第1話 役立たずの聖女
目を開けた瞬間、リリアは見知らぬ場所に立っていた。
「……え?」
足元には、見たこともないほど精巧な魔法陣。
白い石造りの巨大な広間。
周囲には、豪華な衣装を身にまとった人々が何十人も並んでいる。
そして、その誰もが自分を見つめていた。
「成功だ!」
「聖女様が召喚された!」
「これで我が国は救われる!」
歓声が上がる。
何が起きているのか分からない。
ついさっきまで、リリアは自分の部屋にいたはずだった。
ベッドに入って眠った。
ただ、それだけだった。
「ここ……どこ?」
震える声で尋ねると、正面に立っていた白いローブの老人が深々と頭を下げた。
「ようこそ、異世界よりお越しくださいました。聖女様」
「……聖女?」
「はい」
老人は嬉しそうに微笑んだ。
「我らの世界では今、魔王の復活が近づいております。その脅威から人々を救うため、我々は古き召喚術によって聖女様をお呼びしたのです」
「魔王……?」
あまりにも現実離れした言葉に、リリアは呆然とする。
けれど、周囲の人々の表情を見る限り、冗談ではないらしい。
そこへ、一人の青年が歩み出てきた。
金色の髪。
青い瞳。
白を基調とした豪華な衣装。
誰が見ても、この国で高い身分を持つ人物だと分かる。
「私がこの国の王太子、アルベルトだ」
「王太子……様?」
「ああ。突然のことで戸惑っているだろう。だが安心してほしい」
アルベルトは優しく微笑んだ。
「君は、この国で大切に守られる。聖女としての役目を果たしてくれればいい」
その言葉に、リリアは小さく頷いた。
何も分からない。
怖い。
帰りたい。
それでも、自分を必要としてくれる人がいるのなら。
そう思った。
「……私にできることなら、頑張ります」
その瞬間。
広間から大きな拍手が起こった。
「さすが聖女様!」
「これで魔王にも対抗できる!」
期待のこもった視線が、一斉にリリアへ向けられる。
その日から、リリアの生活は大きく変わった。
与えられた部屋は、元の世界の家よりもずっと広かった。
食事も毎日豪華だった。
服も宝石も、欲しいと言えば用意された。
けれど――。
リリアには、一つだけ気がかりなことがあった。
「聖女様の能力を確認しなければなりません」
召喚から三日後。
リリアは再び、あの大広間へ呼び出された。
中央には巨大な水晶玉が置かれている。
「この水晶に手を触れてください」
「はい……」
言われるまま、リリアは水晶に手を乗せた。
周囲の人々が固唾を飲んで見守る。
水晶が淡く光った。
「おお……!」
期待の声が上がる。
しかし。
光はすぐに消えた。
「……え?」
沈黙。
リリアは水晶を見つめた。
何も起きない。
司祭が慌てて別の魔道具を取り出した。
「もう一度、お願いします」
リリアは言われた通り、もう一度手を触れる。
結果は同じだった。
「治癒魔法は?」
「……反応、ありません」
「聖属性魔法は?」
「こちらも……」
司祭の顔から、少しずつ笑顔が消えていく。
周囲からざわめきが起こった。
「まさか……」
「聖女なのに?」
「何の力もないのか?」
リリアの胸が締めつけられる。
「待ってください」
アルベルトが口を開いた。
「まだ何か別の力があるかもしれない」
司祭が鑑定結果を確認する。
そして――。
「……ありません」
「……」
「確認できる魔力は、一般的な平民より少し多い程度。治癒能力も、聖属性も、特殊技能もありません」
誰かが小さく呟いた。
「……役立たず」
その言葉が、静かな広間に響いた。
リリアは俯いた。
「私は……聖女じゃないんですか?」
誰も答えない。
アルベルトの表情からも、三日前までの優しさが消えていた。
「リリア」
初めて名前を呼ばれた。
「君には悪いが……聖女として扱うことはできない」
「……え?」
「この国には、君を養う余裕もない」
頭の中が真っ白になる。
「でも、私……」
「召喚の儀式に間違いがあったのだろう」
「違います!」
思わず声が出た。
「私、何もしてません! 突然ここに呼ばれて……!」
「分かっている」
アルベルトは淡々と答えた。
「だからこそ、君を責めるつもりはない」
その言葉が、逆に辛かった。
「では……私はどうなるんですか?」
アルベルトは少しだけ目を逸らした。
「王都から出てもらう」
「……」
「君を辺境へ送る」
辺境。
その言葉に、周囲の人々がざわめいた。
「魔物が出る土地だぞ」
「若い娘を一人で?」
「仕方ないだろう。力のない聖女を王都に置いておく理由などない」
リリアは唇を噛んだ。
涙がこぼれそうになる。
けれど、泣くことだけはしたくなかった。
「……分かりました」
震える声で答える。
「私、辺境へ行きます」
こうして。
異世界に召喚された少女は、わずか三日で聖女の座を失った。
誰も知らなかった。
彼女の中に眠る力が、まだ一度も目覚めていないことを。
そして――。
彼女を「役立たず」と呼んだその日。
王宮の地下深くにある古代の祭壇で、一つの石が淡い緑色に輝き始めていた。
誰にも気づかれることなく。
静かに。
何百年もの間、眠り続けていた精霊の力が――目を覚まそうとしていた。




