七
ウィーンに着いたリクトはホムンクルスと別の場所に連れてこられた。法衣から、囚人のような薄汚い服へと着替えさせられ、リクトの内心は穏やかではない。
連れてこられた場所はリクトもよく知る場所であった。異端審問所の地下、異端者の取調べを行う岩作りの個室。
個室には異端者が座る鉄製の椅子と、テーブルに木製の椅子。そして、鉄格子がありその奥には数々の拷問器具が置かれていた。異端者が自白をしない場合、死なない程度に拷問にかける場所である。
リクトもこの場所で、異端者が拷問にかけられる様子を何度も見た事がある。まさか、自分が審問される側に来るとは思ってもいなかったが。
リクトは手枷を付けられた状態で、鉄製の椅子に座らせられる。鉄製の椅子は硬く、冷たく、座り心地は最悪だった。テーブルの向かいには、グラーツの商人に対する異端審問で裁判長を務めた男が席に着いた。その隣には、書記としてリクトの同僚である異端審問官が座っている。
ここでの会話はすべて、記録され異端審問に使われる。聞いたことに答えないと、拷問されることもあった。
同僚の異端審問官はリクトの姿を見て、口元をつり上げる。
「君か……。私は君なら、いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていたよ。異端審問官の癖にまるで信仰心が感じられない。君のような人物が審問官であることが不思議でならなかったからね」
同僚とはいえ、十歳以上も年上の中年異端審問官に嫌味を言われる。リクトは若くして異端審問官となり、その実績も十分にあるリクトは、同僚から煙たがられる存在だった。今回のことで、リクトの地位を失墜させようと考える異端審問官は多いだろう。
「無駄口は慎みたまえ。ここは私怨を挟んでいい場所ではない。これ以降の発言は禁じる。肝に命じたまえ」
裁判長の言葉に、異端審問官は苦い顔をするが、その後発言することはなかった。
「さて、先ずはこんな所に君を呼び出してすまないと思っている。君は異端審問官として、職務に忠実であった。今回のことも調査の一環であると思っている」
裁判長はテーブルに両肘をついて、手を組む。そして、リクトを睨み付ける。言葉と本心が真逆であることを、リクトは理解した。この場に自分の味方はいないと判断する。
「先ずは人造人間を作った錬金術師に関して訊ねたい。名前と外見を教えてはもらえないだろうか?」
「名前はヘルメス・トリスメギストスと名乗っていました。間違いなく偽名でしょう」
その言葉に裁判長は眉をしかめる。
「何故、偽名とわかって名前を問いたださなかったのですか?」
「名前など、いくらでも偽れます。本名を名乗る気のない人間に、いくら問いただしたところで時間の無駄でしょう」
リクトは本心を話す。それには裁判長も納得したのか、追求はしなかった。リクトは続いてヘルメスの外見を語りだす。
「外見は白髪に金の瞳、年は四十歳程度の男性です。身長は私より少し高い程度で、外出時は黒いローブを着ているようでしたが、部屋では白衣を着用していました」
リクトは真実を織り交ぜながら嘘を吐く。真実を語るより錬金術師のイメージを優先させたほうが、本当の事を言っているように聞こえるからだ。実際に二十代の女性と言ったら、信じてもらえないだろう。
「なるほど、あの小屋でヘルメスは何をしていましたか?」
「主にホムンクルスの創造と、資金稼ぎの為のポーション作成です」
聞きなれない単語に裁判官と異端審問官は首をかしげる。
「そのホムンクルスとは何ですか?」
「人造人間の名前だそうです。ヘルメスはそう呼んでいました」
リクトの言葉を聞いて、裁判長はホムンクルスと呟いた。
「そのホムンクルスというのは、本当に人造人間なのですか?」
「ええ。味覚、痛覚、嗅覚はなく、血も流れていません。あの体はヘルメスが作ったもので間違いありません。そして、どうやら感情もないようです」
