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ヒトガタ  作者: 鮎太郎
6/9

 リクトはぼんやりとしながら、目を覚ます。昔の夢を見ていた。久しぶりにマンジェラの夢を見ていた気がした。

「最近はこんな夢を見なかったのだが……トラウマにでもなっているようだな……」

 リクトは頭に手を当てながら、頭を振って眠気を覚ます。

 自分がどうして今まで眠っていたのかすら、記憶にない。記憶にあるのは、昔の夢を見ていたということだけだった。

 今が朝なのか昼なのかもわからない。ただ、わかっていることは、ヘルメスの小屋の二階にあるベッドに横になっていて、小さな窓からは太陽の日差しが差し込んでいる事ぐらいである。

 小さな窓から差し込む光の加減で、今は朝であることがわかった。そして、ゆっくりと昨日の事を思い出す。確か、何かをして首に何かの薬を注射されたのだろう。そして、意識を失った。

 そう、何か衝撃的なことがあって、頭に血がのぼっており、そう確か、あの時、ホムンクルスの体が崩壊し始めていたのだ。

 そこまで思い出すと、リクトはベッドから飛び起きる。そして、メガネをかけることも忘れて、階段を駆け下りていった。

 一階のヘルメスの実験部屋に行くといつものように、ヘルメスは机に向かっていた。ホムンクルスの姿は見当たらない。

「ヘルメス!」

 リクトの声にその存在に気がついたのか、ヘルメスは体をリクトに向ける。その綺麗な顔の頬は赤く腫れ上がっていた。昨日、リクトが殴り飛ばした時にできたものである。

「リクトか、よく眠れたか?」

「ああ、嫌になるほどぐっすり眠れたぜ。お前の薬おかげでな!」

 リクトは皮肉のつもりで言ったのだが、ヘルメスは平然としていた。

「よく眠れて何よりだ。少しは頭が冷えたか?」

「……」

 リクトはヘルメスの問いには答えなかった。少し間を空けてから、リクトは忌々しげに口を開く。

「そんな事より、ホムンクルスはどうした? まさか、処分したなんて言わないよな?」

 リクトの表情は自然と怒りのこもったものになっていた。眉間にしわが寄り、目つきも細く鋭くなる。

「安心しろ、ホムンクルスはそこにいる」

 ヘルメスの指差す先には、窓のカーテンがある。リクトの記憶が正しければ、そこにはホムンクルスの体の入っていたガラスの容器があったはずだ。リクトはそっとカーテンをめくる。そこには再び緑色の溶液に浸かったホムンクルスがいた。

「これは……」

 ホムンクルスは全裸で、目をつむっている。まるで、初めてその体を見たときのようだった。しかし、額には亀裂があり、左手の人差し指もなくなったままだった。ヘルメスの言ったとおり、直すのは無理だったようである。

 その姿を見てリクトはホッとする。マンジェラのように突然いなくなってしまわなくてよかったと思った。

「今、体の崩壊を防ぐための処置をしている最中だ。まだ時間はかかるが、この処置が終われば、崩壊のスピードを抑えることができるだろう」

 リクトはヘルメスの意外な行動に少し驚いて、彼女を見た。

「どうしてお前がそんなことを?」

「共犯者に売られたりしたら、困るからな」

 ヘルメスはそれだけ言うと再び机に向かう。だが、いつものように資料を作成しているようには見えなかった。

「何をしているんだ?」

「ああ、これか? ポーション作りだ」

 ヘルメスは何かの溶液が入った丸フラスコに、乾燥させた薬草を入れていた。溶液の色は透明で、ただの水に見える。だが、丸フラスコに薬草を入れると、跡形もなく溶けてしまった。そして、溶液の色が黄色に変化する。

