未知への迷い
GC.119.1.19
アストラルのブリッジは、いつになく重い空気に包まれていた。
機器のかすかな振動音と、どこか遠くで鳴っている冷却ファンの低い唸りだけが、漂流中のアストラルがかろうじて“生きている”ことを示している。
タリアン、イグナス、リサ、ロック、そしてカイが半円形の卓を囲み、これからの方針という名の“運命の分岐点”を話し合う。
リサが端末を指で滑らせると、アストラルとルナトレースのシステムを繋ぐ配線図が空中に立ち上がった。
光線はかすかに揺れて、まるで呼吸するようだ。
「アストラルの融合炉の再起動については……言いづらいけど、正直厳しいわ」
リサは淡々と告げるが、その瞳の奥には悔しさが滲む。
「いくつも方式を試したけど、点火系が完全になってる。修理の可能性はゼロじゃないけど、厳しいわね。
ただし、ルナトレースの融合炉と接続した現状――生存に関しては救助が来ると思われる一ヶ月は問題ないと思うわ」
ロックが腕を組んだまま鼻で笑った。
「再起動が無理と言った覚えはねえぞ。俺の直感はまだ“直せる”って囁いてる。
部品が足りねえ? 時間が足りねえ?
――足りないのは気合いだろうが」
リサが呆れたように眉をひそめる。
「だから、その脳筋理論やめなさいって言ってるでしょ」
「筋肉は裏切らねぇんだよ」
ロックは胸を叩く。
「まあ、時間があればの話だがな」
タリアンは深く息を吐く。
「その“時間”が問題なんだ。動けないアストラルを、海賊が見逃すわけがない。
無力化された船なんて、奴らからすれば“皿の上の獲物”だ」
イグナスが静かに頷く。
「艦長の懸念は妥当です。今の状況では迎撃は不可能でしょう。
動かない船を狙うのは、奴らにとって容易いものです。
ブリッジをピンポイントで撃ち抜かれれば、指揮系統は即座に断たれる。そのあと接収されるのが常です」
その艦橋の半暗がりに、冷たい現実だけが積み上がっていく。
タリアンは腕を組み、しばらく天井のパネルを見つめた。
「一ヶ月漂流して、何も起きない――そんな甘くないだろ。
救助船が来る前に、奴らに見つかる可能性は高い。いや、高すぎる」
ロックが鼻を鳴らす。
「また迎え打つか?」
「やり合うのは無理だな」
タリアンの苦い声がブリッジに落ちる。
「今のアストラルは脚が折れた状態の獣だ。噛みつくこともできないよ。
ブリッジの照明が、ゆらぎを帯びた青みを帯びる。ルナトレースからの電力供給は安定しているはずなのに、どこか呼吸の浅い病室のような光だった。全員が作戦卓を囲んで緊張を滲ませている。
タリアンが静かに前に立ち、腕を組んだまま口を開く。
「……ここで、一つ提案がある」
ざわめきは起きない。ただ数人の眉がわずかに動いた。艦長が“言いにくそうに”するのは珍しい。
タリアンは視線をカイへ向ける。
「詳しくはカイ博士から頼む」
カイは椅子を押して立ち上がり、短く深呼吸する。
科学者としての誇りと、発表したくない恥のようなもの、その両方を抱えた重い空気が彼の背に纏わりついていた。
「……全ては推測の域を出ないんだが」
最初の一言から、彼の苦渋はあからさまだった。
「例の石だ。俺が惑星調査で持ち帰ったあれ。どうやら“人間の意思”に反応して、エネルギーを放出したり、あるいは変換したりしているようだ」
リサが瞬時に目を細める。ロックは腕を組んだまま眉をひそめ、イグナスは無表情で続きを待つ。
カイはタブレットを操作し、石のスキャン画像を宙に投影する。
複雑な紋様もなければ、特異な鉱物構造もない。見た目はそこらの鉄鋼石にすら負ける印象だ。
「構造上は普通の鉱石だ。少なくともアストラルの分析装置が判別できる範囲ではな」
淡々と説明しつつも、その声の奥にはどうしても押し殺せない苛立ちがあった。
