マリエル・フォンタナ
マリエルの扱いは、火星連合評議会にとって長く悩みの種だった。
彼女は単なる優秀な医師ではない。
地球の有力政治家一族、フォンタナ家の人間。
血筋だけで言えば、下手な外交案件より厄介な存在だった。
評議会としては、地球に返すのが最も無難だった。
だが、マリエル本人がそれを拒んだ。
地球に帰る気はない。
政治の中心に戻る気もない。
アストラルの関係者であり、あの事件を知る当事者である以上、自分の居場所はここだと、淡々と言い切った。
結果として評議会が選んだ落としどころは、
「軍病院の医師」というポジションだった。
表向きは無難。
実態としては、監視と保護を兼ねた配置。
できれば手元に置いておきたい、という思惑が透けて見える人事だった。
だが、評議会の思惑は早々に裏切られる。
マリエルは、あまりにも優秀だった。
診断は速く、判断は冷静で、決断に迷いがない。
軍医として必要な資質を、すべて過剰なレベルで備えていた。
彼女の下についた医師や看護兵は、最初こそ身構えたが、
次第にこう思うようになる。
「この人の指示に従っていれば、間違いない」
現場での信頼は、昇進よりも速く積み上がっていった。
結果として、彼女は次々と役職を与えられ、
気がつけば、軍病院の院長にまで上り詰めていた。
本人はまったく喜んでいなかったが。
そんなマリエルの隣に、いつもいたのがダグだった。
元・宇宙海賊。
アストラル帰還後もマリエルの助手として働き続けていた。
医療知識は正式なものではないが、
手際が良く、真面目で、勘が鋭く、何より人の顔色を読むのが異様に上手かった。
ある日、ダグは珍しく真面目な顔で言った。
「何で俺なんです?」
院長室でのことだった。
「マズいでしょ。俺。
宇宙海賊だったんですよ。
対外的に色々マズいでしょ。
出世とか……その、評判とか」
彼なりに、マリエルの立場を気にしていたのだろう。
マリエルは書類から目を離し、少しだけ眉をひそめた。
「言わせておけばいいのよ」
淡々とした口調だった。
「私は名声なんて物に興味ないの。
出世? くだらないわ」
それだけ言って、また書類に視線を戻した。
ダグはしばらく黙っていたが、
結局、いつもの調子で肩をすくめた。
「……じゃあ、俺は今日も雑用係ってことで」
マリエルは何も答えなかったが、
否定もしなかった。
彼女にとって重要なのは、血筋でも評判でもない。
胸踊る刺激。
それだけだった。
政治の世界から距離を置き、
英雄譚からも距離を置き、
それでも歴史の裏側にしっかりと関わり続ける。
軍病院の院長室で、
一人の医師と、一人の元海賊が、
今日も淡々と仕事をしている。
火星という不安定な世界で、
それは驚くほど静かで、現実的な結末だった。




