三
ザルツブルグを馬車で出てから三日後、リクトは首都ウィーンに到着していた。両腕を上げて、長い馬車の旅に曲がった腰と背中を伸ばす。背骨がバキバキという音を発した。伸ばし終えて、リクトは一息吐く。
久しぶりのウィーンだというのにちっとも懐かしいとは思わない。見慣れた聖シュテファン大聖堂の高い塔がリクトの眼に写る。
「今日からは報告書を書かなくてはいけないのか……気が重くなってきた」
調査という名目で行っているので、当然報告書を提出する義務が生じる。だが、本当のことを書けないので頭が痛い。どんな嘘をでっち上げようかと、今から悩む。
リクトはそう呟くと、屋敷に向かって歩き始めた。
「やっ! お帰り、リクト」
リクトの行く石畳の道の先には、リーグルが立っていた。相変わらず、がっちりと鎧を着込み、まるで隙のない様子でそこにいた。
「リーグルか……、今帰った」
リクトが挨拶を返すと、リーグルは両手を突き出してくる。その意味がわからず、リクトは首を傾げる。
「あれ? もしかして、忘れちゃった? そんなことないわよね、お土産よ、お土産」
ザルツブルグに行く前に約束したことを思い出した。
「ああ、お土産な。ほら、やるよ」
リクトは荷物を漁り、お土産を取り出しリーグルに手渡す。
お土産は細い刀身を持つ剣。美しい細工はないものの、質実剛健とした作りになっており、実用性が高い。
「……これは何なの?」
「見ればわかるだろ、エストックだ。ザルツブルグはホーエンザルツブルク城がある事もあって、武器の流通が盛んなのだ。商人が言うには、結構な業物だそうだぞ?」
リクトは少し自慢げに言う。そこに、リーグルのげんこつが飛んでくる。
「いってぇ。何をする! ガントレットを着けたまま叩くな」
リーグルはガントレットを着けた手で、握り拳を作ると、リクトの頭を叩いていた。その表情はわかっていないという怒りに溢れたものである。
「リクト! 私を見てどう思うの?」
リクトは質問の意図が掴めずに、叩かれた頭を撫でていた。
「騎士団長だ」
「はずれ。その前に何かあるわよね?」
リクトはやはりリーグルの言う意味がわからずに、首を傾げるばかりであった。
「はぁ……、リクトから見たら、私はそんな扱いなのよね」
リーグルはがっくりと肩を落とす。
「私は騎士団長の前に、一人のレディよ。レディのプレゼントに剣を贈るなんて失礼だと思わないの?」
「そういうものか? 女性にプレゼントしたことないから分からん。何が欲しかったと言うんだ?」
リクトは腕組みをしながら、リーグルに訊ねる。
「そうねぇ。やっぱり、アクセサリーや、宝石なんかがいいんじゃないかしら? あ、化粧品や香水もいいわね」
リーグルは色々想像しながら、くねくねと体を動かした。
「そんなの、お前はつけてないだろ……」
リクトの心無い一言に、リーグルの表情は急に険しくなる。
「私は! 騎士団長としての仕事が忙しいから! 着けてないのよね! でも、本当はそういった、女性らしい格好もしたいのよね」
リーグルの表情は、すぐに夢見る乙女のように変化した。
「そう、だったのか……」
リーグルの様子にあっけに取られて、リクトは顔を引きつらせることしかできなかった。
「でも、ありがとう。このエストックかなりの業物よね。剣はいつ折れちゃうかわからないから、とてもありがたいよね」
それでも、お土産を快く受け取ってくれるリーグルを見ると、買ってきて良かったと思うリクトだった。
「そうだ。リクトは暫くウィーンにいるのよね?」
「ああ。一ヵ月後にはまたザルツブルグに行く予定だが、それがどうした?」
リーグルは機嫌がよさそうな顔をしてリクトに訊ねてくる。
「出張前にした、もう一つの約束は覚えているよね?」
「確か、剣術訓練をしようというやつだったな。覚えている」
「やった。それじゃあ、明日休暇だから一緒に訓練しましょ」
リクトはリーグルの申し出に頷いて応える。
「リクトとの訓練は久しぶりだから、楽しみだよね」
リーグルは腕を回す。よっぽど楽しみにしていたようだ。
リクトはふと、ある質問をしてみようと思いついた。リクトはニヤニヤと笑いながら、メガネを正す。
