04
署に戻ると、空気は一変していた。
さっきまで出発時に感じた、のんびりとした朝の雰囲気はどこにもない。
廊下では制服警官が何人も走り回り、
電話のベルはひっきりなしに鳴り続けている。
紙の束を抱えた事務員が早足で駆け抜け、
すれ違いざま新田にぶつかりそうになり、彼は慌てて身を引いた。
「……なんだ、これ」
寛治は思わず呟いた。
生活安全課のドアを押し開けると、中も修羅場だった。
吉田主任や北村が電話に張り付き、
舘はパソコンのモニターに映る速報を険しい目で追っている。
壁際のテレビには臨時ニュースが流れ、
「市内で変死体」と赤いテロップが躍っていた。
窓の外をちらりと見れば、
すでに数台の中継車が署の前に横付けされている。
白いパネルバンから伸びたアンテナが灰色の空を突き刺すように伸び、
カメラマンとリポーターらしき人影がざわついていた。
入り口の前は押しかけた報道陣でごった返し、
騒然とした気配が生活安全課の中まで伝わってくる。
(……早いな。もうメディアが来てるのか)
そのとき、生活安全課のドアが再び開いた。
現れたのは捜査一課の刑事二人。
いずれも顔つきが険しく、手には薄いファイルを抱えていた。
捜査一課の南雲警部補と、相棒の早乙女巡査部長だった。
南雲は無精髭を撫でながら無言でファイルを机に置き、
早乙女は切れ長の目で室内を見回す。
「吉田主任、頼みがある」
重い声で南雲が切り出す。
「……事件の件ですか」
吉田が短く応じると、早乙女がすかさず口を挟んだ。
「市内の廃家で発見された変死体だ。
あそこは例のグループがたむろしていた場所らしい。
リーダーの佐伯については、生活安全課の方が詳しいはずだ。
直接現場は俺たちがやる。
君らは、まず奴らに話を聞いてくれないか」
その口ぶりには、少年係を「下請け」と見る色がうっすらとにじんでいたが、
吉田は気にも留めず頷いた。
「了解しました。こちらで引き受けます」
南雲は一度だけ寛治に目を向け、
何か言いかけたが、結局は無言のまま踵を返した。
早乙女はわずかに口元をゆがめ、「頼んだよ」と軽く言い残して後を追った。
――残された少年課に、重苦しい気配だけが残った。
吉田は寛治たちをぐるりと見渡し、声を張った。
「まずは奴らに話を聞く。佐伯を当たるぞ」
その視線が寛治に向いた。
「袋、君も来い。」
一瞬、寛治は戸惑った。
着任初日から変死事件の周辺に関わることになるとは、
想像だにしていなかったからだ。
しかし吉田の言葉はさらに続く。
「佐伯は気が荒い。なめられたら終わりだ。
……君みたいに体格のいい奴が一緒なら心強い」
その言葉に背を押されるように、寛治は拳を握った。
「了解しました!」
「よし。新田、袋、それに俺で行く。前田と北村は署に残れ」
決定は即断即決。
その場で流れが決まり、否応なく寛治の“最初の任務”が形を帯びていく。
寛治達が向かっている、西区の町並みは、
古くからの住宅街と工場地帯が入り混じる下町の景色が広がっていた。
建物は軒並み古く、壁のペンキは剥げ、窓ガラスはひび割れているところもある。
狭い路地には、洗濯物がたなびき、廃棄された自転車や空き缶が転がる。
低所得者も多く、街全体にどこか荒んだ雰囲気が漂っていた。
その一角に、古ぼけたアパートが立っている。
三階建て、外壁はくすんだ灰色で、廊下の床はギシギシと音を立てる。
ポストには新聞や広告チラシが束のように突っ込まれ、
部屋ごとに雑然とした様子が見て取れる。
ここが、佐伯竜司の住まいだ。
吉田は最初、壁に付いた古いインターホンを押したが、反応はなかった。
仕方なく、静かに扉に手をかけ、名前を呼びながら軽く叩く。
「竜司、吉田だ。話がある。」
その瞬間、扉が勢いよく開き、金髪に染め上げた細身の若者が現れる。
