる本格派の俺と違い、変化球でかわす軟投派なのだが、ここの監督は軟投派が好みだったみたいだ。その結果、俺は三年間公式戦で使われることなく、当然、エースの座も俺のもとに来ることはなかった。
最後の夏大会。あと一勝で甲子園というところまで来て、軟投派のエース、佐野は打ち込まれている。
さすがに決勝に来るだけあって相手もかなりの強豪校である。勝つ為にエースの研究をし尽くしてきたのだろう。ことごとく癖を盗んで打っては走ってくる。
このままでは追いつくのが困難な点差となってしまう。監督もそれが分かっているのか、さっきから貧乏揺すりをして落ち着かない様子だ。
「いくらあいつでも、変えたほうがいいんじゃねぇのか?」
隣に座っている、俺と同期の島田が呟いた。
俺もまったくその通りだと思うので、それを俺ではなくぜひ、監督に直接言ってもらいたい。まあ言ったところで変えはしないだろうが。
絶対的エース。その看板を背負って佐野は一年の頃から投げ続けてきた。他にも俺を含めて投手はいるのだが、圧倒的に試合経験に差がありすぎる。普段はまったく使ったことのない俺たちとあいつを変えるのは恐くて、小心者の監督には出来ないだろう。
俺の夏も、もう終わりか……。
俺はため息を吐くと目を閉じてベンチに寄っかかった。
キィィィィィィィィン。
また、軽快な金属音が耳に届く。音の良さ、観客席から湧く声からしてホームランでも打ったのだろう。もはや見る気すら起こらない。
そのとき、ベンチは動いた。
「タ、タイム!」
監督の声が響く。
俺はその声に驚いて慌てて監督を凝視した。他の奴らも驚いたらしく、俺と同じようにして監督を見ている。
「あ……しまった」
監督が微かにそう呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。
どうやら監督は交代するかどうか悩んでいるときに、エースがまた打たれたものだから反射的にタイムを掛けてしまったらしい。でもまあ、すぐに取り下げるだろう。
そんな中、二校の選手の注目を一身に集めている監督が口を開いた。
「と、と、投手交代!」
その声は物凄く裏返ったものであり、普段なら爆笑するところだっただろう。現に相手側のベンチでは笑いが漏れている。だが、こちら側としては告げられた内容が衝撃的すぎてそれどころではなかった。事実、俺らチーム全員にどよめきが走っている。
ブルペンで用意もさせてないのに一体誰に投げさせるのか。
監督が俺を見た。
「小田、行け。後は頼んだ」
俺――!!??
告げられて一番驚いたのは、他の誰でもない俺だろう。まさか、公式戦初の登板がこんな形で来るとは思いもしなかった。
俺が驚いて固まっていると、隣に座っている島田に背を叩かれた。
「やったな、小田! 期待してんぞ」
「島田……」
「大丈夫。お前ならやれるって。お前は誰よりも一番練習してきただろ」
島田がそう言うとベンチにいたみんなが一斉に頷いた。
「みんな……」
俺は軽く感動していると再度監督の野太い声が聞こえてきた。
「どうした小田。行かんのか?」
「行きます」
俺は静かに返事をするとマウンドに向けて歩き出した。
「頑張って来いよ。俺たちの、もう一人のエース!」
「おう!」
ベンチからの仲間の声を背に受けて、俺はマウンドに向かう。マウンドには三年間君臨し続けたエース、佐野が立っていた。
「随分と待たせちゃったね。小田」
「ほんとだよ、佐野。お前のせいでマウンドに立つまで三年も掛かったぜ。ま、後は俺に任せてくれよ」
俺はわざと茶化すように言うと佐野は少し笑った。
「任せたよ」
佐野は手に持っていたボールを俺に渡すとマウンドから去っていった。それと同時に内野全員が駆け寄ってくる。
「なあ、いきなりで大丈夫か?」
女房役の福田が話しかけてきた。
「いいから任せろよ。こんな点差だ。今さら小細工なんかしてこないだろうよ。だとしたら、こっちも真っ向勝負で行く」
「そうだな」
「頼んだぜ。第二エース!」
「へますんなよ」
「俺んとこに打たせろよ!」
俺の言葉に納得したのか、それぞれが思い思いの声を掛けて散っていく。
「プレイ!」
投球練習を終えると、試合再開が告げられた。
一緒にやって来た仲間たちに背を押されて、そして、エースである佐野に後を託されて俺は今ここに立っている。そのことに全身が熱く火照って来ているのを感じている。
ここで投げられるという高揚感。みなぎる闘志。
全てを掲げて俺は振りかぶる。三年分の思いを込めて、今、投げる。
俺の手から放たれたボールは相手のバットの空を切り、ミットに轟音を響かせた。
今だけは、俺がエースだ!!