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魔術師の憂鬱  作者: 卓麻呂


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57/63

無名の魔術師

GC.119.1.21 22:15


本番開始を告げる内部クロノの表示が、静かにゼロへと近づいていく。

機関室は相変わらず低い振動音に満ちていたが、その響き方がどこか違って感じられた。補機の唸り、冷却ラインを流れる流体のかすかな鳴動、それらすべてが「いつも通り」のはずなのに、今日は妙に耳につく。

融合炉そのものが、眠りながらもこちらを意識している――そんな錯覚さえ覚える。


リサ、ロック、イグナス、カイが、それぞれの配置につく。

誰も無駄口を叩かない。昨日までの検証とは違う。今日は「実験」ではなく「本番」だ。


一方ブリッジでは、タリアンとユナが全体状況を俯瞰するようにコンソールに向かっていた。

センサー表示、エネルギー収支、索敵範囲――どれも静かだが、時間だけが確実に減っていく。


「……そろそろ行くぜ」


機関室に、ロックの声が落ちた。

軽い。あまりにも軽い言い方だった。まるで工具の交換に行くかのような調子だ。


リサはその声に反応して顔を上げ、ロックの姿を確認した瞬間、わずかに目を細める。


「ちょっと。与圧服は着なくていいの?」


問いというより、確認に近い口調だった。

だが返ってきた光景は、予想の斜め上をいっていた。


ロックはタンクトップ一枚。

露出した腕と肩は、機関室の照明を受けて妙に立体的に浮かび上がっている。筋繊維の一本一本が主張してくるようで、状況にそぐわないほど堂々としていた。


「ここは俺の見せ場だからな」


即答だった。


リサは一瞬だけ言葉を探し、それから諦めたように息を吐く。


「……はいはい」


今さら服装で議論する段階ではない。

彼がこの状態で入ると決めたなら、それも含めて“条件”だ。


リサは意識を切り替え、端末を操作しながら淡々と続ける。


「段取りは昨日と同じ。まず点火系ラインへの接続、反応の立ち上がりを確認。今回は途中で止めないわ。いけるところまでやる。融合炉が起動すれば成功よ」


画面には、昨日と同じ計測レイアウトが展開されていく。

だがリサ自身は分かっていた。まったく同じにはならない、と。


「私が全工程をモニタリングする。異常値が出たら即座に止めるから、無茶はしないで」


それはロックに向けた言葉であり、自分自身への言い聞かせでもあった。


「任せたぜ」


ロックは短く答え、機材を抱え上げる。

石を組み込んだ装置は決して軽くはないはずだが、彼の腕の中では妙に安定していた。


金属床に足音を響かせながら、ロックはメンテナンスハッチへ向かう。

ハッチの縁に手をかけた瞬間、ほんの一瞬だけ中を覗き込み、にやりと笑った。


その奥は暗い。

融合炉へと続く狭い通路が、静かに口を開けている。熱、圧力、未知の現象――すべてを飲み込む場所だ。


カイは無言で、その背中を見送っていた。

胸の奥がざわつく。期待と恐怖が、同じ強さで存在している。


イグナスは計測系の最終確認に入り、淡々と数値を読み上げる準備を整える。

リサはモニターから目を離さず、深く息を吸った。


始まる。

これは修理ではない。祈りでもない。

理解できない何かに、意志をぶつける行為だ。


誰もやったことのない賭けが、今まさに動き出そうとしていた。



「……なんか凄い光ってるんだけど、大丈夫かよ」


ロックからの通信が、機関室に静かに割り込んだ。

無線越しでも分かる。冗談めいた口調の裏に、純粋な驚きが混じっている。


コンソール前のリサが即座に視線を跳ね上げ、表示を切り替える。

カメラ映像が開かれ、メンテナンスシャフトの奥が映し出された。


光。

それは単なる発光ではなかった。

照明とは質が違う。影を作らず、しかし確かに存在感のある、どこか“厚み”を感じさせる光だ。石を中心に、空間そのものが淡く輝いているように見える。


カイは息を詰め、画面に顔を近づけた。


「……放射線の類いじゃない」


言葉を選びながら、慎重に続ける。


「少なくとも人体に害はない……はずだ」


一瞬の間。

自分の言葉の歯切れの悪さに、カイ自身が眉をしかめる。


「正直に言うと、何で発光してるのか分からない。ただ、俺は何度も浴びてるし、メディカルデータにも異常は出てない。今のところはな」