身長は175センチほど、病的に細く、
長袖からちらりと見える刺青が威圧感を漂わせていた。
目つきは鋭く、表情は警戒心で固まっている。
「んだこら、何だよ」
竜司は言葉少なに身を乗り出す。
吉田は慣れた様子で動じず、落ち着いた声で続ける。
「竜司、昨日のことを少し聞きたいんだ。
あそこで、ちょっとした放火があったらしい。
知っていることはないか?」
吉田が竜司のチームがよく集まる、場所を携帯の地図で竜司に見せながら問う。
竜司は眉をひそめ、身を引きながら反発する。
「お前たちには関係ねぇだろ。令状でもあんのか?」
吉田は肩をすくめ、笑みを浮かべながらも真剣に応える。
「いや、今日は話を聞くだけだ。部屋に入るつもりはない。
君がいつもあそこで屯しているのは知ってる。
聞くだけ、ちょっと協力してくれないか」
竜司はしばらく黙り、目を細めた。
「……昨日は行ってねぇ。だから知らねぇ」
そう言うと、扉を閉めようとする。
吉田は手を差し伸べ、なだめるように声をかける。
「わかった、無理には入らない。
だが、何か見聞きしたことがあれば、
すぐ教えてくれ。君たちの安全のためでもある」
竜司は少し顔をゆるめ、眉間の緊張がわずかに解けた。
扉が閉じられ、吉田は少し安堵の息をつく。
「アイツはあんな見た目で気が荒いが、根は小心者だ。
殺人なんてやらないと思うが、とにかく報告しておこう」
吉田たちはパトカーに戻ると、無線が鳴った。捜査一課の南雲からだ。
「被害者が断定されました。
A通信制の教師、水沼絵里です。佐伯竜司の実の姉にあたります。
吉田班は佐伯を確認したら、逃げられないように待機をお願いします。
今から令状を持って向かいます」
「了解、吉田です。竜司は部屋にいました。逃がさないようにします」
パトカーの中で、寛治と新田に衝撃が走る。
「これは……えらいことになったな……」
竜司は扉を閉めると、ふとアジトに警察が入り込んだことを思い出した。
居間に戻ると、狭い室内の埃っぽさが鼻をくすぐった。
床には昨日の残骸の缶や雑誌が散乱し、空気はじめっとして重い。
(あそこは俺たちの資金源……未成年の闇売春。
もし証拠が出たら、全員終わりだ……姉貴に連絡しないと……)
慌てて携帯を取り出し、姉の絵里に電話をかけるが、応答はない。
「ふざけるな……!」
苛立ちを押し殺せず、竜司は手近な本やペットボトルを軽く叩きつける。
響く音に、自分の焦りが増す。
画面をスクロールすると、昨夜未明、
東区の廃家で殺人事件が発生したというニュース記事が目に飛び込む。
そこは、彼らがアジトとして使っていた場所だった。
竜司の背筋に冷たいものが走る。
慌ててテレビをつけると、夕方のニュースが現場の映像を流していた。
覆面パトカー、警察車両、黄色い規制テープ。
映像には、規制線の外でざわめく人影も映っている。
(やべぇ……俺たちのアジトが、殺人現場だ……!)
昨日の夜、彼らは売春で稼いだ金でクラブや居酒屋に出かけており、
アジトには誰もいないことを思い出す。
竜司は急いでグループのメンバーに連絡を回す。
「アジトが警察だらけだ!誰も入るな、待機だ!」
すぐに返信が返ってくる。
藤井「マジか…昨日みんな外出してたし誰もいないよ」
佐山「え、どうすんの?」
高橋「竜司、逃げる準備しとけ!」
竜司「落ち着け、まず俺が状況確認してからだ。無駄に動くな!」
室内の薄暗い光の中で、竜司の指先が携帯の画面を叩くたび、
緊張が増していった。
その時、部屋のインターホンが再び鳴り響いた。
甲高い電子音が、狭く埃っぽい室内に響き渡る。
竜司は思わず肩を跳ねさせ、息を止めてドアスコープに目を近づけた。
覗き込むと、そこには先ほど尋問して来た吉田が立っていた。




