技術者の魔法
GC.119.1.19 22:30
研究室
研究室の照明は、ブリッジよりもさらに控えめだった。薄い青白さが機材の輪郭だけを浮かび上がらせ、空気そのものが冷たく研ぎ澄まされているように感じられる。そんな空間の中心に、小さな携帯式ヒーターと、三人分の缶酒が置かれていた。漂流中の節電環境で飲む酒は、どこか罰ゲームめいているのに、それでも心拍を落ち着かせてくれる。
カイが缶を開け、ひと口飲んでからぼそりと言った。
「データの再検証は、もう何度もやった。手順もモデルも全部洗いなおしたし、これ以上は本当にどうしようもない。……まあ、それは口実なんだ。」
タリアンが眉を上げる。
「だろうな。お前は肝心なところで口下手だからな」
カイは困ったように笑い、缶を回しながら続ける。
「リサと腹を割って話したかったんだよ。今回の現象……驚かされっぱなしだ。科学者としての俺の頭がついてこない。とんでもないイノベーションの予感がするんだ。未知のエネルギー、未知の反応。現象は分からないのに制御可能。こんなの反則だろ。物理の教科書で殴られて育った俺にとっては悪夢みたいな祝福だ。」
彼は言葉を切って、深く長い呼吸をした。
「……ただな。ワクワクする反面、現代科学が通じない“特別厄介”な案件でもある。だからこそ、ぶっ飛んでいても良い。研究者目線の論理じゃなくて、技術者の意見が欲しいんだよ、リサ。」
リサは缶を持つ手を少しだけ握りしめ、ためらいがちに口を開いた。
「正直、信じられない気持ちの方が大きいわ。あなたの誇張でも妄想でもないことはデータを見れば分かる。でも……頭が拒否するの。こんな“都合よく振る舞う反応なんて、あっていいはずがない。」
缶をトンと机に置き、続ける。
「ただ、昼間も言った通り――アストラルの融合炉は今の状態では絶対に動かない。何度解析しても、止まった理由が“複合的すぎて首が回らない”って結果しか出ないのよ。原因は点火系なんだけど、ほぼ全系統を一から組み直さないと再起動の見込みはない。」
彼女はひと呼吸して、ほんの少しだけ悔しそうに笑った。
「はっきり言って、今の私には何もできない。機関主任として言うのは心苦しいけど……限界よ。本当に悔しい。」
研究室の空気が、一瞬ぴたりと止まった。
タリアンは缶を口元に運んだまま動かず、カイは椅子の縁を握りしめ、リサは自分の缶を凝視していた。
リサが問いを投げた瞬間、空気の密度が変わった。
「これは、カイ博士以外の人の意思も汲んだりするの?」
「そこなんだよ。」
カイは苦い顔で額をこする。
「全て手探りの検証だからな、断定できないんだが……俺以外でも反応する。それだけは確かだ。しかも、一番強かったのは――」
「まさかロック?」
リサが即答すると、カイは苦笑した。
「……そうだ。アイツが近くにいると、石の反応が強い。理由は分からん。筋肉密度が高いからか?宇宙の摂理が鍛えてる奴を好むのか?知らん。俺の専門外だ。」
タリアンが噴き出した。
「宇宙筋肉偏愛説は新しいな。」
リサは肩をすくめた。
「ふーん。じゃあ私でも何かできるってこと?ちょっとやらせて。」
「えっ、いきなり!?」
カイは慌てて棚に走り、例の石を内蔵した簡易検証装置を持ってくる。掌サイズの透明容器に青白い光がかすかに揺れている。
リサは立ち上がり、缶酒を掲げた。
「私は冷酒が好きなの。この熱々の酒をキンキンに冷やしてもらおう。」
「いや、そういうのはちょっと無理なんじゃないかな……?」
カイが常識という名の羽交い締めに動きを止められている。
「やってみないと分からないじゃない。どうやってやるの?何かに接続するの?」