“今のところ”。

その一言が、空気をわずかに冷やした。


ロックは一拍置き、それから愉快そうに笑った。


「なるほどな」


通信越しに、軽く肩を回す気配が伝わってくる。


「でも俺は好きだぜ、そういうの。むしろ――」


一瞬、言葉を切り、


「いつもより調子いいくらいだ。体が軽いっていうか、血が騒ぐっていうか。ワクワクするぜ」


リサは思わず口を開きかけ、すぐに閉じた。

その感覚が“気のせい”なのか、“兆候”なのか、判断がつかない。


「……ロック」


声のトーンを抑え、真剣に告げる。


「危険な作業を頼んでる自覚はあるわ。正直に言うと、あなたが一番適任なの。でも、だからこそ――」


言葉を区切り、念を押す。


「何が起こるか分からない。異常を感じたら、迷わず引き返して。ヒーロー気取りは要らないわ」


一瞬の沈黙。

それから、いつもの調子で返事が来る。


「分かってるさ。無茶はしねぇ。でもヒーローってのはいい響きだな。」


少しだけ声が低くなる。


「そろそろ接続ポイントに着くぞ」


画面の中で、ロックが狭い区画に身を滑り込ませる。

融合炉の外殻が、鈍く、そして不気味な存在感を放っていた。


「――早速、作業開始する」


その一言で、場の空気が決定的に変わった。

観測者でいられる時間は終わりだ。


今から起こるのは、現象ではない。

選択の結果だ。


誰もが、無言で次の瞬間を待っていた。


……接続に入るぞ」


ロックの声が、無線を通して機関室に落ちた。

軽口の多い男にしては、珍しく抑えた調子だった。


映像の中で、ロックは狭い回路区画に身体を固定し、ゆっくりと装置を持ち上げる。

精密作業――とは言い難い。

やること自体は単純だった。ただ“触れさせる”だけ。

それがかえって不気味だった。高度な接続も、複雑なロック解除もない。ただ接触。


「大した作業でもないんだがな……」


ロックが鼻で息を吐く。


「なんか汗が出てくるぜ」


与圧服も着ていないタンクトップ姿の背中に、微かに汗が光る。

温度上昇の兆候はない。環境データも平常値。

それでも、人間の感覚だけが正直に緊張を訴えていた。


装置の先端が、融合炉の点火系ラインに近づく。

あと数センチ。


機関室のコンソール前で、リサは無意識に拳を握りしめていた。

カイは息を止めるように画面を凝視している。

数式も仮説も、この瞬間には役に立たない。


「……よし」


小さな金属音。

装置が回路に触れた。


「これでいいだろ」


ロックは一瞬だけ手を離さず、何かを確かめるように石を見つめた。

淡い光が、脈打つように揺らいでいる。


「よろしく頼むぜ」


冗談めかした口調だが、そこには奇妙な真剣さがあった。


「……すげぇもん、見せてくれよ」


その言葉を最後に、ロックは手を引いた。

静寂が戻る。



「……出力、上がってるわ」


リサの声は冷静だったが、その視線はモニターに釘付けだった。

グラフは、まるで予定調和のように滑らかな傾きを描いている。


「ここまでは同じね」


昨日の検証と、ほぼ同じ立ち上がり曲線。

それが逆に不安を煽った。違いが出てほしい場面で、違いがない。


「光ってるのは相変わらずだ」


無線越しのロックの声は、妙に明るい。


「でも他に異常はないぞ。温度、振動、全部許容範囲内だ」


息が乱れる様子もない。

危険な場所にいる男とは思えないほど、平常心だった。


「相変わらず……訳が分からないくらい正常ね」


リサが吐き捨てるように言う。

警報は鳴らない。制御系も沈黙を保ったまま。

融合炉とは思えないほど、従順だった。


「同感だ」


カイはコンソールの前で、ほとんど身動きせずにデータを追っている。

目だけが忙しく動いていた。


「起動エネルギー供給と、制御の大部分を……あの石が担ってることになる」


言葉を選びながら、しかし隠しきれない困惑が滲む。


「適当に接触させただけなんだ。配線も調整もしていない。それなのに、点火シーケンスが成立している」


カイは短く息を吸った。


「もし、何らかのエネルギーが石から直接放出されているなら……艦内環境がここまで正常な訳がない。熱も、放射線も、歪みも出るはずだ」


一瞬、こちらを見る。


「正常なのが異常なんだよ」


自嘲するような笑み。


「とにかくデータは取らせてもらう。これは俺の役目だからな」


