ユナ・セリオン
ユナの十五歳は、世界が左右に引き裂かれる音で始まった。両親の離婚。理由は母の浮気だった。大人の事情という名の濁った水に、思春期の少女が沈められたらどうなるか――そりゃあ複雑にもなる。怒りというより、胸の奥でへばりつくような嫌悪と失望。妹と二人で父親についていったのは、理屈ではなく、ただそっちの空気の方が呼吸しやすかったからだ。
父は一貫して「普通」を貫いていた。食卓の雰囲気も、送り出す朝の声も、夜の電気の消し方まで、変わらず穏やかだった。何も言わないその背中を、ユナは当時「無関心」だと思い込んでいた。反発したと言っても、壁に小さな爪痕を残す程度の、可愛い抵抗だったが、それでも今思えば胸が痛む。あの人なりに、必死に守ってくれていたのだと、理解するには数年かかった。
軍に入ったのは、その反発の延長線だったのかもしれない。母への幻滅、自分への苛立ち、父への後悔。その全部を混ぜて、遠心力で外に投げ飛ばした先に軍学校があった。父は何も言わなかった。ただ、出発の朝に「無理はするな」とだけ告げた。その一言の重さは、後になって胸の奥にゆっくり沈んでいく。
士官学校では航海科と通信科を選んだ。測位計算と暗号通信は得意で、射撃も妙に勘が良かった。ただし体術だけは壊滅的で、教官に「重力に嫌われてるのか」と真顔で心配されたほどだった。ユナいわく「重力の方が避けてるんじゃない?」らしいが、成績表はいつも現実を叩きつけてきた。
そんな学校生活のなかで、彼女は一度だけ大きくつまずく。信頼できると思って真剣に付き合った相手が、既婚者だった。心を預けた途端に裏から崩れ落ちるような感覚は、母の裏切りと重なり、呼吸を止めるほど苦しかった。退学を考えた夜もあったが、結局ユナは負けず嫌いだった。泣いては起き上がり、泣いては課題にかじりつき、いつしか周囲が驚くほどの成績で追い抜き始めていた。
それ以来、外見だけで寄ってくる男にはアレルギー気味だ。面倒臭さと警戒心と羞恥心のカクテルを一気に煽らせる存在だと思っている。
そんなユナが、タリアン艦長に対してだけ妙な反応を見せるのには理由があった。
タリアンは「鈍い」。異常に鈍い。スペックは高く、人心掌握にも長け、社交性もあって、あれほど人に囲まれているのに、女性絡みの噂だけは一切ない。絶対にモテるタイプなのに、そんなそぶりが一ミリも無い。彼の鈍感さは武器を通り越して、もはや一種の天然防壁だ。
ユナは最初、その「防壁の外にいる安心感」が心地よかった。美人扱いされることが多く、余計な視線や下心を向けられることにうんざりしていたから、タリアンの“見ていない感じ”はむしろ救いだった。ところが、気づいたら逆効果になっていた。
「……なんで見ないのよ」
静かな廊下で、ユナは時々そう呟く。もちろん本人に聞こえないように。
見られたくないのに、見てほしい。
気づかれたくないのに、気づいてほしい。
寄ってこないから、逆に気になる。
タリアンの無自覚な優しさや、誰に対しても平等な距離の取り方が、彼女には妙に刺さる。
女性クルーの1人が
「艦長の女っ気のなさは、もはや銀河の七不思議」話しているのを聞いた時、ユナは心の中でそっとガッツポーズを決めた。ライバルがいない、というだけで少し嬉しい。だが、次の瞬間には自分の反応に顔を覆って転がりたくなる。
そんなユナがいま、タリアンの横で通信卓を任されているのも、奇妙な巡り合わせだ。嬉しい、と言えば嬉しい。あまりにも近くて、逆に落ち着かない。
航海前夜、ミーティングルームでタリアンが「ユナは管制、航行オペレーターとして申し分ないよ」と言った時、ユナは一瞬だけ「これは運命の糸では?」という馬鹿げた思考をしてしまった。
もちろん、そんなのは錯覚だ。
分かっている。
分かっているけれど。
恋に落ちる瞬間なんて、だいたい錯覚から始まる。
ユナは今日もタリアンの隣で冷静を装い、平然とした顔で端末を操作している。
しかし、画面に映る自分の影は、心臓の速さを正直に揺らしていた。
そして、その揺れを彼が気づく日は――どうやら当分先になりそうだ。
タリアン艦長は、鈍感の化身だから。
けれど、ユナにとっては、その鈍感ささえも少し愛しくなってしまうのだ。




