「神の鳥」
あくまで当方のイメージを元に書いております。その点、ご注意ください。
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アイヌを下敷きにしたお話。豪放磊落な部族の長の青年と、その前に白い梟の姿で現れる神の鳥。
今日も彼女は背に持つ黒白の翼をもって空を往き、澄み渡る藍が星に飾り付けられて色を深める頃、地上へと向かった。
彼女は人からコタン・コロ・カムイと呼ばれる。
国造神からクニを見守る役目を授かり、人界では村護りの神として知られている。
翼の白と同じ真白の髪と神秘的な黒檀の瞳。
神界においてのその姿は、一見、愛らしい娘のようにみえても、その本質は見紛いようがない。
天から地上を睥睨するその眼差しは揺らぎも無く、ただ、底の見えぬ静けさをたたえていた。
と、その視線が一点に向けられると同時に、さも不本意そうに顔がしかめられる。
―――今夜もあの男は懲りもせずに待っているのだろうか。
彼女は連綿と続く森の一部に近付くと同時に、その身を一羽の梟へと姿を変える。
所々に紋様のような黒が散るも、広げられた翼も腹も夜目にも白い。
―――だから彼は『彼女』の事を、レタル―――白―――と呼んでいる。
「来てくれたのか」
村の外れから分け入り、慣れぬ者ならすぐに己が歩んだ道さえも見失う森の奥深く、一つの木立を抜けた先にぽっかり空いた地表がある。
先は崖になっており、一つの村の全景を一望できるその場所に、またしても、青年は待っていた。
定位置となった木の枝に留まれば、その姿を見つけた彼の顔が心底嬉しそうにほころんだ。
精悍な顔つきは少年のようにも壮年のようにもみえ、若いくせに嫌になるほど貫禄のある男だ。
見るからに鍛え上げられた体躯の持ち主で、手に握られたままの大刀を収めた鞘は使い古されて傷だらけだった。
その身には色褪せた生成りの長衣を合わせているものの、袖口や前衿は黒地に手の込んだ文様が施されている。悪霊を寄せ付けぬ魔除けの刺繍だ。
一目一目が丹念に縫い取られたそれは晴れがましく見事なものだった。―――それだけが、彼の高位の身分を象徴している。
時にヌイ・ムカル―――炎の斧―――の名を冠する彼は、いたって磊落な笑顔で彼女を見上げて言った。
「最近、ご無沙汰だったじゃないか。俺は随分と寂しい思いをさせられたぞ」
まるで、腕に抱いた愛しい女に語りかけるように。
だが、温かな眼差しの先にあるのは、一羽の梟が物も言わずに首を傾げるばかりだ。
「ついこの間、今年一番の新酒が出来上がってな。お前にも味見させてやろうと思っていたのに。
稀にみる美酒だ。つい飲み過ぎて、空に飛び立てぬほどになろうかという、な」
誇らしげに宣言すると、青年は頭上の梟と同じ方角へ、ほとんど灯りの見えぬ眼下の村へと振り返る。
笑みを含ませない、鋼のような強さで一瞥すると、また、その目が笑みを含んで細められる。
だが―――今度のそれは、目の前の相手をぞっと凍えさせるような、恐ろしく苛烈な笑みだった。
「―――三年か」
低く呟く。
しばしの沈黙が降りた。
「レタル、俺を長と認めぬ輩がついに重い腰を上げるそうだ。自分たちに都合の良い傀儡にならぬからと、な。
つくづく人の世というのはわけのわからぬように出来ているものだ。
数年前はただ刀を振るうだけの男でしかなかった俺が、今では村で最上の美酒を口にし、長と祭り上げられる身分になろうとは」
男は顎に手をやりながら、心の底から不思議そうに言う。
「あんな面倒臭いもの、やりたい奴がやればいいと思うんだが」
溜息混じりに本音を洩らして、相変わらず黙ってこちらを見つめるばかりの梟と目を合わせれば、同じ言葉を話せずとも、明確に伝わってくる非難の色が。
「―――やはり、それはいかんか」
ばつが悪そうに、それでもからりと笑う。
しかるべき相手ならともかく、村の、一族の事など念頭に無い、己の私欲ばかりを優先する卑小なる者どもに、この座を明け渡すわけにはいかない。
手元に転がり込んできたものとはいえ、彼を長と慕ってくれる村人もいる。彼自身も四苦八苦しながらその役目を負ってきた。
いつの間にか、生まれていた愛着。
それがどうしようもなく、苦笑を引き出す。
彼は機敏な動きで大刀を抜き放ち、目の前に垂直に立てると、刀越しに一羽の梟と向き合った。
―――獣は、カムイの化身。
神界から人前に姿を現す時、カムイは獣のかたちを取るという。
或る日、彼の前に突然、姿を見せるようになった梟。
その丸い瞳は荘厳なばかりの光を宿し、見つめられれば己の在り方を問われているような気がした。
「お前が何者だとしても構わん。神であれ、ただの鳥であろうとも」
彼が肩書きの無いただの男であった時より、一筋も変わらぬその存在。
「俺は俺のなすべき事をしよう。お前に愛想を尽かされぬようにな」
―――だから、また来てくれ。
笑って頭を下げた男を見下ろした彼女は、何も答えない。
ただ、男の穏やかなばかりの目の裏に透かしてみえる決意を受け留めるように、しばし目を合わせた後、翼をゆるりと広げ、飛び立った。
彼は誓うように刀を掲げたまま、夜空にその優美な影が吸い込まれるまで見送っていた―――。
神界での姿、人によく似た少女の身に立ち戻ると、彼女は去ったばかりの方角を肩越しに見やった。
今しがた会った人の部族の長がいつも待つ、その場所を。
―――近い内に、私はあの男の肩に舞い降りる事になるだろう。
魔を払い、騒乱を鎮めるために。
それが、彼女の役目だ。
―――なぁ、お前に触れてはいかんのか? 駄目か? ちょっとくらいいいだろう?
子供のように開けっ広げな笑顔で迫る面倒な男の面影を思い出し、彼女は小さく溜息をつくと、また、地上を見回るために飛翔したのだった。
このようなお話で恐縮ですが、こちらは「カムイチカフ (神の鳥)」の絵師さまである黒雛さまに捧げさせていただきます。
この、つたない拙作にイラストまでいただいてしまって…!
このような機会を与えていただき、本当にありがとうございます。
今後ますますのご活躍をお祈り申し上げております。