ポケット
赤い砂は、風が吹くたびに記憶を消す。
火星有人探査ミッション「アレースVII」のクルーは5人だったが、いま基地に残っているのは4人だった。公式記録では、地質学者の橘ユウキは“事故死”とされている。船外活動中、突発的なダストストームに巻き込まれ、通信が途絶えた——それが報告書の全てだ。
だが、誰もその説明を信じていなかった。
「風速は予測範囲内だった」
生物学者のエレナが低く言った。
「ユウキはあんなミスをする人じゃない」
基地の外壁を叩く砂の音が、まるで何かを隠しているかのように続いている。
指揮官の神崎は、何も答えなかった。
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3日後。
通信ログの解析を担当していたエンジニアのルイスが、深夜、共用ラボに全員を集めた。
「これを見てほしい」
彼が再生したのは、ユウキが最後に送信したはずの音声データだった。公式記録ではノイズしか残っていないはずのファイル。
だが、そこには明確な言葉があった。
——「……中に、誰かいる」
ラボの空気が凍りついた。
「“中”って、どこだ?」と神崎。
「探査ドームだ。ユウキはあの日、地下空洞の調査に行ってた」
火星の地下には、氷や古代の水路が残っている可能性がある。その調査のために設置されたドーム型の簡易基地——通称“ポケット”。
エレナが首を振った。「でもあそこは無人のはずよ。監視もついてる」
ルイスは続けた。「問題はここからだ」
音声がもう一度再生される。
——「……違う。これは、人間じゃない」
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翌朝、彼らは“ポケット”へ向かった。
公式には、事故現場の再確認。だが本当の目的は、ユウキの言葉の意味を確かめることだった。
赤い地平線の向こうに、半分砂に埋もれたドームが見える。
外観に異常はない。エアロックも正常に見える。
「俺が先に入る」神崎が言った。
彼がエアロックを開け、中に消える。
数秒後、通信が入る。
「……中は、正常だ。異常はない」
その声に、微かな違和感があった。
エレナが眉をひそめる。「今の、神崎の声……ちょっと変じゃなかった?」
ルイスも頷く。「ノイズじゃない。発音が……ほんの少しだけ遅れてる」
その時だった。
エアロックの内側から、再び通信が入る。
「全員、入ってくれ。問題ない」
今度は、完全に神崎の声だった。
だが——同時に、外のスピーカーからも同じ声が流れた。
遅延なしで、ぴったり同時に。
「……おい、今の二重じゃなかったか?」とパイロットの真鍋。
エレナは一歩後ずさった。「中にいるの、本当に神崎なの?」
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次の瞬間、ドームの内壁に、影がひとつ増えた。
あり得ない位置に。
外から見えるはずのない、内部の影。
そして、その影は、ゆっくりとこちらを向いた。
通信が割り込む。
——「入ってきて」
それは神崎の声だった。
だが、その背後で、もうひとつの声が重なる。
——「もう一人、必要だ」
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ルイスは震える手で、通信ログを巻き戻した。
ユウキの最後の言葉。
——「中に、誰かいる」
彼は、気づいたのだ。
“誰か”ではない。
“何か”でもない。
それは——
「数が、合わない」
エレナが呟く。
「最初から、ひとり多かったのよ」
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その時、背後でエアロックが音を立てて開いた。
振り返ると、そこには——
神崎が立っていた。
砂にまみれたスーツ、乱れた呼吸。
「遅れた……すまない。ドームの裏側で転倒して——」
全員が凍りつく。
「じゃあ……中にいる神崎は誰だ?」
誰も答えられない。
ただ、ドームの中から、もう一度声が響く。
——「入ってきて」
今度は、全員の声で。
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赤い砂は、今日も風に消される。
そして、記録にはこう残る。
アレースVIIクルー、全員帰還。
ただし——
乗員数に、わずかな不一致あり。
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