裁判長は感心しながら話を聞く。そして、少し沈黙が訪れると、異端審問官が走らすペンの音だけが部屋に響く。
「これからが本題なのですが、君はどうしてヘルメス、ホムンクルスと共に長い時間を過ごしたのですか?」
「それは私が人造人間の創造に加担していたと、お考えなのですか?」
裁判長はリクトの問いに答えなかった。
「少し調査に夢中になってしまいましてね。神の領域に足を踏み込むその技術。そして、生まれたホムンクルス。どれも、異端どころの話ではありません」
リクトは嘘を言っていない。確かに人造人間の技術を調査していたといえる。だが、実際はホムンクルスの創造に加担していた。そこまで言えとは言われていないから、答えないだけの話である。
「つまり、ウィーン騎士団長の言葉通り、人造人間を確保し錬金術師にばれないように教会との連絡を取ったという訳か?」
これがリーグルの言っていた、悪いようにはしないという意味なのだろう。つまり、リクトは人造人間を捕らえた英雄という訳だ。
「まあ、そうなりますね」
結果的にだが、確かにそうだ。
それから、リクトは裁判長に信仰に関する様々な質問を受ける。主に信仰心を試されるような質問だったが、リクトとしては宗派を変えたわけではないので、いつも通り答えただけで済んでいった。
ヘルメス、ホムンクルスの質問と比べると、長い時間をかけて詳しく質問された。水分を取らずに答え続けた為、のどに多少のいがらっぽさを感じる。
「君の言うことは確かに信憑性があり、異端者に加担していたとは思えない。ここでの発言を元に審査を行う。とりあえず、君を釈放しよう」
「ありがとうございます」
リクトは裁判長に向かって十字を切る。信心深いところを裁判長に見せ付けるためであった。裁判長はリクトに対して十字を切り返す。
リクトは手枷を外され、地下室から開放された。そして、囚人のようなボロ服から、法衣に着替えることを許される。
法衣に着替えて審問所の外に出ると、大勢の教会関係者がリクトの出てくるのを待っていた。その様子に何事かと思ったが、話しかけてくる人々の関心はホムンクルスである。
「人造人間って、本当にいたんですか?」
「人造人間って血が流れていないって本当ですか?」
「緑の髪、緑の瞳をしていたって?」
「あの、サイン下さい」
リクトは浴びせられる質問に一つ一つ適当に答えていく。早く屋敷に帰って沐浴がしたいとしか考えていなかった。
ようやく、質問の嵐から開放されると、夕暮れが近い時刻となっていた。そして、人々がいた場所にはリーグルだけが残ってる。
「凄かったわよね。これであなたは人造人間を捕まえた英雄として、教会にその名を轟かせたわよね」
リーグルはにっこりと、人懐っこい笑顔を見せる。確かに人造人間の技術を手に入れることは叶わなかったが、人造人間捕獲という名誉を得た。
少し手順は違うがこれで、確固たる地位を築けることに変わりがない。しかし、リクトには一つ気がかりがあった。
「リーグル、ホムンクルスはどうしている?」
ホムンクルスという単語にリーグルは首を傾げる。
「人造人間のことだ」
「それなら、会いに行く?」
リーグルの言葉にリクトは頷く。リーグルはあっさりと了承すると、リクトを置いて先に歩き出した。リクトはすぐその後を追う。
リーグルが向かった先は犯罪者を捕らえておく牢屋で、ウィーン騎士団の詰め所の地下だった。犯罪者が逃げることができないよう、騎士団の詰め所には必ず数名の騎士が詰めている。
地下牢は審問所の地下と同じように石造りになっていて、歩くと足音が響く。空気は淀み、ジメジメしており、何より臭い。アンモニアの臭いが鼻につく。
通路の両側は鉄格子になっていて、その中には犯罪者が捕らえられている場所もある。
