社長の限界
パン作りが落ち着いた時間を見計らって、
まだ窯の熱気が残っている工房に顔を出した。
「おじゃまします」
「おう、嬢ちゃんかい」
バンズは、掃除をしながら返事をした。
ここ1ヶ月で何度も交わしたやり取りだ。
「結果はどうでした?」
私の計算上では、利益率は2%改善できているはず。
「それがよ⋯⋯」
ニヤニヤしながらわざとためるバンズに、
「もう!早くしてください!!」
「わりぃ、7%だったぜ」
「⋯⋯倍近くじゃないですか」
それを聞いて、バンズさんとアッシュにハイタッチをした。
今回の利益改善は、金額にしたら数万規模だ。
だけど、金額以上の満足感が私を満たした。
嬉しさの余韻に浸っている場合じゃない、
「じゃ、増えた利益を使って次に進みましょう」
私はカバンから瓶を取り出した。
うっすら濁った液体の中で、小さな泡が浮いている。
「りんごを漬けたこれはなんだ?」
不思議そうに瓶を見つめる2人に、
「もっとパンを柔らかくするための秘密兵器です!」
「これがか?」
信じきれてない様子の2人に、酵母について話しはじめた。
「へぇ~この液の中にうんなもんが入っているのか」
「お嬢様は、博識なんですね」
持ち上げてくれる2人には、昔読んだ本に書かれていたと誤魔化したが、
実際は、現代知識を借りただけだ。
ただここで一つ重大な問題がある。
酵母の作り方は知っていたけど、その後のことは知らないということだ。
それをどう説明しようか四苦八苦していると、
「で嬢ちゃん、これをどうやって使うんだ?」
「えーと⋯⋯生地にこの液体を混ぜれば⋯⋯」
ゴニョゴニョと次第に声が小さくなっていく。
「どうした、どうした」
「ごめんなさい、酵母のことは書いてあったけどその後のことが書いてなくて」
目を合わせられず、視線を下げてしまった。
「そっか、うんじゃ色々試してみるか!」
「疑わないんですか?」
なんで?と言わんばかりの顔をして私を覗き込む。
「俺が嬢ちゃんに教わったのは、試すことだぜ」
それを聞いて「そうです」と頷くアッシュ。
「とりあえず、はじめるか」
そう言って、バンズが袖を捲って腕を軽く回した。
「とりあえず、瓶の液を水代わりに生地に混ぜてやってみましょう」
「分量は、10個分でいいか?」
「そっちのほうがいいですね」
簡単に工程を話し合い、生地をこねり始める。
工房内に、微かにりんごの甘い香りが広がっていった。
試作1号が焼き上がった。
「どうですか?」
「うーん、大して変わらんな」
焼き上がったパンを触った感触は、
これまでと同じだった。
やっぱりそんなに簡単にうまくはいかなかった。
「次はどうする?」
「今度は、今の同じ様に作って生地を寝かせましょう」
「寝かせるっていうのは?」
「生地の中で、酵母を発酵させるんです」
ちんぷんかんぷんって感じが見て取れたが、構わず進めた。
「今回は、寝かせる時間を分けたいので30個分作ってください」
「よくわからないけど、30個分の生地だな」
ちゃんと説明したはずなのになぁとちょっと頬を膨らませながら、
バンズが生地をこねるのを眺めた。
「生地出来たぜ」
「それじゃ、これを5個の6グループに分けて30分毎に焼いていきましょう」
「でも、それじゃ乾燥して硬くならねぇか?」
言われてみて気付いた。
前回はそれで失敗したんだった。
うーんと、人差し指を顎に当てて宙を見ながら考える。
冷蔵庫があればすべて解決するんだけどな――
「店舗の方に置けばよろしいかと」
「それだ!!!」
アシュの助言に後ろに居た彼女の方を振り返り指さした。
「もし可能でしたら、軽く湿らした布を被せておけば保湿とゴミなどからも守れます」
なんてうちのアシュは優秀なんだ!と感心して、
薄い布を濡らして店舗に生地を移動させた。
15分の砂時計が2回全て落ちきった。
2回目に焼く生地を観察する。
「見た感じは変化無し。触った感じも特に変化無しと」
5個分のパンに分けてもらって釜の中へ入れた。
砂時計が落ちるのを見ながら後悔をしていた。
元の世界では料理なんて全くしてこなかった。
食事は、デリバリーか外食かコンビニで済ましていたし、
