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良子が目を覚ましたとき、

そこは薄暗い部屋だった。


補助灯のオレンジ色の光が、いくつも天井から垂れ下がっている。

どこか、場違いなほど落ち着いた雰囲気――

バーのようにも見えた。


奥にはカウンターがあり、

酒瓶が無造作に並べられている。

だが、人の気配はない。


窓の外に目をやると、

夕暮れだった空は、すでに夜へと変わりつつあった。


(……ここ、は……?)


頭が重い。

喉がひりつく。


良子は身体を動かそうとして、

はっきりと異常に気づいた。


椅子に座らされ、

両手と両足は結束バンドのようなもので固定されている。

胴体はさらに、ロープで椅子ごと縛られていた。


(……動かない)


力を込める。

必死に身体をよじる。


だが、びくともしない。


(……私、攫われたの……?)


口元に違和感があった。

厚く、何重にも巻かれた粘着テープ。


声を出そうとしても、

喉から漏れるのは、空気の抜ける音だけだった。


「……っ、ふ……っ……」


助けを呼べない。


恐怖が、遅れて全身を満たしていく。


良子は椅子を揺らし、

わざと物音を立てた。


ガタ、ガタ、と。


すると――

奥の扉が、静かに開いた。


姿を現したのは、佐伯竜司だった。


片手には、水の入ったバケツ。


「……やっと、目覚めたか」


低い声。

感情の読めない目。


竜司は迷いなく近づき、

良子の口元のテープを、乱暴に剥がした。


「――っ!!」


皮膚が引き裂かれるような痛み。

良子は思わず声を漏らす。


その直後――

竜司はバケツの水を、容赦なく良子にぶちまけた。


冷水が、頭から全身に叩きつけられる。


「……おはよう。いい目覚めかい?」


竜司は淡々とした口調で言う。


「起きたなら、分かるだろ。

 今の状況」


ゆっくりと、顔を近づける。


声が、低く沈んだ。


「騒ぐな。

 これから質問をする」


指先が、良子の頬に触れた。


「ちゃんと答えれば――

 家に帰してやる」


一拍。


「答えなければ……そうだな」


唇が歪む。


「絵里みたいになる」


良子の身体が、目に見えて震えた。


(……助けて……明……)


そのとき――

別の声が、割って入った。


「ダメじゃない、竜ちゃん」


やけに優しい声。


「そんな言い方したら、この子怯えちゃうでしょ?

 それじゃ、ちゃんと答えられないわ」


良子の視界に、

ゆっくりと女の姿が入ってくる。


金髪。

腰まで伸びた長い髪。


薄い化粧。

作り込んでいない顔立ちは、

それでも驚くほど若く、見え。

どこか絵里を思わせる輪郭をしていた。


「そんなつもりはないよ、ママ」


竜司の声が、驚くほど甘くなる。


女は不敵に微笑み、

良子を見下ろした。


その女を、良子は見上げていた。


(……これが……)