犯罪者は誰もが俯き、静かにしている。どうやっても逃げられない事を自覚しているようで、逃げ出すことも諦めた様子だった。
だが、いきなりこんな所に連れてこられる事にリクトは疑問を抱かずにはいられなかった。
「どうしてここなんだよ。先ずは異端審問にかけられるんじゃないのか?」
地下牢を行くリーグルにリクトは訊ねる。
「人造人間は人に非ず。人間のルールに従う必要はないと判断されたよね。明日には磔にされて、明後日には火刑に処されるわ」
リーグルの口から零れた言葉に、愕然とする。リクトは先程まで、自らの身の安全しか考えていなかった。結果オーライだと思っていたが、その影でホムンクルスがとんでもない目にあっていたのである。
リーグルの歩みが止まり、足音が消える。地下牢の最奥、最も厳重な作りになっている場所に辿り着いた。つまり、ここにホムンクルスがいるということである。
「ここよね」
リクトは恐る恐る牢屋の中を見る。
冷たい鉄格子の奥には、手を鎖に繋がれ吊り下げられているホムンクルスの姿がある。服も着せられずに全裸で磔られていた。
ヘルメスの小屋で別れてから、三日程だったが体の崩壊が進んでいる。額の亀裂は大きくなり、割れ幅が広がっていた。左手の掌が崩れたようで、手首から先が存在しない。その他に、人に傷付けられたであろう傷が増えていた。体には刃物で切りつけたような切り傷、硬いもので殴られたような腫れが確認できる。
「ホムンクルス!」
その姿にいたたまれなくなったリクトはは鉄格子にしがみついて、叫ぶようにホムンクルスの名を叫ぶ。
俯いていたホムンクルスはリクトの声を聞いて、顔を上げる。そして、リクトの存在を認めると、リクトを見つめた。
「リクト……」
ホムンクルスはいつも通りの無表情だが、その顔に生気を感じられない。瞳は虚ろで、力がなかった。口は半開きで疲れが感じられる。
「平気か? リーグル、こいつを牢の外に出してくれないか?」
「馬鹿言わないでよね。この人形は明日磔にされるのよ、出せると思ってるの?」
殆ど期待していなかったリクトは、ホムンクルスの方を向いたままだった。リクトはホムンクルスに向かって手を伸ばすが、当然手が届くことはない。
「おい、無事か? 怪我してるじゃないか!」
「リクト……、リクトは酷い事されなかった?」
ホムンクルスは先ず、リクトの心配をする。
「ああ、俺は取り調べ程度で済んだ。別に何もされていない。それより、お前は大丈夫か? 随分と酷い事されたみたいだが……」
「あたしは平気だよ。痛みも感じないし、こうして吊るされていても寝る必要もないしね。きっとあたしを見た人達はあたしが怖かったんだよ。キリスト教ではあたしのような存在は、タブーとされてる事は知ってるよ」
その様子にリクトは唇を噛み締める。確かにホムンクルスはあらゆることを識っている。しかし、識っていることと体験したことがあるのではまるで違う筈だ。ホムンクルスがこんなことを言うのは、自分の特異性を思い知らされたからだろう。
「お前は、どうしていつもそうなんだ! そんな達観したような事ばかりを言う! 怖かったとか、助けて欲しいとか、逃げ出したいとか言えっ!」
リクトはホムンクルスの態度を見ていて、自分の考えを大声で叫んでいた。そんなリクトの言葉を聞いても、ホムンクルスの口から出る言葉はいつもと変わらない。
「それは無理だよ、リクト。あたしは恐怖を感じないし、リクトの力でもここから逃げ出すことはできないよ。どうせ、あたしは体の崩壊が進んで、壊れる運命にあるんだから、気にしなくていいよ」
どうして、どうして本心を口にしようとしないのか、リクトは歯噛みをする。こんな所に閉じ込められるのは嫌だろうし、逃げ出しと思っているに違いない。沐浴をして気持ちいいと感じたホムンクルスが、こんな所にいたくないと思わないはずがなかった。