「なあ、これは本当に飲んで平気なのか?」

 リクトはそのポーションに言い知れぬ不安を感じた。

「当然だ。このポーションは飲み薬だ。貴様も飲んでみるか? 一飲みで、ペストも治る特効薬だ」

 ヘルメスの言葉を聞くとさらに怪しく感じる。他の国で流行しているペストが、そんな簡単に治るとは思えない。

「いや、遠慮しておく」

「それは残念だ。貴族達は素晴らしい効果だと、こぞって買ってくれるのだがな」

 リクトはヘルメスの商売相手が貴族であることに、驚きを覚える。こういった物をありがたがるのは薬を買う金のない平民だと思っていた。

「私の薬は高価でな。貴族でなければ手は出ないさ」

 不審人物とわかっていながら、貴族が購入するということはその効果は目を見張るものがあるのだろう。だが、リクトにとっては怪しげな液体であることに変わりはない。

「どうして、またポーションなんか作っているんだ? 最近は目を付けられて、自粛していたのではないのか?」

「ホムンクルスの処置に必要なものが足りない。その為には金で購入するしかないのでな、手っ取り早く金を稼ごうと思ったのだ」

 ヘルメスがそこまでしてくれることに、リクトは少し申し訳ない気持ちになる。昨日、殴り飛ばしてしまったのに、ホムンクルスの為にそこまでしてくれるのだ。

「……昨日は殴ったりして悪かったな。跡まで残っちまった」

 リクトが謝るとヘルメスは微かに笑う。

「いいさ。殴り飛ばされなかったら、貴様が本気だということがわからなかった。ホムンクルスも処分していたかもしれないな」

 ヘルメスはそう言うが、赤く腫れた頬が痛々しい。

「そんな事より、ホムンクルスの処置の為にやることが増えた。人造人間創造の技術に関しては完成が遅れるが、いいのか?」

「ああ、別にいい。ホムンクルスをよろしく頼む」

 ヘルメスは了解したと答えると、ポーション作りを再開した。

「何か手伝えることはないか?」

 リクトはヘルメスに尋ねる。

「貴様は錬金術に関しては門外漢だ。できることは何もない」

 ヘルメスの言葉を聞いたリクトは、邪魔にならないように二階へ上って行った。


 ホムンクルスがガラスの容器に入ってから一週間が経った。ヘルメスによる崩壊を抑える処置が終わり、ホムンクルスを容器から出す事となる。

 一体どんな風に取り出すのか、期待していたリクトだったが、梯子を使って上から直接引き上げる方法には、少々がっかりする。しかも、その作業をしたのはリクト本人だった。

「どうして、俺がホムンクルスを引き上げてるんだ?」

「なんだ? 貴様は女性に力仕事をさせる外道だったのか?」

「俺はお前を女性だとは思っていない」

 リクトはヘルメスと会話を交わしながら、ホムンクルスの体をタオルで丁寧に拭いてやる。その間、ホムンクルスは目を閉じていて、まるで動かなかった。

「冗談はこの辺にしておいて、ホムンクルスが動かないんだが、どういうことだ?」

「何か強い刺激を与えれば気が付くだろう。今は人間で言えば気を失っている状態だ。キスの一つぐらいすれば目覚めるのではないか?」

 ヘルメスの冗談を白けた目で受け流す。

「童話じゃあるまいし、そんなことで目覚める訳ないだろ……」

 リクトはとりあえず、ホムンクルスの背中を叩いてみた。人間ならこれで気が付くのだろうが、人造人間も同じとは限らない。

「ここはやはりキスを……」

「五月蝿いぞ」

 そんなことをしていると、ホムンクルスが目を開く。すると、瞼の下から緑色の瞳が現れた。

「リクト? ヘルメス?」

 その様子を見ていたリクトは嬉しさのあまり、ホムンクルスを抱きしめる。その体に体温はなく、まるで人形を抱いているようだった。それでも、リクトには命の鼓動が聞こえた。まだ生きているという証である。

