21
A県・深夜。
寛治は、アリスが割り出した目的地を片端から潰していた。
地図の上には、赤い×印がいくつも並んでいる。
「……くそ」
何度目か分からない現場。
外れだ。
たまに、佐伯竜司のグループの人間と鉢合わせることもあったが、
「竜司さん? 見てねぇな」
「こっちも探してんだよ。どうなってんだ」
逆に、そう吐き捨てられる始末だった。
車内で金田が、助手席のシートに体を沈める。
「使えねぇな。何が“癖がある”だよ」
欠伸混じりの声。
寛治は答えず、地図にまた一つ×を打つ。
腕時計を見ると、日付が変わっていた。
(今日、見つからなければ――)
江口良子は、殺される。
まだ向かう先は残っている。
だが、時間は確実に削られていた。
寛治は一度、深く息を吸う。
(平常心だ)
その瞬間――
スマホが震えた。
表示された名前は、アリス。
寛治は即座に通話に切り替え、車内Bluetoothを繋ぐ。
「はい、今大丈夫です」
「お、やるな」
金田が短く笑う。
スピーカー越しに、アリスの声が流れた。
「寛治君。例の部屋で殺されてた“渡って男”、身元が割れたわ」
キーボードを叩く音。
「極財組の下部組織、“渡組”の組長。結構なデブよ。間違いない」
「……竜司と繋がってたか」
「ええ。もっと言うとね」
アリスの声が一段、低くなる。
「渡は昔から、水沼義男――竜司の義父と深い関係があった」
金田が低く唸る。
「義男は故人だ。だが、生前は相当な屑だったみたい。
竜司にも、絵里にも、暴力を振るってた」
カタカタ、と音が早まる。
「で、その義男。殺したのは――水沼伊奈」
車内の空気が、目に見えて張り詰めた。
「……絵里の母親か」
「そう。そしてね」
一拍、間が置かれる。
「水沼伊奈、出所してるの。三週間前に」
寛治の指に、無意識に力が入る。
「さらに調べると――刑務所に、ずっと面会に来てた男がいる」
金田が口を挟む。
「……竜司だな」
「正解。施設に預けられてた時から、欠かさず通ってた。
――水沼竜司、ってわけ」
寛治は、思わず声を漏らした。
「……水沼、竜司……?」
一瞬の沈黙。
その間を、アリスが楽しそうに割り込む。
「ふふ。面白いでしょ」
軽い笑い声。
「彼はね――
佐伯竜司なのか、
それとも水沼竜司なのか」
どこか愉快そうに、続ける。
「名前って便利よね。
都合が悪くなったら、変えればいいんだもの」
寛治は、笑えなかった。
思わず声を漏らす。
「……まさか母親が協力者」
「ええ。多分母親は“内側”よ」
アリスは続ける。
「伊奈ね、服役中ずっと言ってたらしいの。
“私がやったんじゃない。娘がやった”って」
その言葉が、重く落ちた。
金田が、帽子のつばを指で弾く。
「つまりだ。
母親と一緒に良子を攫った可能性が高い。
車で移動してるな」
即座に指示が飛ぶ。
「伊奈の顔写真。
それと、攫われた付近で“女が運転してる車”を洗え」
「もうやってる」
アリスの声は速い。
「写真も送った。
それから……お爺ちゃんの勘、覚えてる?」
「……移動したの、か」
「そう。今移動し終わって、動いてない。
そこに行った方が確率は高いわ」
通話が切れた。
直後、
一枚の写真と、GPS座標が送られてくる。
画面に映る女――
水沼伊奈。
五十を過ぎているはずなのに、異様な若さだった。
絵里によく似ており並べれば、姉妹と言われても疑わない。
「……これが、水沼伊奈か」
寛治は低く呟く。
金田が前を見据えたまま言う。
「行くぞ。時間はねぇ」
エンジンが唸りを上げる。
寛治は、ナビに座標を叩き込みながら思った。
――ここが、分岐点だ。
A県・深夜。
ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ――!
