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A署へ戻ると、カナと若葉はそのまま取調室へ案内された。
窓の外は茜色に染まり、あと一時間もすれば完全に日が沈むだろう。
二人の事情聴取を担当するのは館正美。
相手が未成年の女子で、今回の件にはデリケートな内容が含まれるため、
女性職員である彼女が対応することになった。
取調室へ入ってきた正美は、柔らかな落ち着きをまとった女性だった。
肩までの黒髪をきれいにまとめ、濃すぎないメイクに控えめなアクセサリー。
制服姿でも威圧感はなく、むしろ安心感を与える雰囲気がある。
「初めまして。館正美と言います。
今日はお二人にお聞きしたいことがあって来てもらいました。
どうぞ、よろしくお願いしますね」
堅苦しくない、穏やかな声。
緊張していたカナと若葉の肩が、少しだけ下がった。
生活安全課――。
「事件から外す、ですか?」
署へ戻ってきた寛治に、
机に肘をついて不機嫌そうな顔をしていた秋田係長が言い放った。
「そうだ。君が単独で動いたことが問題なんだ。
確かに、君が事件に人一倍情熱をかけているのは理解している。
だがな――そのせいでチームとしての責任が取れなくなっては困る」
秋田は寛治を真正面から見つめ、
足元ではイライラを隠せないのか貧乏ゆすりを続けている。
「待ってください。単独行動に出たのは申し訳ありませんでした」
寛治は深々と頭を下げる。
「ですが……もう少しだけ関わらせてください! お願いします!」
しかし秋田は、その訴えをまるで聞いていないかのように言い渡した。
「ダメだ。明日からは通常の乗務に戻ってもらう。――決定だ」
秋田は、寛治が用意した資料に目もくれず言葉を続ける。
「お願いします!! せめて……江口良子さんの安否確認だけでも!」
それでも秋田は、もう話は終わったと言わんばかりに椅子から立ち上がった。
「君には期待しているんだ。だからこそ、今後こういう行動は慎みなさい」
それでも寛治は、諦めきれずに食い下がる。
「待ってください――!」
押し問答になりかけたその時だった。
机の上に置かれていた寛治の資料が、ひらりとめくられる。
「へぇ。短い期間でここまでまとめたか。
……お前さん、この江口良子って子に“何か”あるんだな?」
少年のような、高く澄んだ声が突然響いた。
振り向くと、寛治と秋田の背後に、
いつの間にか小柄な少年のような人物が立っていた。
電話越しで聞いた声に寛治は目を見開き、秋田は小さく呟く。
「……金田さん」
嫌な相手に遭遇した、そんな表情のまま固まる秋田。
しかし、口を開くより早く、その少年は言い放った。
「特殊課の金田一無だ。
袋寛治は特殊事例につき、こっち預かりにする!」
そして、資料を指で弾きながらニヤリと笑う。
「もう一度聞くぞ。――江口良子。何かあるんだろ?」
寛治は即座に背筋を伸ばし、力強く返した。
「はい!! よろしくお願いします!」
署の廊下を、金田と寛治は並んで歩いていた。
寛治は歩きながら、
“特殊課”という聞いただけで半信半疑だった部署について思い返していた。
本庁の地下深くに本部がある、
あるいは全国の警察署の「開かずの間」に存在している、
妖怪・都市伝説・表に出ない不可解事件――
そんな、常識では説明できない案件を扱っている……。
今まで噂話だと思っていたが、どうやら本当に存在するらしい。
隣を歩く金田は、まるでテレビの少年探偵のような格好で、
胸を張って得意げに歩いている。
「おい、先に言っとくけどな。
俺はお前さんより年上だ。金田“さん”って呼べよ!」
妙に自信たっぷりに言うので、
寛治は、はしゃぐ子供を見るような気分で微笑んだ。
「わかりました、金田さん」
「おい!! なんだその顔!