「よかった。本当によかった!」

「私が処置したのだ。大丈夫なのは当然だ」

「リクト、苦しい……」

 リクトはホムンクルスの言葉も耳に入らず、抱きしめ続けた。

「どうしたの? リクト……」

 リクトの顔を見ていたホムンクルスがリクトの異変に気が付いた。

「リクト、泣いてる。どこか痛いの? それとも苦しいの?」

 ホムンクルスは不安そうな顔をして、リクトを眺め続ける。

「違うよ、嬉しいんだ。人間は嬉しいときも泣くんだよ……」

 リクトの言葉に、ホムンクルスは首を捻る。

「嬉しい? どうして? ヘルメスの処置は正確だったよ。あたしが大丈夫なのは当然なのに、どうして、リクトは嬉しいの? やっぱり、人間の心はわからない……」

 リクトは涙で顔をくしゃくしゃにしているのに対して、ホムンクルスは無表情なままリクトに抱かれていた。

「リクト、もう泣かないで……」

 ホムンクルスはリクトの涙を手で拭った。それでも、リクトの瞳からは次から次へと涙があふれてくる。

「ホムンクルス、人間は泣くことで感情を落ち着かせることがある。今のリクトは感情が昂ぶっているのだ。もう少しそのままにさせてやれ」

 二人の姿を眺めていたヘルメスは微笑みながら言う。その顔はまるで母親のように穏やかだった。

 リクトも泣き終わり、平静を取り戻す。全裸のホムンクルスに布切れ同然の服を着せ、サイズが大きすぎる靴を履かせた。

「随分と、見苦しい姿を見せてしまったな……」

 リクトは冷静になって、先程の自分の醜態を思い出して苦笑いを浮かべた。

「貴様が見苦しいのはいつものことだから、安心しろ」

「お前の毒舌もいつものことだから、もう慣れた」

 ヘルメスとリクトは顔を突き付け合って言い争う。そんな姿もここではもはや日常の一部と化していた。

「一応処置はしたが、あくまで崩壊の進行を遅らせただけだ。崩壊は確実に進み、いずれ完全に崩壊する。それだけは覚えておけ」

 ヘルメスは今後の注意事項を二人に言い聞かせる。

「……」

「あたしは理解しているよ」

 返事をしたのはホムンクルスだけだった。リクトは黙ったまま、何か考えている。

「なぁ、崩壊を完全に止めることは無理なのか?」

 リクトが顔を上げると、何かにすがりつくような顔をしていた。

「それは無理だ。あらゆる知識を持つホムンクルスが導き出した、最善の方法を取ったまでだ。完全に崩壊を止める方法はない」

「リクト、人間もいずれ死ぬんだよ。あたしも人間と同じような末路を辿るだけ。だから、あたしのことを気にすることはないよ」

 リクトはホムンクルスに慰められているように感じて、妙な気分になった。ホムンクルスは自分よりよっぽど幼い容姿をしているというのに、リクトより長い時間生きてきた賢者のような言葉を口にする。これではどちらが年上かわからない。

「それでも、俺はもう二度と失いたくはない……」

 リクトは誤魔化すようにホムンクルスの頭を撫でた。すると、ホムンクルスは気持ちよさそうに、目を細める。

 それからのリクトはホムンクルスに過保護とも言える世話を焼いた。毎日沐浴させて、夜は同じベッドで寝る。しかし、ホムンクルスの崩壊はゆっくりと進行していった。

 額の亀裂はさらに広がり、額いっぱいに亀裂が入っている。左手の崩壊も進み、指は全てなくなってしまった。

 ある、晴れた日の午後、日照りが続いてその暑さは最高潮に達しようとしていた。

 リクトはいつものようにホムンクルスを沐浴させていると、ホムンクルスがリクトに訊ねてきた。

「リクト、どうしてあたしの世話をこんなにしてくれるの?」

 リクトは短めで緑色の髪を洗っている。ホムンクルスはリクトにされるがままにしていた。

「どうしてか……、さすがに父親だからとは答えられないな。まだ結婚もしたことないしな」

 リクトはホムンクルスの髪を洗いながら考える。リクトの脳裏に浮かぶのは、妹マンジェラの無垢な笑顔だった。

「俺には妹がいた。マンジェラっていって、俺と同じブラウンの髪と瞳をしていてな、その妹とお前が重なるんだ。他人とは思えない」

 ホムンクルスは無表情のまま首を傾げる。

「あたしはヘルメスに創造されたホムンクルスだよ。リクトの妹じゃないよ……。髪の色も瞳の色も全然違う」

 ホムンクルスらしい回答にリクトは微笑む。

「そうだな。お前はホムンクルスで、マンジェラじゃない。でもな、似ているんだ、姿形以外のものが。特に生まれながらに欠陥を持っているところなんかが、重なる原因だろう」

 リクトは力なく微笑んだ。失礼な事を言っていることは理解している。だが、ホムンクルスはそれを現実として受け止めており、別に気にしないことをリクトは知っていた。だから、あえて本心を語る。

「マンジェラちゃんはどこにいるの? やっぱりウィーンにいるの?」

 髪を洗うリクトの手が止まる。

「いや、マンジェラはもう、いないんだよ。どこにもいない」

「マンジェラちゃんは死んじゃったの?」

 ホムンクルスは普通なら訊ねることをはばかる様なことを平気で訊く。ホムンクルスは自分の発言で、相手がどう思うかを考えることができない。というより、相手の気持ちを理解できない。

「さあ、どうだろう。俺が小さい頃、親に捨てられて、その後どうなったかは知らない。どこかで生きているかもしれないし、もう死んでいるかもしれない。俺には知る術がなかった」

