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空はすでに夜の色に沈んでいた。

江口良子が住んでいるのは、北区の駅からほど近い場所に建つアパートだ。

再開発されたばかりの一角にあり、築年数も浅い。


外壁は淡い色合いで統一され、派手さはないが小ぎれいな印象を受ける。


駅に近いため、人通りも街灯も多く、夜とはいえ辺りは思ったほど暗くなかった。

パトカーを路肩に停め、寛治と金田は同時に車を降りる。


アパートの階段を上がり、良子の部屋の前に立った瞬間、

室内に明かりが点いているのが目に入り、寛治はわずかに胸をなで下ろした。


「……よかった」


在宅している可能性は高い。

寛治は深呼吸し、インターホンを押した。


──応答はない。


三分ほど待っただろうか。

静まり返った廊下で、二人は顔を見合わせる。


もう一度、インターホンを押す。


それでも、返事はなかった。


(買い物にでも出ているのか……?)


そう思いながら、寛治は念のためドアノブに手をかける。

しかし、しっかりと施錠されている。


「江口さん、いらっしゃいますか?」


ドアを叩き、少し大きめに声を出す。

だが、内部からは物音ひとつ返ってこなかった。


「ふん……」


短く鼻を鳴らし、金田が一歩前へ出る。


「おい、見張り頼んだぞ」


そう言うと、コートのポケットから細長い器具を取り出した。

ピッキング用具のようなそれを鍵穴に差し込み、器用にカチャカチャと動かす。


「……金田さん。それ、さすがにまずいですよ」


寛治が小声で止めに入る。


「うるせぇ。緊急事態だ」


金田は取り合わず、数秒も経たないうちに――


「よし」


乾いた音と共に、鍵が開いた。


「ちょっ……!」


寛治が制止する間もなく、金田がドアに手をかけた、その瞬間だった。


「おい、お前ら。何してやがる」


低く、刺すような声。


反射的に振り向くと、廊下の奥に男が立っていた。

身長は百八十前後。短く刈り込まれた髪に、鋭い目つき。

右手にはコンビニ袋、左手にはバイク用のヘルメットをぶら下げている。


只者ではない気配だった。


「良子の部屋の前で……何の用だ」


寛治は、その顔を見た瞬間に思い当たる。

自分が集めた資料の中に、確かにあった写真。


「……君は、藤井明?」


その名を告げた途端、男――藤井の視線が、わずかに鋭さを増した。


寛治が警察手帳を取り出すよりも早く、金田が一歩前へ出た。


「お前……江口良子の知り合いか?

それとも――犯人か?」


挑発するような言い方だった。


「……はあ!?」


藤井は一気に激昂し、持っていたコンビニ袋を床に落とすと、金田の胸倉を掴もうと踏み込んだ。


「なんだこのガキ――!」


だが、その腕が金田に触れる直前、


「動くな!」


寛治が瞬時に間に割り込み、藤井の手首を掴んで体を捻る。

肘関節を極め、体勢を崩しながら壁際へと押し込んだ。


「――っ、痛たたたっ! くそ、離しやがれ!!」


関節を正確に捉えた制圧だった。

無理な力をかけず、しかし逃げられない。


騒ぎが大きかったのか、廊下の奥からスーツ姿のサラリーマンや、パジャマ姿の女性が不安そうに顔を出す。


「警察です!」


寛治は声を張り上げる。


「公務執行妨害の可能性があります。現在、確保中です!」


それ以上の野次馬が出てこないのを確認し、寛治は藤井を押さえたままドアを開け、室内へ踏み込んだ。


「金田さん、中を!」


「了解」


金田はすぐさま部屋の中へ入り、手際よく各部屋を確認して回る。


「くそっ、放しやがれ!!

言っとくがな、良子はここにいねえぞ!!」


藤井が怒鳴る。


「……本当か?」


寛治は関節を極めたまま問い返す。


体感で十分ほどが過ぎただろうか。

金田が奥の部屋から顔を出し、不機嫌そうに言った。


「おい袋。女、いねぇぞ。どこ行った」


「だから言ってるだろ!