ホムンクルスが助けを求めないなら、自分が助け出すと、リクトは決めた。
「リーグル、何とかならないか? 俺はこいつを助けてやりたい。いつものように力になってくれないか……」
リーグルの方を向いて、肩に両手を乗せる。そして、リーグルの青い瞳を睨み付けた。自分が本気であることをリーグルに伝える。
「何? そんなに女性が恋しいなら、私が相手をしてあ・げ・る」
リーグルはリクトに向けてウインクをする。その意外な反応にリクトはどう応えたらいいかわからず、固まってしまった。
「全く、本当に乙女心がわかっていないよね……。それとも、ロリコン?」
リーグルはわざとらしくため息を吐く。
「ふざけている場合じゃない。俺だけの力じゃ無理だが、お前の力を借りられれば可能かもしれない。頼む……」
リクトはリーグルに対して頭を下げる。その様子をリーグルはじっと眺めていた。そして、口を開いた。
「ホムンクルスってさ、マンジェラちゃんに似てるよね?」
リーグルの的確な言葉に、リクトの鼓動が速くなった。
「なんていうのかな……誰にも認められない所とかさ、生まれながらに生きる資格を持っていない所とかそっくりよね。ホムンクルスに、助けられなかったマンジェラちゃんの姿を重ねちゃったの?」
リクトは図星を突かれて、黙るしかなかった。そんなリクトを無視して、リーグルは話を続ける。
「結局、リクトはホムンクルスを助けることで、助けられなかったマンジェラちゃんを助けたいのよね。でも、それってただの自己満足じゃないの?」
リクトの胸が締め付けられる。リクトはホムンクルスをマンジェラの代わりとしてしか、見ていなかったのではないか、そう思わされた。
「まあ、私にとってはそんな事、どうでもいいのよね。ホムンクルスの脱出の手伝いだっけ……」
リーグルは少し考える仕草をするが、すぐに口を開く。
「断る」
先程の人懐っこい口調とは打って変わって、冷たい他人を突き飛ばすような声に変わっていた。目の色も騎士団長としての物に変わっている。
「私はリクトがもっと上の地位を目指せる人間だという事を知っているわ。だから、手助けをしたし、リクトの力になりたいと考えている。だけど、そこの人造人間を助けることで、リクト自身にプラスになることはあるの?」
いつもと違う雰囲気のリーグルに、リクトは言葉が出ない。この迫力でリーグルはウィーン騎士団を纏めているのだ。
「私はあなたの自己満足に、力を貸す気はないわ。このまま、人造人間が火刑に処される方がリクトの為になる。リクトはより地位を固めることができる。私はそう思っている」
あまりのショックのせいか、リクトはリーグルの言葉に何の反応も示さない。その様子を見たリーグルは言葉を続ける。
「リクトは昔から、マンジェラちゃんに関しては甘いよね。どんな時でも最優先だったよね。今でもマンジェラちゃんがいなくなった事が、トラウマとして残っているのは知っているけど、それを乗り越えるべきだと、私は思うわよ」
先程までとは打って変わって、人懐っこい口調で喋り始める。それでも、リクトは何かを考えているのか、何も言い返さない。そんな様子のリクトにリーグルはため息を吐いた。
「さっき言った事、私本気なんだよね……」
リーグルはボソッと呟く。『さっき言った事』がどの事を指すのかを、リクトは理解できなかった。
その言葉の後、リーグルはリクトを置いて地下牢から立ち去った。リクトを一人にして考える時間を与えるためである。
リクトは一人、ホムンクルスの囚われている牢屋の前で立ち尽くしていた。
リーグルに言われた自己満足という言葉は、確かにその通りであった。たとえ、ホムンクルスを助けたところで、誰の為にもならない。ただ、ホムンクルスを助けられたという事実に自分が満足するだけである。
だからといって、ホムンクルスは火刑にかけられるような悪いことをしたのだろうか?
