07
検死室
冷たい蛍光灯の下、白布の上に横たわる焦げた遺体。
御堂弥勒は、まるで芸術作品を鑑賞するように首をかしげながら近づいた。
白衣のポケットには、検視用のLEDライトと小型スキャナ。
その動きは滑らかで、医師というより研究者に近い。
「……なるほど。
表皮の炭化層が深部まで達しているのに、筋肉層が部分的に再生してる。
酸素供給を絶たれたはずなのに、細胞崩壊のタイミングが遅い……
“後燃焼”現象か?」
検死医が驚いたように顔を上げる。
「そこまで見抜くとは……
確かに、死後も何らかの化学的反応が続いていた可能性があります。
ただし、発火源は不明。電気的、あるいは神経性刺激による――」
御堂は小さく笑った。
「つまり、人間の内側から燃えた。いいね。実に非科学的だ」
そう呟くと、額に刻まれた“λ”を指でなぞる。
「“ラムダ”……ギリシャ文字。意味は“欲望”“分岐”“崩壊”。
哲学的には、“堕落からの浄化”の象徴だ。……面白い」
独り言のようにブツブツと呟きながら、目は子供のように輝いていた。
背後で南雲警部補が苛立たしげに腕を組む。
「おい御堂、ここはお前のオカルト研究室じゃねえ。
特務課が嗅ぎつけてくるのは時間の問題だが、この件は“一課”の事件だ。
手を出すな」
御堂は白衣の裾をひらめかせて振り向く。
「出すなと言われると、出したくなるんだよ。
だって――これは普通の殺人じゃない」
そのまま、遺体の横でしゃがみ込み、赤黒く焦げた皮膚を指先で確認する。
「……彼女の弟、佐伯竜司。彼は何か喋ったのかい?」
南雲は短く舌打ちし、検死医に礼も言わずに部屋を出ていった。
早乙女が小声で呟く。「あんた、また首突っ込む気だろ」
御堂は目を細めて微笑んだ。
「突っ込むんじゃない。――呼ばれてるのさ、死体にね」
一方、その頃、生活安全課のデスクでは、
寛治が正義の証言を思い返しながら資料に目を落としていた。
正義の証言――次に死ぬ人間は“女性”、
“顔だけが焼かれて誰だかわからない”
“そして股を裂かれていた”
そして「最近、僕が関わった人に違いない」「妊娠している」――
その情報を頭の中で何度も反芻する。
「……これは通信制高校の生徒に絞られるな」
自然と声に出して呟き、手元の資料を再び広げる。
正義が語った状況と現実の情報を照合すれば、
次の被害者の手がかりが浮かび上がる――そう直感した。
そこへ舘正美が寄ってくる。
「袋君、何してるの?」
資料を覗き込み、少し驚いた声で続ける。
「あれ、水沼絵里?寛治君、これは一課の仕事だぞ」
「いや、舘さん。実は水沼絵里は、家の弟が通っている通信制高校の担任で
……ちょっと気になって調べています」
寛治は言葉を選びながら答えた。
舘は小さくため息をつき、引き下がる。
その後、寛治は資料入手のため秋田係長に相談を持ち掛ける。
「秋田係長、少し相談があるのですが……
通信制高校の担当生徒の資料、生活安全課の範囲内で閲覧できませんか?」
秋田は腕を組み、やや慎重に訊く。
「生活安全課の範囲で? 具体的にはどういう理由だ?」
寛治は資料を指さし、先の取調室の場面を簡潔に説明する。
「昨夜、佐伯竜司を取り調べしました……
姉の死の関係で、一部生徒の情報が捜査に役立つ可能性があると考えています。
課の管轄外には出ませんし、あくまで資料の確認だけです」
秋田はしばらく沈黙し、書類をめくりながら考え込む。
「……わかった。生活安全課の範囲内で、必要最小限の閲覧なら認めよう。ただし記録は必ず残すこと」
寛治は深く頭を下げ、感謝の言葉を口にする。
「ありがとうございます。必ず手続き通りに行います」
こうして、翌日には生活安全課の正規の手続きを踏みながら、
必要な資料の閲覧許可を得ることができた。
デスクに戻り、再び資料を広げる手元には、決意が感じられる。
寛治は、昨晩の出来事を反芻していた。
正義がまた「赤い死体」を見て悲鳴を上げたこと。
あの不気味な光景が、弟の胸を何度も引き裂いている――
その事実が、彼の胸を重く締めつける。
「これが一週間続くんだって……あと五日だよ、兄さん」
正義の声は掠れ、目の下には濃いクマができていた。
顔色は冴えず、憂鬱がますます深まっている。
「もしかしたら、赤い死体は回避できるんじゃないか? 兄さん、助けてあげて」
必死の訴えに、寛治は言葉を詰まらせる。
捜査官として何ができるのか、兄として何をすべきか―答えは簡単ではなかった。
その時、生活安全課のデスクに通知が入った。
教育委員会経由で求めていた、
通信制高校の「必要最小限」の生徒情報が届いたのだ。
寛治はモニターに目を落とし、正義がここ数日間で関わった相手を洗い直した。
該当は約十名――だが、頻繁に音声で会話を交わしていたのは五人に絞られる。
名前をひとつずつ吟味する。資料の行間を追い、通学履歴や連絡先、
履修状況を照合する。
とくに接触が多かったのは、山本若葉、江口良子、鍵沼カナの三名だった。
男の名(藤井、甘木)は関係外として切り、
寛治は無意識に住所をメモ帳に書き留める。
「少し外回りをしてきます」
机を立ちながら、寛治は新田に声をかけた。
今すぐ現地に行き、顔を合わせて確認する必要がある――それが直感だった。
だがそのとき、無線のチャイムが激しく鳴った。
モニターには吉田主任の顔。表情が硬い。吉田の声が割り込む。
「袋、新田、前田! 直ちに竜司の自宅へ向かう。佐伯竜司を確保する。急げ」
無線の向こうから伝えられたのは、一課からの緊急連絡だった。
「水沼絵里の携帯が押収され、そこに生徒を売春に誘うメッセージが残っていた。
未成年者関与の疑いだ。竜司の自宅に今すぐ行け」
言葉が胸を突いた。画面の文字は冷たく現実を示している。
未成年者が絡む疑い――警察として放置できない最優先の事案だ。
(くそ、こんなときに……)
寛治は、心の中で歯噛みする。正義の切迫した訴えと、目の前の捜査指令。
どちらも譲れない。
だが組織の命令は即時性を要求する。反抗する余地はない。
「了解しました。直ちに向かいます」
寛治は短く答え、机上の資料を慌ただしくまとめて鞄に押し込んだ。
心の片隅で、若葉たちの名前がちらつく。
だが今はまず、竜司を抑え、事実関係を明らかにする――と自分に言い聞かせ、
彼は走り出した。