「リーグル、人造人間を知っているか?」
リクトの問いに、リーグルは首を傾げる。
「それって、謎々? 人間は人間から産まれてくるから、人間だれしもが人造人間っていう落ちよね?」
「違う。そうじゃない。人から産まれない、人工的に作られた人間のことだ」
変な質問にリーグルは訝しむ。
「何を言ってるの? 人間が人間を創り出すなんて、不可能に決まってるよね。それこそ、神にしかできない行為だよね」
リクトは思ったとおりの答えが来て、笑みを隠すことができないほど、顔がにやけていた。
「もしも、人間がその手で人間を創り出せたら?」
「――それは、もう、新しい神様ともいえるよね。でも、そんなことは許されないと思うのだけど……」
リクトの突拍子もない質問に対して、懐疑的にリーグルは答える。
「そうだ。そんなことは許されない」
リーグルはリクトの表情を読み取ったのか、不安そうな顔をする。
「……あまり、危険な橋は渡らないでよね。私はリクトがいなくなっちゃうのは嫌だからね」
「問題ない。俺は上手くやり遂げる」
リクトの笑顔は悪い笑顔に変わっていた。リーグルはその話題を変えるために、先程の約束の話をした。
「明日の約束、忘れてないよね。絶対、一緒に剣術訓練するんだから!」
「ああ、わかっている」
リクトの笑顔は通常の笑顔に戻っていた。それを確認したリーグルはほっと一息ついた。
「それじゃあ、私は見回りがあるから、これでお別れよね」
リーグルはリクトに手を振りながら、歩いていってしまう。リクトは手を振り返して、屋敷への道を歩いていった。
「帰って沐浴でもするか……」
そう呟いて、石畳が続く道を歩いていった。
翌日、日が昇りきる前にリクトはリーグルと共に、ウィーン騎士団の訓練場、その準備室にやってきた。
二人は鎧を着込み、完全装備していた。鎖帷子を着た上に、全身鎧を着て防御は完璧になっていた。
鎧の重さは全身に分散されるが、やはり重いものは重い。しかも、リクトが防具を着込むのは久しぶりのことだったので、その重さも一入であった。
「お前と剣を交わすのは本当に久しぶりだな」
リクトはそう言いながら、訓練用の剣を選ぶ。どの剣もよく使い込まれており、騎士団の錬度が高いことを示していた。
訓練用の剣は刃が潰してあり、相手を斬ることはできない。しかし、鉄製の棒には変わりはないので打撲や骨折をする者もいたという。
「本当はリクトと馬上槍試合がしたかったのよね。でも、リクトは馬に乗れないなんていうへたれだし、仕方がないよね」
リーグルはさりげなくリクトを馬鹿にする発言をするが、言われ慣れているせいか、リクトが反論することはなかった。
馬上槍試合とは騎乗した騎士同士が、槍などの武器を用い、相手を落馬させる為に突撃しあう試合である。
昔は大々的な大会が開かれ、最優秀騎士などが選ばれていた。しかし、その風習は廃れ、今では訓練に応用する程度になっている。
「馬上槍試合で死んだ者は、キリスト教による埋葬を禁じられている。それに、あんな危険な試合はしない方がいい」
リーグルはリクトの話を聞いて、口を尖らせてブーブー言う。
「それに……こんな所で落とせるほど、俺の命は安くない」
リクトはきっぱりと言い切った。そして、手に合う練習用の剣を手に取る。
「つれないよねぇ」
リーグルも同様に剣を手に取る。
二人が外の訓練場に出てくると、騎士団の団員が見学に来ていた。それも結構な数で、人だかりと呼んでもいい規模だった。
「随分と人が来ているな。どうして奴らはここで訓練をすることを知っている?」
「それはね、昨日団員達に訓練するって言ったのよ」
リクトはうんざりした。こんな公衆の面前でリーグルにボコボコにされるかと思うと、それだけで気が滅入る。
「騎士団がこんなにも集まって、本来の業務には問題ないのか?」
「大丈夫よね。ここに来ているのは、今日休暇の人達ばかりだから、何の問題もないよね」
リクトは舌打ちをした。少しでもギャラリーが減ればいいと思ったのだが、思うように行かないものである。
「それにしても、これだけの人数が見学に来るなんて、よほど研究熱心なのよね」
「研究熱心?」