ただ、生まれが人とは違うというだけではないのか。確かに人と大きく違っているが、それが悪だと、リクトには思えない。
マンジェラに関してもそうだ。生まれながらにして知恵遅れだったというだけで、捨てられた。生まれながらにして他人と違っていることは、そこまで悪い事なのだろうか。同じ人型をした者同士ではないのか。
異端者達は自分で選ぶ権利があり、異教を選んだ者達だ。自分の信念があり、改宗を拒んだ者である。そんな奴等に慈悲はいらない。だが、選ぶ権利も、信念も持たぬ者を一方的に罰することは果たして許されることなのか。
リクトはそんな人々を裁くことはできないと思っている。
マンジェラ、ホムンクルスはそれほどの仕打ちを受けなければならないほど、罪深いというのだろうか。ならば何故、神はそのような存在が生まれる可能性を残したというのだろう。
リクトはそんな、生まれながらに選ぶ権利を持たない者を助けるために、より高い地位を求めたのだ。それは、マンジェラが捨てられてから変わっていない。
なら、リクトは選ばなくてはならない。ホムンクルスを見捨てて、高い地位を得て、自身の理想を現実にするか、それとも、ホムンクルスを救い、全てを失うか。両方を得る方法はない。どちらかを選ばなくてはならない。
リクトは牢屋の中で両手を吊るされたホムンクルスを見ながら考える。ホムンクルスを見捨てるか、救うか、そのどちらを選択しなくてはならない。
「なあ、ホムンクルス。俺はどちらを選べばいい……」
その答えはあらゆる知識を持つホムンクルスでも、答えることのできない問いだった。
「……選ぶのは、リクトだよ。他の誰にも選ぶことはできないよ。最後にはリクトが選ばなくちゃ」
ホムンクルスには、リクトが何を選択しなくてはいけないかを知らない。それでも、ホムンクルスは律儀に答えてくれた。監禁されて辛いだろうに、ホムンクルスはリクトを心配していたように思える。
「ホムンクルスは……」
俺が見捨てても恨まないか? と、訊ねようとしたが、ホムンクルスが恨むと言う姿が想像できない。恨まないという答えを貰って、免罪符を得るつもりだったのだろうか。
(本当に自分は最低だ……)
「――いや、なんでもない。気にしないでくれ」
リクトはホムンクルスの前で気丈に笑って見せる。しかし、その笑顔の奥に隠した本心は、簡単に見抜かれていたようだった。
「あたしの事は気にしないでいいよ」
少し疲れたような無表情でホムンクルスは言う。
そうできたら、なんと楽だっただろう。リクトの決断にはさらに時間を要する事となった。
「悪い、今はまだ助けられない。また、様子を見に来るから、待っていろ」
「うん。またね……」
ホムンクルスの言葉を聞いたリクトは、地下牢から出て行った。
騎士団の詰め所に出ると、リーグルの姿は無かった。恐らく、騎士団長の仕事に戻ったのだろう。リクトはそう考えて詰め所を後にして屋敷に戻った。
その日は二度とホムンクルスに会いに行かなかった。
翌日、ウィーンの中心街から外れた、ドナウ川の畔の空き地に火刑の準備がされている。その中心には丸太が立てられ、そこにホムンクルスが全裸で磔にされていた。丸太の根元には沢山の焚き木が用意されている。
その丸太を囲むように柵が作られ、一般人が入ってこられないようになっている。その柵の内側には、ウィーン騎士団の騎士達が警備をしていた。
リクトはホムンクルスの様子を見るために、処刑場を訪れていた。今日一日は磔にされて見世物になることを、リーグルから聞いていたためである。
処刑場はリクトが思っていたより、酷い有様であった。人造人間を一目見ようと、ウィーン中の市民が訪れている。教会関係者に関してはウィーン市外からもやってきていた。処刑場はちょっとした見世物小屋のようになっている。