子供の頃だって、家庭科での授業でしか包丁を持ったことがなかった。
「あぁ~、取引先資料で酵母は知ってたけど、ここで無知を晒すとは」
「取引先ですか?」
心の声が自然と口から出たのをアシュに聞かれてしまった。
「いやいや、独り言よ!独り言⋯⋯」
1ヶ月以上ボロが出ないように頑張っていたのに、
変な汗が脇から出て焦りと恥ずかしさが入り混じる。
そんな複雑な気分に陥っていると、
「ほれ、2発目だ」
試作2号の焼き上がりをバンズが知らせる。
「触った感じはやっぱいつも通りですね」
手でちぎって食べてみたが柔らかくなったという実感がない。
「30分じゃだめみたいんだな」
「まぁ、あと5グループありますから、まだ焦る時間じゃありません」
なんて言って冷静を装ってみたが、本当にこれであっているか不安が込み上がり始めてきた。
不安をどうにか押し込みながら3回目の生地を取りにいく。
「!?」
生地を見た私は工房にいるバンズを呼んだ。
「これ大きくなっていませんか?」
「あぁ、生地の大きさを俺が見違えるはずがねぇ」
生地を寝かせて1時間、パン生地の中で酵母がやっと発酵をはじめていた。
はやる気持ちを抑えながら観察は怠らない。
「見た目は約2倍に膨れて、触感も弾力があって押した凹みが戻ると」
期待に胸を膨らみ、メモを取る手も少し軽やかだ。
「酵母ってやつはすげな!生地が膨らむなんて」
多分人生で初めて見る生地の膨らみに目を輝かせるバンズ。
「あの膨らみが柔らかさを生んでくれるはずです」
膨らんだ生地同様、私たちの期待も膨らんだ。
「焼き上がったぞ!」
釜から取り出されたパンは膨らみを維持したままだった。
我慢できずに熱いパンを手に取り、
手でちぎって柔らかさを感じ、噛んでさらに実感する。
「上出来だな!」
「食べやすいですね」
2人は柔らかさに感心している。
たしかに柔らかい、だけど本当の柔らかさを知っている私にはスカスカに感じた。
スカスカというよりもモソモソに近いかもしれない。
「なんでそんな神妙な顔してるんだ?」
柔らかくなったパンを手放しで喜べない私にバンズが問いかける。
あんなに喜んでる2人に水を差すことを言っていいのか⋯⋯
「失敗なんだな」
私の反応にバンズが察するように言った。
「ごめんなさい⋯⋯」
「なんで謝るんだ!」
語気を強く言い放った言葉は、怒ってはいなかった。
「どこがダメだ?」
「柔らかいけど、食感が悪いです」
2人は、再度パンを口に運んで真剣に食感を確かめる。
「言われてみたら、柔らかさに引っ張られて気づかなかったな」
「美味しかと言われれば難しいところですね」
期待が大きかった分反動も大きかった。
6回目の砂時計が落ちきったので4回目の生地を取りに向かった。
「膨らみはさっきと変わらないな」
「⋯⋯そうですね」
私の頭の中では失敗とこれ以上発酵させて成功するのかわからない不安に押しつぶされそうになっていた。
その後、4回・5回・6回と焼き上げても、
知っている食感にはたどり着けなかった。
逆に、5回目以降はモソモソ感が強くなってしまった。
なにが足りなかった?
これ以上寝かしても多分発酵は望めない。
この世界では、元の世界と原則が違う?
はじめから、料理とか職人の領域に踏み込むべきじゃなかった?
数字とか構造的なことだけやるべきだった?
・
・
・
考えれば考えるほどに、視界がぼやけネガティブな方に思考が走り続ける。
「イタ!」
突然の頭への刺激に思考が一瞬で止まり、思考の世界から引き戻された。
「おい!何勝手に落ち込んでるんだ!」
「だって⋯⋯あんな偉そうに言ったのに⋯⋯」
頭にチョップをかましたバンズが屈んで私の目を見て言った。
「”今日は”失敗しただけだろ?」
その言葉に胸が苦しくなった。
込み上げてくるものをどうにか堪えて言い返した。
「そうだわ!たった7回失敗しただけね」
「だろ?だから、明日も来るよな?」
「当たり前よ」
二人してへへっと笑いあった。
後片付けはやっておくからと言われ、
後ろ髪を引かれながら屋敷へ帰ることにした。
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