空冷四気筒の爆音が、眠りきった街を切り裂く。
藤井明はバイクにまたがり、闇の中を走り続けていた。
良子と初めて会った場所。
良子がよく立ち止まり、よく歩いた道。
そして――竜司たちのアジト。
思いつく限りの場所を、
血眼になってなぞるように走る。
(……どこだ。どこにいる……)
胸の奥に、焦りが溜まっていく。
やがて、アジトの前に辿り着いた。
エンジンを切ると、
耳鳴りのような静寂が落ちてくる。
その中で――
スマホを握りしめ、必死に画面を更新している男がいた。
高橋。
明より二年先輩で、
竜司のグループでも古参の幹部。
明は警戒を解かず、
バイクを降り、ゆっくりと距離を詰める。
バイクの音に気づいた高橋は、
顔を上げ、安堵したように息を吐いた。
「明……良かった。無事か?」
声は掠れている。
「っくそ……竜司にも、渡さんにも繋がらねぇ。
どうなってやがるんだ……」
苛立ちを吐き出すように言い、
ふと思い出したように続けた。
「それとよ。
さっきサツが来やがった。
竜司を探してるらしい」
明は一瞬、身構える。
「……何か、知らねぇか?」
首を横に振る。
「知りません。
自分も……竜司さん、探してます」
高橋は再びスマホに視線を落とし、
舌打ちした。
「くそ……あの女が来てからだ。
組織が、ガタガタになりやがった」
指が画面を乱暴に滑る。
「何より……竜司の奴が、おかしくなってやがる」
明の眉が僅かに動く。
「あの女……?」
高橋は顔を上げ、
明を見て、ふっと苦笑した。
「知らねぇか。
まぁ……お前、最近は良子と一緒にいること多かったしな。
集会も来てなかったもんな」
一度、言葉を切り、
低く、重く続ける。
「竜司がよ……“自分の女だ”って言ってた」
明の背筋に、嫌な感覚が走る。
「その時の竜司は、いつもと違った。
まるで……別人みてぇだった」
高橋は、遠くを見るような目をした。
「それ以来だ。
あいつは変わっちまった。
たまに昔の竜司に戻ったかと思えば、
意味分かんねぇこと言い出す」
言葉が、次第に乱れる。
「絵里が死んだ時もな……
前日、あの空き家に近づくなって命令してた」
高橋は眉を寄せ、首を傾げる。
「……なぁ。
あの女、絵里に似てた気がするんだが。
違うか?」
混乱しているのか、
そのまま一人、ぶつぶつと呟き始める。
明は、それ以上聞かず、
バイクに跨った。
(……あの女)
アクセルを捻り、再び走り出す。
夜風が、ヘルメットの中を抜ける。
その瞬間――
記憶が、唐突に繋がった。
(……そうだ)
それは、昔じゃない。
ほんの最近。
絵里が殺された、直後だ。
その日、確かに――
明は良子と外出していた。
近くの喫茶店。
向かい合って座る良子は、どこか落ち着かない様子だった。
「ねぇ……今日、藤井君、暇?」
「ん?
暇だけど……」
怪訝に答えると、
良子は少し安心したように微笑った。
「行きたいところがあるんだけど……いい?」
「……まぁ、付き合ってやる」
明は鼻を掻く。
いつもの癖。
「ありがと」
「別に」
良子に案内されて向かった場所。
――そこで、彼女は言った。
「ねぇ、明……あっ、藤井君」
足を止め、
どこか遠い目をしながら。
「何かあったら……
この場所に来て」
明の手に、バイクのキーを押し当てる。
「スペア、付けとくから」
その声は、不思議と静かだった。
「私……病院に行こうと思うの」
一瞬、言葉を選び、
そして、笑った。
「ありがとうね、藤井君」
(……あそこだ)
記憶が、確信に変わる。
明はアクセルを限界まで捻った。
ドゥンッ――!!
エンジンが吼え、
夜の街が後方へ流れ落ちていく。
「あそこなら……!」
声が、風に掻き消える。
「良子が、いるはずだ……!!!」
バイクは一直線に、
“あの場所”へ向かって疾走した。




