英雄の演説
GC.119.1.21 16:18
――一時間後。
艦内放送の起動音が、アストラル全体に均一に広がった。居住区、機関室、医療区画、格納庫。誰もが自然と動きを止める。
「こちら艦長のタリアンだ」
その声は、不思議なほど落ち着いていた。張り上げてもいないし、感情を抑え込んでもいない。決めた人間の声だった。
「現在、正体不明の艦艇が本艦に接近中だ。距離と速度から判断して、時間はほとんど残されていない」
クルーの多くが、既にその事実を察していた。それでも、改めて言葉にされると、胸の奥が重くなる。
「率直に言う。逃走は不可能だ。」
一拍、意図的な沈黙。
「残された選択肢は一つだけだ」
誰かが唾を飲む音がした。
「今から、かつて誰もやったことのない試みを行う。上手くいく保証はない」
不安が広がるのを、タリアンは止めなかった。むしろ、それを受け止めた上で言葉を続ける。
「だが、現状を打破できる可能性があるのは、それしかない」
声に、わずかな熱が混じる。
「俺たちは今、世界を変えるかもしれないブレイクスルーの現場にいる」
その言葉は、恐怖とは別の感情を呼び起こした。
未知への畏怖。好奇心。技術者や探索者が本能的に持つ、抗いがたい衝動。
「不運だと思う者もいるだろう。だが俺は、そうは思わない」
タリアンは、はっきりと断言する。
「ここに居合わせた俺たちは、幸運だ。歴史が動く瞬間の目撃者になれるかもしれない」
最後は、迷いのない声だった。
「この試みは必ず成功する。必ず生きて戻る」
放送が切れる。
一瞬の静寂の後、艦内のあちこちで歓声が上がった。
拳を打ち鳴らす音、誰かの笑い声、誰かの叫び声。恐怖が消えたわけではない。ただ、「任せる」という空気が一気に共有された。
――ラウンジ。
ユナは、丸いテーブルに肘をつき、紅茶のカップを両手で包んでいた。放送の余韻が、まだ耳の奥に残っている。
(……艦長、素敵)
そう思った瞬間だった。
「艦長、素敵……」
すぐ隣から、まったく同じ言葉が聞こえた。
ユナは思わず肩を跳ねさせ、カップを少し揺らしてしまう。
心臓が一拍、余計に跳ねた。
(え? 今の……声に出てた?)
血の気が一気に引く。
恐る恐る隣を見ると、そこには小柄で可愛らしいクルーが座っていた。柔らかい雰囲気、少し興奮気味の表情。目が合うと、にこっと笑う。
「ですよね?」
何気ない一言に、ユナは言葉を失う。
視線が一瞬、彼女の胸元に落ちて、すぐ慌てて逸らした。
(……小さい)
どうでもいい情報が、なぜか脳内に強く刻まれる。
それがまた、余計にユナを混乱させた。
ラウンジはざわついている。あちこちで会話が弾み、笑い声と緊張が混じり合っている。
その中で、ユナだけが自分の鼓動をやけに大きく感じていた。
紅茶はもう少し冷めているはずなのに、頬だけが妙に熱い。
ユナはカップを口に運びながら、心の中でそっと呟いた。
(……本当に、ドラマチックすぎるわよ)
アストラルは、静かに、だが確実に運命の分岐点へと流されていた。