だが、ここは見世物小屋などという生温い場所ではなかった。
「化け物め!」
「緑の髪と緑の瞳なんて、気持ち悪いんだよ!」
「こいつ、本当に血が出ないぜ、怖ぇー」
「神の名を汚す者よ! この世からいなくなれ!」
市民は罵詈雑言を口にしながら、ホムンクルスに向かって石を投げる。
罵声が飛び交うこの処刑場は、ある種の熱気と狂気をはらみ、異様な空気を作り出していた。人々の憎しみを煮込んで煮詰まったそんな場所。ここにいるだけで、リクトは気分が悪くなるのを感じた。
ホムンクルスは磔になっており、投石を甘んじて受けるしかなかった。俯いたその表情を伺い知ることはできない。だが、恐らく、ホムンクルスはいつもと変わらず無表情でいるのだろう。
リクトは知らず知らず、歯をくいしばっていた。
どうして、ホムンクルスがこんな仕打ちを受けなければいけないのか。どうして、ホムンクルスは抵抗することなく、この状況に甘んじているのか。考えれば考えるほど、悔しさが込み上げてくる。
そんなリクトの肩を叩く人物がいた。リクトの同僚で、比較的リクトを敵対視していない異端審問官である。
「やあ、聞いたよ。人造人間を捕らえたんだってね。そのおかげで、教会は市民からさらに信仰されることになるよ。君の出世も間違いないだろうね」
リクトを褒める言葉なのだが、その言葉が皮肉のように聞こえて仕方がない。貴様がホムンクルスをこのような目に合わせているんだよと、言われているような気がする。そして、つい、同僚の審問官を睨みつけてしまった。
「おお、怖い。君はこれぐらいで満足する男じゃないって事か。凄いよ。私なら、大手柄に舞い上がってしまうだろうからね」
同僚の審問官はリクトの不機嫌を、違う意味で捉えていたようだった。リクトは相手を殴り飛ばしたい衝動を堪えて、冷静に口を開く。
「すまないが、黙っていてくれ?」
リクトの迫力に気圧されたのか、同僚の審問官は一歩下がる。
「き、機嫌が悪いようだね……。それじゃあ、失礼するよ」
同僚の審問官はそそくさと、姿を消した。リクトは大きく息を吐く。イライラした気分を関係ない同僚にぶつけてしまい、少し自分自身に嫌悪した。
「今のはよく我慢したよね」
目の前には完全装備の騎士がいた。人懐っこい声からして、リーグルだろうと判断する。
「リーグルか……。何の用だ?」
昨日の言葉が効いているのか、リクトは強気に出ることが出来ない。そんな様子に、リーグルは満足げな様子で喋る。
「その様子だと、まだ迷ってるみたいよね。だけど、無茶な行動を起こさなかったという事は、私にもまだチャンスがあるのかしらね?」
フルフェイスの兜をかぶっている為、表情は見えないが恐らく笑顔なのだろう。だが、その言葉も自分の心中を見透かされているようで、気分が悪かった。
ホムンクルスが磔になり、市民からの投石を受けているのに何も行動が出来ない。まだ迷っている事を見透かされていた。
「ホムンクルスを逃がす手伝いをしてくれないのか?」
小さい声で、リーグルに聞こえるように言う。だが、リーグルは首を縦に振ることはない。先日言った自己満足を手伝う気はないと、いうことなのだろう。
「リクト、今日はもう屋敷に帰りなさい。そして、屋敷に閉じ篭っていなさい。そうすれば、全てが解決する。あなたが悩む必要なんてどこにもないのよ……」
リーグルの言葉は騎士団長としての威厳と、母親のような優しさが同居していた。苦しむリクトを見ていたくないという、リーグルの心遣いなのだろう。
「――それは、出来ない。ホムンクルスだけに、苦しい思いをさせられない……」