病院だよ! 産婦人科に行ったきり帰ってきてねぇ!」


藤井の声が荒くなる。それに合わせて、寛治の拘束が少し深くなる。


「ぐっ……いたたた! ちくしょう、放せって!」


「暴れなければ力は抜きます」


静かな声で言い、寛治は金田に視線を送る。


金田は鼻で一つ息を吸った。


「……どうやら、こいつの言ってることは嘘じゃなさそうだな」


「了解です」


寛治は慎重に関節を緩める。

「いいですか。次に暴れたら、即座に再確保します」


低く抑えた声で告げると、藤井は舌打ちし、乱暴に腕を引っ込めた。


一瞬の沈黙が落ちる。


寛治は警察手帳を胸元に示し、改めて藤井の正面に立った。

相手を威圧しすぎない距離を取りながらも、逃がさない視線で見据える。


「警察です」


はっきりと名乗り、言葉を続けた。


「江口良子さんについて、話を聞かせてください」


藤井は不機嫌そうに顔を歪める。


「誰が好き好んで――」


藤井が言いかけた瞬間、寛治が真剣な目で遮る。


「江口良子さんの命に関わることです」


その一言で、藤井の表情が変わった。


「……NOPUR HEAL。佐伯竜司……

藤井さん、あなたは竜司のグループの人間ですね?」


部屋を見回せば一目瞭然だった。

壁際にはバイク雑誌の束、レーシングスーツ、ヘルメット。

室内の趣味は、ほとんどが藤井のもの――良子個人の気配は驚くほど薄い。


居間のテーブルに座り、ようやく少し落ち着いた藤井は吐き出すように言った。


「……昨日から、竜司さんと連絡がつかねえ。

それに、絵里先生がアジトで死んだって聞いて……良子、ずっと怯えてた」


顔を歪める。


「俺は昨日から探し回って、竜司さんのアパートに行ったら警察だらけだ。

なぁ……何があったんだよ!」


「竜司の部屋で死体が上がった」


金田があっさり言う。


寛治が横目で睨むが、もう遅い。


「……え?」


藤井の顔が凍りつく。


「お前のグループに、太った男はいるか?」


「……いや。

……ただ、集金に来る渡さんって人がいて……」


「そいつ、太ってるか?」


「……ああ」


金田は顎に手を当て、頷いた。


寛治は話を戻す。


「良子さんが行った産婦人科、場所は?」


「駅裏の……名前は知らねぇ」


寛治はスマホを操作し、周辺の医院を表示する。


「ここですか?」


「……多分、そこだ」


「ですが、もう出ていると?」


「ああ。帰りのメッセージも残ってる」


藤井がスマホを見せる。


『病院からでた、ねえ、藤井。ちょっと話したいことあるんだ』


「……返事しなかった。部屋にいると思ってたから」


藤井は舌打ちする。


「それに、良子……絵里先生とは個人的によく会ってた。

それが何か関係あんのか?」


寛治は答えられず、内心で焦る。


(不味い……

攫われたのか?

それとも単なる行き違い……判断がつかない)


そんな寛治に、金田が紙を差し出した。


「これ、俺の連絡先だ。

今日、良子が戻ってきたらすぐ連絡しろ」


「藤井さん、私にも」


寛治も慌てて名刺を渡す。


「今日はこの部屋にいてください。

良子さんが戻る可能性もあります」


金田は踵を返しながら言った。


「袋。一度、特殊課に戻る。

ガキどもの調書も終わってるだろ。

それに……近隣カメラだな。良子の足取り、

――あいつに頼むか」


「わかりました」


寛治は藤井に向き直り、頭を下げた。


「先ほどは申し訳ありません」


部屋を出ようとした背後で、藤井の声が飛ぶ。


「……おい。良子は……無事なんだろうな?」


喉に何かが詰まったような、不安と苛立ちが滲んだ声だった。


その答えを、寛治もまだ持っていなかった。

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