リサは黙って頷いた。

表示は、すでに臨界点の手前に差しかかっている。


「……臨界点よ」


指先がわずかに震える。


「出力上昇。炉心温度、1億5千万度。磁場安定率、99.98%」


異常値は、どこにもない。


「何も……何もおかしくないわ」


リサは小さく息を吐いた。


「ほんと、夢でも見てるのかしら」


その瞬間が来た。


警報もない。

振動もない。

劇的な光も、爆音もない。


ただ、表示が一段階切り替わっただけだった。


「……」


誰も言葉を発さない。


リサが、淡々と告げる。


「メイン融合炉、起動」


一拍置いて、数値が確定する。


「定格出力到達。制御安定。――アストラル、再起動完了」


それだけだった。


あまりにも静かで、あまりにも当然のように。

まるで最初から、こうなると決まっていたかのように。 



「ブリッジ、聞こえる?」


機関室に、リサの声が流れる。

いつも通りのトーン。淡々としていて、余計な感情を削ぎ落とした技術者の声だった。

だが、その一瞬の間に、彼女がモニターを何度も見返していることは、ここにいる全員が察していた。


「融合炉、起動したわ」


ほんの一言。

だが、その言葉が持つ意味は、艦全体の運命をひっくり返すには十分すぎた。


ブリッジから返答が返る。


「確認してる」


タリアンの声は低く、落ち着いている。

だが、その裏で、彼もまた計器から目を離せずにいた。


「……本当だな」


わずかに間を置いて続ける。


「何の盛り上がりもない」


「当たり前よ」


リサは小さく息を吐いた。


「ドラマじゃないんだから。爆音も、閃光も、感動的なカウントダウンも無し。融合炉なんて、動くときほど静かなものよ」


「夢がないなぁ……」


通信に割り込んできたのは、点検ハッチの奥にいるロックだった。


「もう動いてるのかよ。もっとこう、俺が火花に包まれながら、歯を食いしばって起動させる展開じゃないのか?」


「そんな展開は誰も望んでないわ」


リサは即答する。


「それに、今あなたが火花に包まれたら、私が始末書を書くことになるの。やめて」


「冷てぇなぁ……」


ロックは笑う。

軽口だが、その声には余裕があった。

作業が終わり、危険域を抜けた人間の声だった。


一方で、機関室の片隅。

誰よりも“危険”な状態にいる男がいた。


カイは、完全に沈黙していた。


端末を両手で抱え、画面に顔を近づけ、まばたきすら忘れたように数値を追っている。

指先が微かに震えているのは、寒さではない。


「……あり得ない……」


かすれた声が漏れる。


「立ち上がり時間、理論値の三分の一以下……磁場の揺らぎ、誤差範囲……」


喉が鳴る。


「制御遅延が……無い……」


成功している。

それが、はっきりと数字で示されている。

だが同時に、現代科学が積み上げてきた前提を、根こそぎ否定するデータでもあった。


「……正常すぎる」


呟きは、ほとんど独り言だった。


「こんな挙動を“正常”と呼んでいいのか……」


その頃、ブリッジでは次の現実的な判断が下されようとしていた。


「とにかく、アンノウンから距離を取りたい」


タリアンは計器を見つめたまま言う。


「加速したい。可能か?」


「最初は五〇%出力で様子見て」


リサは即座に応じる。


「今は“動く”って事実が確認できただけ。無理をさせる段階じゃないわ」


「了解」


短く、しかし迷いのない返事。


「推進系、五〇%で試験加速に入る」


ブリッジの空気が、わずかに張り詰める。

推進系が目覚めれば、アストラルは“漂流体”ではなくなる。


そのやり取りを聞きながら、イグナスが静かに一歩下がった。


「俺がここにいても、やることは無さそうだな」


いつもの、落ち着いた声。


「ブリッジに戻るよ。後は任せた」


「頼む」


タリアンが答える。


通信が切れ、機関室に残ったのは、低く唸る融合炉の音だけだった。

いや、正確には――音と呼ぶにはあまりに静かだった。


振動はない。

異音もない。

警告灯も沈黙している。


それが、何よりも異常だった。


アストラルは、再び動き始めた。

だがそれは同時に、誰も踏み入れたことのない領域への第一歩でもあった。 


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