リクトは苦しそうな表情をして、喉から声を絞り出す。それは、リクトの切実な思いであった。もし、ホムンクルスを見殺しにするとしても、その最期は看取ってやりたいと思っている。
リクトにとってはこれだけは譲れなかった。
そんなリクトにリーグルはため息を吐く。
「はぁ……、その性格、昔から厄介よね。そのせいで苦労させられたわよ。まあ、あなたも随分と苦労しているみたいだけどね」
リーグル言い終わるとふふふと、笑った。そんなリーグルから視線を外し、リクトはホムンクルスに視線を移す。
「苦労をした覚えはない。俺はしたいことをしているだけだ。それより、いつも苦労させて悪かった」
リクトはリーグルを見ずに、ホムンクルスの様子をじっと見ている。リーグルも視線をホムンクルスに向けた。
「最近は何かと物騒で、市民の不安も高まっているのよね。魔女の存在、他国で流行するペストの恐怖、昨年あったオスマントルコ軍の襲撃、繰り返される戦争、等々……教会に対する不信感も同時に高まってきてるよね。それらが、いっぺんにあの人造人間に向けられてる。あの子もたまったものではないよね」
リーグルの言うとおり、今の神聖ローマ帝国は非常に不安定な状態にある。皇帝カール五世は戦争に明け暮れ、国民が疲弊していた。救いの先である教会は、魔女やペストの存在により、信仰が揺らいでいる。
そんな中、人造人間という格好の攻撃対象を見つけた民衆は容赦をしない。そして、人造人間という存在を捕らえ、裁く教会の権威も上がるということだ。ホムンクルスは都合のいい道具として、その命を奪われようとしている。
「なんと、勝手な話だろう。俺達人間はこれほど高慢な生き物だったというのか。なんと醜いのだろう……」
悪魔のような形相で、石を投げる人々。蔑む瞳で見つめる人々。恐怖し、慄く人々。様々な人々がこの処刑場にいる。だが、その人々全てが、神を信じる人だとは思えない。悪魔を信仰し、その生贄をささげているようにしか見えなかった。
同じ人の形をしたもの同士が、こうも差がつくことにおかしいと思えて仕方がなかった。この現状にリクトは吐き気を覚える。
「ストップ。リクトの言いたいことは理解できるけど、ここでは言わないほうがいいよね。あなたには立場があるでしょ。それを忘れないでよね」
人々のざわめきに、リクトの声などかき消されてしまうが、どこで誰が聞いているか、わからない。その隙を突いて、リクトを失脚させようと考える者は山ほどいる。
「全くその通りだ。どうして、こんな事になったのだろうか。元はただ神に救いを求めたかっただけだろうに……」
リクトの呟きに、リーグルはホムンクルスから視線を外す。そして、リクトの方に向き直った。
「いい? 妙なことを考えるのは止めなさいよね。特に夜は人払いをするから、不審な人影はひっ捕らえられるわよ? さて、いい加減私も仕事に戻らないと、部下に示しがつかないよね。それじゃあ、あなたも適度に引き上げなさいよね」
リーグルは手を振りながら、人ごみの中に消えていった。リーグルは恐らく、警備の仕事に就くのだろう。興奮している民衆を相手にするのは大変そうだ。
「それにしても、『夜は人払いをするから』か……。何だかんだ言っても、しっかり情報をくれるのか。ありがとう、リーグル」
リクトは見えなくなった幼馴染に小さく礼を言った。
そして、リクトは処刑場に背を向けて歩き出した。夜までにはまだ時間がある。今のうちに準備しないといけない。
「さて、これからが大変だな……」
そう意気込んで屋敷に向かう途中、白色の長い髪をした人物とすれ違った。
「?」
リクトはその姿に見覚えがあるような気がしたが、気のせいだと結論付けて屋敷に向かった。