 リクトは髪を洗う手を再び動かす。

「リクトは悲しい? 人間はそういうとき、悲しむんだよね?」

「今はもう悲しくない。今まで散々悲しんだ。正直、ホムンクルスと出会うまで、マンジェラの事は忘れていたくらいだ。俺のこと冷たい奴だって思うか?」

 ホムンクルスはリクトの真似をして腕組みをする。何を考えているようなポーズを取るが、本当に考えているかはわからない。

「どうなんだろう、よくわからない。でも、リクトが冷たい人じゃないことをあたしは知ってるよ」

 ホムンクルスの意外な答えにリクトは驚く。今までのホムンクルスは自分の知識と比べる事によって、的確に指摘していた。だが、今回はホムンクルスの考え、経験から導き出された答えだった。

「そうか……本当にそうだといいんだが……」

 リクトは髪を洗う手を止めると、井戸水を汲み、ホムンクルスに頭からぶっかけた。

「冷たくて気持ちいい……」

 そう言って目を細めるホムンクルスにリクトは微笑んだ。


 数日後、リクトはベッドの中で目を覚ました。ベッドの中にはホムンクルスも一緒に寝ている。夜に同じベッドで寝るようになってから、ホムンクルスは寝る真似をするようになった。リクトは起きていていいと言うが、ホムンクルスも寝たいというので、好きにさせている。

 小さな窓の外を見るとまだ薄暗く、今が朝なのかわからなかった。

 窓の外を確認する為にベッドから抜け出すと、ホムンクルスも目を覚ます。

「おはよう、リクト」

「ああ、おはよう、ホムンクルス」

 二人はお互いに挨拶をする。ホムンクルスはまだ眠そうに目をこする。お前は寝る必要がないんじゃないのかと、リクトは心の中で突っ込むが、口には出さない。恐らく、リクトの真似をしているだけなのだろう。

「リクト、何してるの?」

 リクトはメガネをかけてから、窓の辺りまで移動する。

「今日の天気が気になっただけだ。雨が降ってるのか……。これは寝過ごしたかもしれん」

 リクトは頭をかいた。窓の近くまで行くと静かな雨音が聞こえてくる。しとしととした小雨だった。

「憂鬱だ……」

 小さくため息を吐いた。久しぶりの雨に気分が心なしか気分が落ち込む。

「どうして憂鬱なの?」

「雨が降ると理由もなく憂鬱にならないか?」

 リクトの言葉にホムンクルスは首を傾げる。

「よくわからない……」

 そうだろうなと、リクトは思った。

「天気のいい日に外で食事をしたり、沐浴をしたりすると気持ちいいだろ? だが、雨が降るとそれができない」

「そういうことなら、理解できるよ」

 適当に言っただけの理由がったが、ホムンクルスは納得したらしい。

「早く下に行って朝食を食べるとしようか」

 リクトはそう言うと、ホムンクルスと共に一階に下りる。

 ヘルメスの実験部屋に来るが、ヘルメスの姿が見えない。いつもなら、机に向かっているのだが、机には誰もいないようである。部屋を見渡しても、どこにもヘルメスはいなかった。

「あれ? ヘルメスはどこ行ったんだよ……」

「知らないよ」

 ホムンクルスは律儀にリクトの言葉に答える。ホムンクルスはずっとリクトと一緒にいたので知らなくて当然だった。

「参ったな。きっとザルツブルグの市街にポーションを売りに行ったのだろう」

 ヘルメスは資金稼ぎの為に、たまにポーションを売りに行く。そこで得たお金で日用品を購入していた。今までは一人だったのに、三人に増えて消耗が激しいと、愚痴をこぼしていたことを思い出す。

 そんな時、リクトのお腹がグーと音をたてて鳴った。

「リクトはお腹が減ったの?」

「まあな」

 リクトはちょっと照れながら答える。テーブルの上を見ても、朝食が作られている気配はない。朝食をどうしようか、リクトは腕組みをしながら考えた。

「じゃあ、あたしが作ってあげる」

 予想外の言葉にリクトは驚く。あのホムンクルスが自主的に食事を作ると言い出すなんて、思いもよらなかった。成長したんだなぁと、リクトは少し感動する。

「それでは、お願いしようか」

 ホムンクルスに味覚はないが、あらゆる知識はある。となれば、料理のレシピも知っているはずだ。これは意外と期待できるかもしれない。そう思いながら料理ができるのを楽しみにしていた。