徳が高いみたいな顔しやがって……ぶっ飛ばすぞ!」
金田がむきになるのを見て、
良くこの仏顔で言われることに寛治は思わず苦笑した。
「とりあえず、江口良子さんの住所に向かいましょう。
彼女の安否を確認したい」
「いいねぇ……お前から臭うぜ。ククク……」
意味深に笑いながら言う金田。
一方で寛治は、焦りが滲むのか歩幅が自然と早まっていた。
二人は駐車場へ向かい、そのままパトカーに乗り込んだ。
パトカーの室内。
寛治がハンドルを握り、
金田は助手席で寛治が用意した資料をパラパラとめくっていた。
「で、袋。江口良子に“何がある”んだ?」
金田は、まるで核心だけを吸い取るような口調で問いかける。
絵里と深く関わっていたのはカナのはずだ。
そこで、なぜ良子が浮上するのか――そこが引っかかっていた。
寛治は視線を前に向けたまま言った。
「……金田さん、もし“2日後に死ぬ人間”が分かったらどうします?」
それは、三日前に正義に言われた言葉だった。
(あれから、許可や資料を整えるのに三日かかった……)
金田は鼻で笑った。
「へぇ。“死期予知”か。
そいつは助かるのか?」
寛治は、ハンドルを握る手に力を込めながら答える。
「……わかりません。まだ」
「俺なら、足掻くね。
で――いつからだ? その力が目覚めたのは」
「いえ……その……本気で信じるんですか?」
思わず問い返すと、金田は大きくため息をつき、
面倒くさそうに肩を竦めた。
「信じるもクソもない。
“ある”なら事実。“事実”なら現実だ。
こんな見た目だが俺は七十超えてる。
特殊課じゃ、この程度の日常茶飯事よ」
寛治は、一瞬だけ金田の横顔を見る。
その顔は少年で、七十など到底信じがたい。
「それに、お前さんはもう片足突っ込んでる。わかるだろ?」
「……はい。ただ……その“死期予知”、覚醒したのは私じゃなくて……弟です」
ありえない話を、金田はまるで天気予報でも聞くように受け入れた。
「弟か。なら一度、特務課で検査受けとけ。
腹切り開くわけじゃねぇから安心しろ」
「さすがに……弟に相談してみます」
寛治は迷いを隠せない。
「早い方がいいぜ。ESP――超感覚的知覚能力者は、だいたい病むか変人になる。
こいつみたいにな」
ちょうどその時、金田のスマホが鳴り始めた。
スワイプに苦戦し、低く悪態をつきながら、なんとか通話に出る。
「……くそ。はいはい」
『一無ちゃん出た! 聞こえた!』
電話越しの弥勒のはしゃいだ声に、金田は心底うんざりした顔をする。
「いいか弥勒。“金田さん”と呼べ。
で、死体は何か喋ったか?」
『燃えてるからね〜w ギャー熱いww いつも通りの悲鳴さ。いい声だったよ』
御堂弥勒は、焼けただれた死体の悲鳴を“いい声”と言って恍惚としている。
「あっそ。で――犯人の名前は呼ばずに死んだか。」
「そんな無粋な!!純粋な悲鳴さ、今日は良く眠れそうだw」
「外れかよ。……もう切る」
『あああ待って、待って! 死体ね、多分佐伯竜司じゃないよ。
声が違う。太った男の声だね。』
弥勒はさらりと悲鳴を根拠に続ける。
「……佐伯竜司じゃない、だと?」
金田の声が低く響く。助手席で資料を握りしめる手に力が入っている。
寛治の胸に、嫌な冷たさが流れた。
(まさか……
じゃあ、竜司の部屋で焼けていたあの死体は……別の人間……?)
喉の奥がひゅっと鳴る。
焦りがこみあげ、寛治はアクセルを少し踏み込む。
パトカーは、法定速度ぎりぎりを越えるスピードで江口良子の家へと走り出す。