「何度も検証した。理論の隙を潰しても潰しても、結論は同じだ。どう考えても“意図的”としか思えない現象が起きる。……こんな現象を認めるのは、科学者として屈辱なんだ」
最後の言葉は自嘲の笑いで濁された。
「時間と設備があれば、もっと分かるかもしれないが……いま分かっているのは、ただ一つ。なぜこんな現象が起きるのか“さっぱり検討もつかない”。しかし……」
彼は手を広げ、全員を見渡す。
「皮肉なことに、制御するのは驚くほど簡単だ」
その一言に、全員の視線が鋭く跳ねた。
リサが最初に声を上げる。
「それはどういうこと?」
カイは頷き、説明を続ける。
「最初、この石から微弱なエネルギーが検出された。放射性物質を疑ったが、それではなかった。そして“どれくらいのエネルギーがあるか”を測定しようとしたら……簡単に測定できたんだ。だが、測定値はバラバラだった」
彼はタブレットに表示されたグラフを見せる。
まるでノイズの塊だが、妙に“意味のある乱れ”にも見える。
「そこで視点を変えてみた。“俺は未知のエネルギーを求めて調査に行き、石を発見した。そして都合の良いエネルギー反応を見た”……ならば」
一息置く。
「意図的に電気エネルギーとして変換させるよう“期待”してみたんだ。すると、いとも簡単にできた」
リサが息を呑む。
ロックが「なんだそれ……」と呟く。
カイは続ける。
「おかしいだろ? 石からは常にエネルギーが出ているわけじゃない。しかし、俺が『こうしてほしい』と思って操作すると、必ず“思い通りの結果”が出る」
言うほどに、自分で吐き気がするという顔だ。
「気持ち悪いことこの上ない。科学以前の問題だ」
リサは腕を組んだまま、眉間に深い皺を作った。
「それで……カイ博士の“意図”を石が汲んでる、って結論に? そんな非科学的な話、信じられないわ」
カイは苦い笑みを浮かべる。
「俺だって信じたくはなかった。だが、データの裏付けが“そうとしか説明できない”んだ。信じるとか信じないの問題じゃなく、現象として“起きてしまっている”」
場の空気は静まり返り、その静けさは恐ろしく細い糸で各員を繋いでいるようだった。
タリアンが低く呟く。
「……この石の“反応”を使って、アストラルの点火系をどうにかできる。カイ博士はそう言いたいんだろう?」
カイは頷いた。
「できる“可能性がある”としか言えない。ただ、他に方法が無いのなら可能性に賭ける価値はある」
リサが切り出す。
「到底信じられないわね。」
カイは肩をすくめた。
「そうだな。何度検証を繰り返した俺も同感だ。」
彼は手元の端末をタップし、結果一覧をブリッジ中央ホロに投影する。
まるで“全部予定稿通り”とでも言いたげな、気味の悪い一致率。
「ここだ。どのデータも俺の予測値と結果がほぼ一致してる。予測値はそれなりに考えて導き出した数値だが、それにしたって未知の現象なんだ。全て予測通りの結果になるなんておかしいんだ。」
リサはスクリーンに顔を近づけ、思わず眉間を押さえる。
「本当ね。気持ち悪いわ。こんなの、まともな学会で発表したらペテン師扱い間違いなしよ。」
カイが苦笑する。
「そうだ。順調すぎておかしいんだよ。エネルギーにしたって、石の質量変化が無いんだ。どうやって発生しているのか皆目見当もつかない。」
リサはデータの波形を指でなぞるように追いながら、半分呆れた声を出す。
「何これ?オカルト現象なの?そんな言葉、もう死語よ。」
カイは軽く息を吐き、石を模したホロモデルの発光パターンを表示する。
「発光もするんだが、これもどういう原理かわからん。ただ、反応が強い時は光量も跳ね上がる。そこまではわかってる。」
二人の視線はホロの中央に集まり、薄い光が脈動する。