「任せて!」

 そう言ってホムンクルスは台所に向かう。

 そんな時、扉をノックする音が聞こえた。その音に、体がビクッと反応してしまう。三週間ほどここに滞在しているが、来客など初めてのことだ。しかも、今はヘルメスが不在である。

(まずいな、どうするべきか……)

 リクトはとりあえず、居留守を使うことを決めた。ホムンクルスの近くに移動して、その旨を伝える。

 ホムンクルスも理解したのか、リクトの考えに頷いて賛成する。

「誰かいないのか? ここにいることはわかっているのだぞ!」

 どこかで聞いたことのある女性の声が聞こえた。そして、しつこく扉をドンドンと叩く。

(この声、もしかして……)

 リクトは一つの可能性に考えが至った。しかし、どうして彼女がここを訪れたのか、その理由がわからない。

「私はウィーン騎士団長、リーグル・ヴェルヘイムだ。扉を開けないというのなら、力ずくでもいいのだぞ!」

 いつもリクトに話しかけるような人懐っこい感じはまるで感じない。完全に他人を威嚇する言い方だった。

 その名を聞いたリクトは扉に近づいて、覗き窓から外を見る。

 雨の中、黒いローブを羽織った騎士が五名。先頭には顔馴染みのリーグルがいた。

「その瞳、リクトか!」

 リーグルが大声で確認する。

「ああ、そうだ。お前がこんなところに来るなんて、一体何があったんだ?」

「リクトが滞在期間を過ぎたのに帰ってこなかった為、何かトラブルがあったのだと判断した。そして、ここまでやってきたわけだ」

 リクトはしまったと思う。ホムンクルスに気を取られて、教会に滞在期間の延長を申し出るのを忘れていた。

 ウィーンを出る前に言ったリーグルの言葉を思い出す。

『もし、滞在期間を過ぎても帰ってこなかったら、私がリクトを必ず助けるから、安心してよね』

 リーグルはその言葉を誠実に守ったわけだ。騎士団長という立場があるにもかかわらず、随分と大胆なことをする。そう、リクトは思った。だが、それだけ自分の事を思ってくれているという事が少し嬉しい。

「リクト、扉を開けてくれないか? 無事を確認したい。その隣にいる錬金術師がナイフを突きつけている可能性もある」

 リーグルは異端者に脅されて、部屋の中に入れないのだと考えているらしい。常に最悪の事を考えている辺り、さすが騎士団長だと感心させられる。

 リクトは自分が無事であることを確認させれば、彼女達はウィーンに帰るのではないかと考えた。しかし、それは甘い考えだったと、後に後悔することになる。

 リクトは扉の鍵を開けて、騎士達を小屋の中に招き入れた。先ずは騎士団長であるリーグルが小屋の中に入ってくる。そして、ローブのフードを脱ぐと、その下から金色の長い髪が現れた。

「へぇ、これが錬金術師の実験場なの――ん?」

 小屋の中を見回していたリーグルの動きが止まる。ある一点を見つめて固まってしまった。

「何あれ? 緑の髪?」

 リーグルの視線の先にはホムンクルスがいる。リクトはしまったと思ったが、既に遅かった。

「緑の髪に、緑の瞳……。在り得ない。そんな人間存在しないわ……」

 リーグルは口元を手で押さえながら、ホムンクルスを凝視する。そのリーグルの尋常ではない様子を見て、外にいた騎士が二人小屋に入って来た。

「団長! どうされたので……」

 騎士達もリーグルの視線の先を見て言葉を失った。数瞬の後、騎士は我に返り鞘から剣を抜く。

「緑の髪に緑の瞳! こ、これが魔女?」

 興奮する騎士達をリーグルは片手で抑える。そして、静かに口を開いた。

「これは人造人間よ。魔女ではないわ……」

 リーグルの言葉に騎士達は眉をひそめる。人造人間という聞いたことのない言葉に戸惑っていた。騎士達はお互いに顔を見合わせる。

「団長、人造人間とは一体……」

「言葉通り、人間が作り出した人間に似た何かよ。あの額を見なさい。大きく亀裂が入っているというのに、血の一滴も流れていないわ。さすがの魔女も血ぐらいは通っているでしょう」

 リーグルの観察眼に舌を巻くリクトは、心の中で舌打ちする。以前、人造人間の話をした事は失敗だった。このままではまずい、何とかこの場を乗り切らなくてはいけない。リクトは何か策を講じようと考えを巡らす。