「えーと……こうなって欲しいと“強くイメージする”んだ。俺は計測器につないでたけど、缶に繋ぐか?」
「よし!」
リサは缶を両手で抱えるように持ち、装置を見つめ、宣言した。
「じゃあ――私のお酒をキンキンに冷やして頂戴。お願い。」
タリアンが腕を組み、興味深そうに見守る。
カイはガチで固まっている。
沈黙が落ちた。
石が、かすかに脈動する。
青い光が――一瞬だけ、鼓動のように強まった。
数秒後。
真顔。
本気の真顔。
「……冷えてる。」
「え?」
カイが間抜けな声を漏らす。
リサは缶を指先でつまみ直し、まるで未知の生命体でも触ってしまったかのように、ぎこちなく持ち上げた。
眉がひくりと動く。
「……待って。私、何にも繋げてないわよ。」
声が震えていた。
「それに物質の急速冷却なんて、そんな簡単な事じゃないの。温度を一気に下げるには、まず熱を逃がす経路が必要よ。それに時間は……せいぜい一秒くらいじゃない。熱伝導はどうなってるの?どうやって放熱したの?そもそも冷却機構に当たるものが存在しないのに……」
言葉を重ねるほど、彼女の顔色には現実拒否の色が濃くなる。
「怖すぎる……。私、まだほとんど飲んでないのに酔っぱらったのかしら。」
タリアンはそんなリサの横顔を見て、息を呑む。
いつも理性的な彼女が、理性の土台ごと揺らされている。
カイはというと、しばらく口を開いたままフリーズしていたが、ようやく喉の奥からしわがれた声を絞り出した。
「……今のは驚いた。本気で驚いた。」
彼は装置と缶の間を何度も見比べる。
「確かに……ロックの時も石からは離れていたんだよな。あいつ、俺の後ろで筋トレしてただけだ。」
リサは指先で缶を軽く弾いた。金属特有の薄い響きが舷窓に吸い込まれていく。
その缶は、さっきまで熱かったはずなのに、いまは掌をひやりと撫でる程度には冷えていた。異常だ。
「……なるほどね」
リサは缶をじっと見つめ、細く息をついた。
「だいたい分かったわ。いや、違うわね。理解不能な点が“はっきり”しただけ」
冷たい金属をもう一度撫でながら、彼女は言葉を続ける。
「これ、ただエネルギーを出したり吸ったりしてるんじゃない。そんな単純な話なら、熱伝導の法則で説明がつくはず。でもこれは……内部のエントロピーが勝手に調整されたみたいに、あまりにも自然すぎるのよ。むしろ“不自然な自然現象”。そんな感じ」
カイは肩をすくめた。
「俺も似た結論だ。熱力学をねじ伏せにきてるとしか思えない」
リサは缶をテーブルに置き、腕を組んだ。
その表情は呆れと興奮の中間だった。
「ただし問題はここから。これを融合炉の修理に使えるとして――どうやって使うのか。作動原理が不明な装置を、当てずっぽうで触って“はい直りました”なんて、そんな都合のいい話ある?」
カイは苦笑する。
「そう。けど、“再現する現象がある”ってだけで、ただのオカルトからは脱したわ」
リサは指で軽く缶を持ち上げ、小さく揺らす。
「私がイメージしたものが反映された――少なくとも、そう“見えた”わ。」
カイは天井を見上げ、息を吐いた。
「意味不明だが、意味不明なりに前進はしてる。操作方法なんて分からなくても、規則が掴めれば突破口になるかもしれん」
リサは一口だけ酒を含み、喉を鳴らす。
その味の変化に酔ったわけではない。ただ、宇宙の理が一瞬だけ歪んだような感覚が、胸の奥をざわつかせていた。
「……全然酔ってないのにね。こんな現象のほうが、よっぽど頭をクラクラさせるじゃない」
艦の低い振動が静かに空気を震わせる。
理屈も取説もない奇妙な力を前に、二人は否応なく“賭け”のテーブルにつき始めていた。