“理屈の外側にある物理現象”に触れている時の、科学者特有の苛立ちと興奮が入り混じった空気。
船内の会議室は、最低限の照明だけが点いていた。漂流中の消費電力削減モードのせいで、壁面の光はどれも薄暗く、パネルのランプが点滅する音だけが落ち着きなく響いている。そんな環境が、いま議論している現象の“不可解さ”を妙に引き立てていた。
タリアンが椅子にもたれ、両手を組んだまま静かに言葉を落とす。
「イグナス、分かるか?」
データを確認していたイグナスは、苦笑すら浮かべず淡々と答えた。
「サッパリです。これはもう専門家に丸投げするしかありませんね。」
言葉自体は軽いのに、逃げの姿勢ではない。むしろ本気で“手に負えない”と判断している声色だった。
ロックはそんな空気を楽しむように、机にブーツのつま先をコツコツ当てながら口角を吊り上げる。
「なんか面白くなってきたな。俺は博士の案に乗るぜ。」
軽く言い放つが、その目は冗談のそれではない。未知の技術・未知の現象、その両方が絡む案件は、彼にとって最高級の刺激剤だ。
リサがすぐに反応した。椅子から半ば立ち上がる勢いでロックを指さす。
「ロック! 技術者なら確証のない技術の使用には慎重になるべきよ。分かってるでしょう? “未知の現象”って言い換えれば“何が起こるか全く予測不能”なのよ。」
しかしロックはまるで聞く気がない。むしろ聞かないと決めている顔で、わざとらしく上腕をぐっと力ませた。
「時には直感で動くのも悪くないぞ。それに今回はとびきりのオカルト案件なんだろ? この状況で慎重になりすぎて何が変わる? どうせ起動の可能性が限りなく低い融合炉だ。今さら何か失敗しても、爆発しちまうなんて事はないだろ?」
“俺の直感がまだいけると囁いてるぜ”と言わんばかりのドヤ顔だ。彼の破天荒な直感だが、なんとなくそうかもしれないと思わせる妙な説得力と存在感は確かにあった。
リサは言い返そうとして、言葉を途中で飲み込む。
「……まあ、確かに……そうとも言えるけど。」
どこか認めざるを得ない空気が漂う。
緊張が緩んだ瞬間を見計らうように、タリアンが掌を軽く叩いた。
「ここは、一度検証してみるってのはどうだ? 幸い、今すぐどうにかなるという状況じゃない。焦って誤判断する方が危険だ。ユナ、索敵状況は?」
ユナは姿勢を正し、データを素早くスクロールして確認する。
「索敵範囲内はクリア。熱源反応、電磁シグナル、重力波の異常もありません。現状、脅威ゼロです。」
「よし。」タリアンがうなずく。「リサだって、現象を確認しないと納得できないだろ?」
リサは、ほんの数秒だけ考えたあとで静かに息を吐く。
「……ええ。正直、この意味不明なエネルギー変換を見てしまった以上、放置の方が気持ち悪いわ。」
そこにカイが一歩前へ出た。目の下の疲労を指で押さえながらも、声にはしっかり芯がある。
「だったら、準備に1日だけ欲しい。データの再検証をもう一段階やっておきたい。あの石の反応は、俺が言うのもなんだが、変だからな」
その言葉には、研究者というより“見えない地雷を嫌というほど踏んできた技術屋”の勘がにじむ。
タリアンは即答した。
「分かった。明後日――1月21日の10時に検証開始としよう。」
彼は全員の顔を順に見渡し、確認する。
「それでいいか?」
返事は一拍置いて、しかし揃っていた。
「分かりました。」
その瞬間、会議室の空気に目に見えない“緊張の膜”が張られた。誰もがこの先の展開を薄々察していた。これはただの実験ではない。艦の未来を左右する分岐点になる。
――未知の現象ほど、人間の心拍を速めるものはない。
そして、その未知が“理屈では説明できないほど筋の通った挙動”をしているなら猶更だ。




