イグナス・ケイル&リサ・カルミナ
イグナスは、帰還後もしばらくの間、タリアンの副官として働き続けた。
艦長と副官という関係は、あの航海を経て、すでに完成されていた。
言葉は少なく、指示は簡潔で、余計な確認は要らない。
タリアンが前を見る男なら、イグナスは背後と側面を見る男だった。
評価は自然と積み上がり、異動も昇進も、特別扱いではなく順当だった。
やがて彼は火星軌道艦隊の司令官に就任する。
その知らせを聞いたリサは、端末を見ながら短く言った。
「まあ、そりゃそうよね」
祝福でも皮肉でもない、ただの事実確認だった。
二人は結婚しなかった。
その理由を、本人たちは特別に説明しなかったし、周囲も深くは聞かなかった。
ただ、子供はいた。
それだけで十分だった、と二人とも思っている。
イグナスとリサの関係は、恋人でも夫婦でもなく、
かといって他人でもなかった。
近すぎず、遠すぎず、互いの生活に踏み込みすぎない。
子供の誕生日には、イグナスは必ず時間を作った。
軍服姿で現れ、ぎこちなく笑い、短い時間を過ごして帰っていく。
それをリサは咎めもしなければ、期待もしなかった。
二人は友達のような関係を続けていた。
それは妥協ではなく、選択だった。
リサは軍籍を保ったまま、カイの研究のサポートに回った。
研究そのものが極秘扱いだったため、
「信用できる技術者」という条件を満たす人間は限られていた。
白羽の矢が立つのは、必然だった。
分析、検証、記録。
時に理論の隙間を埋め、時にカイの暴走を現実に引き戻す。
彼女の役割は地味だったが、欠ければ成り立たなかった。
軍からは、妙に手厚い手当が出ていた。
表向きは研究協力への対価。
実質的には口止め料に近い。
そのおかげで、リサの生活はかなり自由だった。
無理に昇進を狙う必要もなく、
育児と仕事のバランスも、自分の裁量で決められた。
ある日、旧友にこう言われたことがある。
「そんな危ない研究、怖くないの?」
リサは少し考えてから、肩をすくめた。
「ブレイクスルーに関われるのは光栄よ。
でもね……あれはほんと、技術者としてのアイデンティティが崩壊しそうになるの」
それでも辞めなかった。
怖さより、好奇心が勝っていた。
カイの研究は、常識を壊し、前提を裏切り、
「理解した」と思った瞬間に、次の深淵を見せてくる。
それを一番近くで見続けられる立場にいることを、
彼女は手放さなかった。
イグナスは遠くから、それを知っていた。
口出しはしない。
必要な時だけ、静かに支えた。
それが二人の距離感だった。
戦場では交差し、
人生では並走し、
未来では少しずつ離れていく。
それでも、あの船で共有した時間は、
どちらの人生からも、決して消えることはなかった。