「そう、私の技を盗むために、わざわざここに足を運んだ団員ばかりよね」
リーグルの剣技は騎士団一と言われるほどで、その技を見にわざわざ足を運ぶのもわかるというものだった。
リクトは見学に来ている団員に視線を向ける。確かに団員達の視線はリーグルに釘付けではあった。しかし、その声に耳を傾けると――
「だんちょー、好きだー!」
「団長かっこいい!」
「素敵です! 団長!」
「リーグル団長! 結婚して下さい!」
――と、いうものばかりでリーグルのファンばかりであった。
大丈夫か、この騎士団と、心の中で思わざるを得なかった。それでも、リーグルを中心として、騎士団は纏まっているようなので、これはこれで問題ないのかもしれない。
「さあ、始めるわよ」
そう言うと、リーグルは剣を構える。リクトもそれに合わせて、剣を構えた。久しぶりに構えた剣はとても重く感じる。運動不足を痛感する瞬間だった。
「リクトからかかってきなさい」
リーグルは構えたままそう言う。リクトは意識を剣の先に集中して、素早い突きを放つ。
だが、その突きは簡単に避けられてしまった。リーグルは上半身を少し逸らすだけで、リクトの突きをあっさりとかわしてしまう。
「どうしたの? 以前より腕が鈍ったのかな?」
突きを放った後の隙だらけのリクトに反撃する様子はない。しばらくはリクトの攻撃を受け続けるつもりなのだろう。
リクトは体制を整えると、今度は袈裟斬りを放つ。今度の攻撃は見事なバックステップでかわされてしまう。
「ちっ! せめて剣で受けやがれ!」
リクトは呪詛のように言い捨てるが、リーグルはまるで気にした様子はない。
それから、何度も剣を振るうが、リーグルは剣を使うことなく全ての攻撃をかわしてしまった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ちょこまかとぉ……」
全身鎧を着込み、重い剣を振り回すとリクトの少ない体力はすぐに底を尽きてしまう。
「これじゃあ、私の訓練にならないよね」
リーグルの余裕ある声が聞こえる。
だが、リクトはそんなリーグルの余裕を見逃さなかった。油断しているリーグルの喉元に鋭い突きを放つ。
咄嗟の事に、リーグルは驚きリクトの突きを剣で弾く。
「はぁ、はぁ、はぁ、油断したな?」
「やっぱり、リクトは筋がいいよね。異端審問官なんて辞めて、騎士になればよかったのに。そしたら、いつでも一緒にいられたのに……」
残念そうな声が聞こえてくる。その言葉にリクトは少し笑う。
「はっ! 司教の息子が騎士なんてやってられるか!」
一度攻勢に出たリクトは攻撃を止めない。その攻撃にリーグルは防戦を強いられる……はずだった。だが、いつの間にか、リーグルの攻撃がリクトの攻撃を上回り、リクトが防戦一方となっている。
「甘いよね!」
リーグルの剣を防ぐので精一杯だったリクトには、不意に飛んできた蹴りをかわすことができずに、食らってしまう。
「くっ!」
鎧を着ているため、それほどダメージはないが、衝撃で少し動きが止まってしまう。その隙を逃すほどリーグルは優しくはなかった。
喉元を狙った突きがリクトに炸裂する。あまりの衝撃の強さにリクトは後方に吹き飛ばされる。
鎖帷子に守られていたおかげで、首が飛ぶことはなかったが、激しい衝撃にリクトは呼吸ができなくなる。
「げほっ! がはっ! ごほっ!」
リクトはまともに話す事もできずに、地面を転げまわる。
「んー、まだまだ甘いよね」
地面に這いつくばって、咳き込むリクトを見下ろしながらそう言う。その目はサディスティックで、妖しい光を帯びていた。
リクトは少しぐらい手加減しろと、叫びたかったがそれが叶うことはなかった。
「リーグル様最高です!」
「ひゃっほう! 団長、かっこいい!」
「L・O・V・E! だんちょー!」
「団長! 愛してます!」
外野からはリーグルを賞賛する言葉が飛び交い、リクトに更なる追い討ちをかけることとなった。
(くそ……、外野の連中め、後で覚えていろよ……)
それから、リクトはリーグルと数回剣を交えたが、結局リーグルに一矢報いることはなかった。
この剣術訓練で学んだことは、リーグルには決して敵わないということだけだった。