脳裏に浮かぶのは、かつて絵里が何気なく零した名前。


――伊奈。


言葉に出さず、良子は喉を鳴らした。



――過去


NOPUR HEALの仕事帰り。

いつものカラオケボックスの一室に、女たちが集まっていた。


照明は落とされ、テーブルの上だけが明るい。

そこに、封もしていない封筒や輪ゴムで留めただけの札束が、

次々と置かれていく。


「今日もヤバくない?」

「若葉とカナ、稼ぎすぎでしょ」


ざわめきの中、自然と視線が集まる。


若葉。

カナ。

そして――良子。


三人の前には、明らかに量の違う札束が積まれていた。


「さすがだね」

「ほんと、別格」


羨望と諦めが混じった声。


その様子を、部屋の奥――

上座のソファに腰掛けた絵里が、静かに見下ろしていた。


絵里は一つひとつ札束を手に取り、慣れた手つきで数えていく。


「……うん、合ってる」


指先が止まり、顔を上げる。


「みんな、今日はお疲れさま」

「明日出る子は、遅れないでね。連絡も忘れずに」


それだけで、場が締まる。


配分された金を、それぞれが受け取る。


「じゃ、解散!」


その一言で空気が一気に緩んだ。


「このあとどうする?」

「アタシ、ホスト」

「配信回す〜」

「服、買う」


笑い声と共に、女たちは次々と部屋を出ていく。


――だが。


「……良子」


背後から、絵里の声。


「少し話があるの。残ってくれる?」


良子が返事をする前に、カナが割り込んだ。


「えー、良子じゃなくて私が聞くよ?」


絵里は困ったように笑い、首を振る。


「ごめんね、カナ。今日は良子なの」

「早く帰りなさい。今度、カフェでも行きましょ」


「えー……」


不満げに唇を尖らせながらも、

絵里が軽く指を振ると、カナは察して立ち上がる。


「先生! カフェ、絶対だからね!」


ドアの向こうへ消える声。

絵里は小さく笑った。


部屋に残ったのは、二人だけ。


「……で、私に何ですか?」


良子が恐る恐る訊くと、

絵里はテーブルの金を鞄へしまいながら言った。


「良子に、お願いしたいことがあるの」


「私、難しいことは……」


「大丈夫よ」


即答だった。


「あなたにも損はない。むしろ――将来が安泰になる話」


絵里は鞄から一枚、万札を抜き出し、指で挟む。


「組織も大きくなった。でもね、このお金は自由に使えない」

「銀行にも入れられないし、表に出せば足がつく」


札をひらりと揺らす。


「だから、手を分けるの。

お金を動かす名義と、置き場所をね。

――半分、あなたに背負ってほしい」


良子の喉が鳴る。


「私はね……ある女が出てくる前に、このNOPUR HEALを辞める」


絵里は淡々と続けた。


「消えるの。その時、この金は回収する」

「でも――半分は、あなたにあげる」


「……半分?」


「そう。三億くらいは、あなたの手元に残る」


良子の思考が、一瞬止まった。


(……三億)


頭に浮かんだのは、あのバイク。


「それだけあれば、あなたも辞められる」

「すぐに、若葉や竜司みたいなのが後釜を狙って群がるわ」


良子は、拳を握った。


「……半分のお金、少し使ってもいいですか?」


絵里は少しだけ考え、頷いた。


「ええ、いいわ」

「でも、私の分は必ず残しなさい」


良子は、息を吸い込む。


「……受けます」


そして、恐る恐る続けた。


「ひとつだけ、聞いてもいいですか」

「あの……絵里さんが、そこまでして逃げる“女”って……」


絵里の表情が、ほんの一瞬だけ硬くなる。


「――私の母親よ」


静かな声。


「水沼伊奈って女」



伊奈――

絵里が最後まで恐れていた女が、今、目の前にいる。


竜司の言葉に、良子は思わず叫んでいた。


「……あなたたちが、絵里さんを殺したの?」


竜司は拍子抜けするほど軽い調子で笑った。


「ははは。見るかい? ちゃんと動画に撮ってあるんだ。傑作だぞ」

「ママ、見せてあげよう」


いつの間にか取り出されていたノートパソコンが開かれ、画面が良子の方へ向けられる。


「しょうがない子ね」


伊奈はそう言いながら、濡れたタオルで良子の体を拭き始めた。

まるで介抱するかのように、優しい手つきで。


「竜くんったら、酷いことするわね。こんなことしたら……」

「お腹の子に障るじゃない。ほら、ちゃんと拭いてあげる」


画面から、大音量の映像が流れ出す。


――縛られ、椅子に固定された絵里。

良子と、まったく同じ状況。


伊奈が一方的に暴行を加え、絵里の冷静だった声が次第に震えていく。


『待って……私を殺したら、金は手に入らないわ』

『解放しなさい。教えてあげる……金の場所を……』


伊奈は無言のまま、ハンマーのような鈍器を振り下ろす。


『ぎゃあああ! やめて!』

『許して……お金、あげるから……』

『それに……私は半分しか持ってない……』


暴行が止まる。


『……全部、話しなさい』


伊奈は血に濡れたハンマーを、ゆっくりと見せつける。


『私を解放して』

『そしたら、金の場所、全部教えるわ』

『もう半分は……良子しか知らない』

『私が交渉してあげる』


その瞬間だった。


伊奈の表情が、歪む。


次の瞬間、狂ったようにハンマーが振り下ろされ――



雑音混じりの音楽が、唐突に流れ出す。

奇妙なリズム、不思議な機械音。


「ディーバ」が歌う旋律。

“欲望”“分岐”“崩壊”をなぞる詩――《Aries》。


いつの間にか、絵里は動かなくなっていた。


『……あら、やりすぎちゃった』

『ごめんね、竜くん。死んだかしら?』


「しょうがない人だな。でも、そこがいいよね」

「……うん、まだ何とか燃やせるよ」


画面の中で、伊奈は竜司に抱きつき、二人は見つめ合う。

軽く、唇を重ねながら。


『お願い』


竜司が手を振ると、動かない絵里の体が燃え上がる。


最後の、悲鳴ともつかない音と、音楽が重なり――

映像は終わった。


良子は声も出せず、ただ震えていた。


竜司がにこやかに言う。


「聞き出す前に殺しちゃったからさ、大変だったよ」

「でも金の場所、最近やっと見つけたんだ」


良子の顔を覗き込む。


「ねえ良子。面倒かけるなよ」

「NOPUR HEALの金、どこに隠した?」


恐怖に抗う余地はなかった。


……良子は、すべてを話した。


「いい子だ」


竜司は満足そうに笑う。

伊奈も嬉しそうに頷いた。


「ママ、早速取りに行ってきます」


「あら、もう夜よ。明日でもいいじゃない」


「いや、今日がいい」

「なぜか、そんな気がするんだ」


竜司は微笑む。


「すぐ戻るよ」

「明日から、計画を始めよう」


「――僕たちは、楽園に行く」

「6億ぽっちじゃ、我慢できないからね」


NOPUR HEALの資産。

現金で、約12億。

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