帰還
火星への帰還は、驚くほど静かだった。
アストラルは、何事もなかったかのように通常航路へ復帰し、予定よりわずかに遅れただけで火星圏に到達した。
航行ログ、推進データ、生命維持系の数値、そのすべてが「問題なし」を示していた。
少なくとも、公開される範囲においては。
公式記録には、簡潔な一文が残された。
「航行中、マッド社製メイン融合炉に設計上の不具合が確認され、出力低下および一時停止が発生。
技術クルーの適切な対応により復旧。人的被害なし」
それ以上でも、それ以下でもない。
未知の発光現象も、常識外れの安定性も、石の存在も、そこには一切記されていない。
火星連合評議会は、この事案を「事故」として処理した。
だがそれは、理解できなかったからではない。
説明できなかったからでもない。
説明するつもりが、最初からなかったのだ。
評議会内部では、帰還直後から非公開の分析会合が重ねられていた。
提出されたデータは、通常なら学術機関や企業に段階的に開示されるはずのものだったが、そのすべてが「機密指定」とされた。
理由は明白だった。
――新技術を、火星連合が主導で握る。
それは恐怖ではなく、野心だった。
人類史において何度も繰り返されてきた、ごくありふれた欲望だ。
世間に向けて提示された“分かりやすい原因”は、マッド社だった。
融合炉の設計不良。
同型炉のリコール。
技術クルーとカイによる現場対応。
そして、責任追及。
一連の流れは見事なほど滑らかで、誰もが納得できる物語だった。
巨大企業の慢心、現場の奮闘、危機の克服。
メディアはそれを好み、世論はすぐに別の話題へと移っていった。
分析データが公開されないことに疑問を呈する声も、最初は確かにあった。
だが評議会は「現在進行中の技術検証」「安全保障上の配慮」という、これまた使い慣れた言葉でそれを押し流した。
誰もが、それ以上深く追及しようとはしなかった。
英雄譚が用意されていたからだ。
後に広く知られることになる「英雄タリアン艦長」の物語は、この時点ですでに芽吹いていた。
公式発表や報道は、意図せずして彼に焦点を当てた。
冷静沈着な指揮官。
危機下でも動じない判断力。
クルーを守り抜いた男。
その像は、事実を完全に歪めたものではなかった。
三十年後に発表される小説――
ある女性クルーが、タリアン艦長を主人公に描いた物語は、ややタリアンを美化し過ぎな感があったが、英雄的な演出と感情的な脚色を多分に含みながらも、骨格においては驚くほど事実に忠実だった。
それは結果として、歴史と神話の境界を曖昧にする。
ちょうど同じ時期に発表されることになるマナ理論。
それらが重なり合い、タリアン艦長という存在は、
「時代を先取りした英雄」として記憶されていく。




