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ポケット

作者: だんご
掲載日:2026/04/08


赤い砂は、風が吹くたびに記憶を消す。


火星有人探査ミッション「アレースVII」のクルーは5人だったが、いま基地に残っているのは4人だった。公式記録では、地質学者の橘ユウキは“事故死”とされている。船外活動中、突発的なダストストームに巻き込まれ、通信が途絶えた——それが報告書の全てだ。


だが、誰もその説明を信じていなかった。


「風速は予測範囲内だった」

生物学者のエレナが低く言った。

「ユウキはあんなミスをする人じゃない」


基地の外壁を叩く砂の音が、まるで何かを隠しているかのように続いている。


指揮官の神崎は、何も答えなかった。


---


3日後。


通信ログの解析を担当していたエンジニアのルイスが、深夜、共用ラボに全員を集めた。


「これを見てほしい」


彼が再生したのは、ユウキが最後に送信したはずの音声データだった。公式記録ではノイズしか残っていないはずのファイル。


だが、そこには明確な言葉があった。


——「……中に、誰かいる」


ラボの空気が凍りついた。


「“中”って、どこだ?」と神崎。

「探査ドームだ。ユウキはあの日、地下空洞の調査に行ってた」


火星の地下には、氷や古代の水路が残っている可能性がある。その調査のために設置されたドーム型の簡易基地——通称“ポケット”。


エレナが首を振った。「でもあそこは無人のはずよ。監視もついてる」


ルイスは続けた。「問題はここからだ」


音声がもう一度再生される。


——「……違う。これは、人間じゃない」


---


翌朝、彼らは“ポケット”へ向かった。


公式には、事故現場の再確認。だが本当の目的は、ユウキの言葉の意味を確かめることだった。


赤い地平線の向こうに、半分砂に埋もれたドームが見える。


外観に異常はない。エアロックも正常に見える。


「俺が先に入る」神崎が言った。


彼がエアロックを開け、中に消える。


数秒後、通信が入る。


「……中は、正常だ。異常はない」


その声に、微かな違和感があった。


エレナが眉をひそめる。「今の、神崎の声……ちょっと変じゃなかった?」


ルイスも頷く。「ノイズじゃない。発音が……ほんの少しだけ遅れてる」


その時だった。


エアロックの内側から、再び通信が入る。


「全員、入ってくれ。問題ない」


今度は、完全に神崎の声だった。


だが——同時に、外のスピーカーからも同じ声が流れた。


遅延なしで、ぴったり同時に。


「……おい、今の二重じゃなかったか?」とパイロットの真鍋。


エレナは一歩後ずさった。「中にいるの、本当に神崎なの?」


---


次の瞬間、ドームの内壁に、影がひとつ増えた。


あり得ない位置に。


外から見えるはずのない、内部の影。


そして、その影は、ゆっくりとこちらを向いた。


通信が割り込む。


——「入ってきて」


それは神崎の声だった。


だが、その背後で、もうひとつの声が重なる。


——「もう一人、必要だ」


---


ルイスは震える手で、通信ログを巻き戻した。


ユウキの最後の言葉。


——「中に、誰かいる」


彼は、気づいたのだ。


“誰か”ではない。


“何か”でもない。


それは——


「数が、合わない」


エレナが呟く。


「最初から、ひとり多かったのよ」


---


その時、背後でエアロックが音を立てて開いた。


振り返ると、そこには——


神崎が立っていた。


砂にまみれたスーツ、乱れた呼吸。


「遅れた……すまない。ドームの裏側で転倒して——」


全員が凍りつく。


「じゃあ……中にいる神崎は誰だ?」


誰も答えられない。


ただ、ドームの中から、もう一度声が響く。


——「入ってきて」


今度は、全員の声で。


---


赤い砂は、今日も風に消される。


そして、記録にはこう残る。


アレースVIIクルー、全員帰還。


ただし——


乗員数に、わずかな不一致あり。


---


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