「リーグル、落ち着いてよく聞け。彼女は確かに人造人間だ。だが、彼女がここに存在するのは理由がある。この技術を――っ!」

 リクトの言葉は途中で強制的に途絶えされられた。リクトの腹にリーグルの拳がめり込んでいた。リクトは激しい痛みに体をくの字にして、その場に倒れこむ。

「がはっ! げほっ! リ、リーグル……、な、何を……」

 うずくまるリクトをリーグルは立ったまま見下ろす。その目は冷たく鋭い。

「――リクト、あなたやり過ぎよ。あんな物を生み出して一体どうするの? いくら私でもこんなのを見たら、見過ごせないわ……」

 その様子を見ていた他の騎士達は何が起こったのか、まるで理解できない。異端者に捕らわれているはずの異端審問官に、攻撃を加える理由がまるで見えてこなかった。

「あなた達二人はあの人造人間を捕らえなさい。外にいる二人はリクト審問官を連れて行きなさい。もしかしたら、異端者に洗脳されているかもしれないわ」

 困惑していた騎士達もリーグルの行動を理解し、素早く行動を開始した。

 小屋の中にいる二人の騎士は恐る恐るホムンクルスに近づいていく。外見は十六歳程度にしか見えない少女に武装した騎士二人がおどおどしている様子は滑稽なものがあった。

 一方、ホムンクルス本人はリクトがうずくまっているというのに、無表情でその様子を眺めていた。ホムンクルスにとっては、どうしてリクトがうずくまっているのか理解できていない。そして、今から起ころうとしていることも理解できていなかった。

 剣を構えた騎士達はホムンクルスとの距離を詰める。しかし、まるで無反応のホムンクルスにある種の恐怖を覚えていた。未知に対する恐怖。それは、どんな訓練を積んだ者でも克服のできないものである。

「おい、おとなしくしろ!」

 微動だにしないホムンクルスに対して、騎士が大声を張り上げる。それでも、表情一つ変えないホムンクルスに騎士は今にも剣を振り下ろしそうだった。

「おい! その人造人間を傷つけるな! 裁判にかけ法的に処理する必要がある。ここで殺したらウィーン騎士団の失態となるぞ」

 リーグルの言葉に騎士は正気に戻り、剣を構えなおす。

「それはただの小娘よ。何もできないわ。さっさと捕らえなさい」

 リーグルの指示に従い、騎士達はホムンクルスを両側から拘束する。ホムンクルスはやはり抵抗するそぶりを見せない。

 リクトはその様子を騎士に抱えられながら見ているしかなかった。そんなリクトにリーグルが耳打ちをする。

「(外にあなたを乗せるための馬車が用意してあるの。苦しいと思うけど、我慢して頂戴。決して悪いようにはしないわ)」

 その後、リーグルはリクトを抱える騎士達に指示を出す。

「リクト審問官を外の馬車へ。人造人間は搬送用の馬車へ入れなさい。拘束具の付け忘れに気を付けるように!」

 指示を受けた騎士達は的確に動いていく。リクトは騎士達によって丁重に馬車へ乗せられた。リーグルの言葉を信じて、リクトは素直に従うしかない。

 馬車に乗る前、リクトはホムンクルスを見ることができた。ホムンクルスは猿轡に、手枷、足枷を付けられて、痛々しい姿になっている。その姿を見て奥歯を噛み締めた。

「あなた達二人はザルツブルグに残り、人造人間を作り出した錬金術師を探しなさい。恐らく、ザルツブルグの教会が中心となって、錬金術師の捜索を行うはずよ。あなた達はその手伝いをしなさい。捕らえた場合は、ウィーンに連行なさい。地元の教会が黙っていないでしょうけど、必ずウィーンに連行するようにお願いするわ」

 リーグルは部下二人にザルツブルグに残るよう指示を出す。リーグルとしては、人造人間を創り出した錬金術師がどうしても必要だった。

 別々の馬車に乗せられたリクトとホムンクルスは、お互いの様子を確認することができないまま、ウィーンへと輸送されていった。

 リーグルと他の二人の騎士達は外で護衛をしていた為、リクトは馬車に一人だった。ウィーンに到着するまでの間、何もすることはなくじっとしているしかなかった。

 リクトの考えることは、ホムンクルスが今後どうなってしまうかという事だけだった。リーグルが悪いようにはしないと言った言葉を信じる他ない。

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