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佐伯竜司の部屋に、黒焦げの死体が見つかった――。

 夜明け前の薄暗いアパートの前には、すでに捜査員と報道陣が集まり始め、

 現場は異様な熱気と緊張に包まれていた。


 規制線の外では、報道記者がマイクを突き出し、

 野次馬たちがスマホを掲げて騒いでいる。

 生活安全課の北村と新田は、慌ただしくその対応に追われていた。


 「おい下がって! はい、取材は後で! テープの中には入らない!」

 北村が怒鳴り、汗をぬぐう。

 そんなとき――


 黄色い規制テープを、堂々とめくり上げて中へ入ろうとする影があった。

 小柄な少年。年の頃は十四、五に見える。

 落ち着いた足取りで進み出ると、新田が慌てて腕を伸ばした。


 「こらこら、君! ここは立入禁止だよ!」


 その瞬間、少年は新田の手をバシィと払いのけた。

 細い腕とは思えない鋭い動き。


 「特殊課の金田一無かねだ・かずむだ。

  邪魔だから退いてくれる?」


 新田は目を丸くした。

 少年の手には、きらりと光る警察手帳。

 だがどう見ても制服を着た中学生にしか見えない。


 帽子はディアストーカー、

 黒いインバネスコートに身を包み、

 右目だけが鋭く光っていた。

 まるで――ちびっ子探偵のような出で立ちだが、

その視線の奥には老練な刑事の目が光っていた。


 「いやいや、駄目だって。どう見ても子供――」


 言い終わる前に、背後から低い声が割り込んだ。


 「やっぱり止められてるか。一無ちゃん、だから言ったろ?」


 振り向くと、そこには白衣を羽織った長身の男が立っていた。

 白衣の下には黒のスーツ、無精髭に優しげな目元。

 まるで研究者のような風貌だ。


 「この子、見た目こんなんですけど――いっぱしの刑事ですよ」

 男は柔らかく笑い、新田の前に警察手帳を掲げた。


 「特務課の御堂みどう弥勒みろくです。

  特殊案件で来てます。通してください」


 「だれが“この子”だ!」

 一無が弥勒の背中を小突いた。


 「はいはい、あとでね。一無ちゃん、行こうか」

弥勒は新田に「ご苦労様」と優しく肩を掛ける。


 「“ちゃん”言うな! 子供扱いすんなっての!」


 口を尖らせながらも、一無は弥勒を追い越して現場へ向かう。

 「お前の足が遅いから、こうなんだよ」

 「はいはい、了解了解」

ポカーンと二人を新田は見つめていた。


 そんな軽口を交わしながら、二人は焼け焦げた臭いのするドアの奥――

 佐伯竜司の部屋へと足を踏み入れた。


竜司の部屋に入った一無と弥勒は、

生活安全課の主任・吉田と発見者の前田が、

一課の南雲と話し込んでいるところに出くわした。


 現場はすでに規制線が張られ、

廊下の空気には焦げた臭いと緊張が混じっている。


 「現場は荒らしてないよな?」

 南雲が確認すると、前田が慌てて答えた。

 「はい、極力荒らしてません」


 南雲が淡々と当時の状況を聞き出すその背後から、小柄な影一無が近づく。

 少年の声が落ち着いた調子で響いた。

 「なんかわかったのか?」


 南雲が振り返り、一瞬きょとんとする。

 「……金田さん!? どうしてここに?」


 驚きながらも、どこか敬意のこもった声音だった。

 金田一無――A県警で数々の難事件を解決した伝説の刑事。

 その名を知らぬ者はいない。

 彼はとある事件で若返り、今は“特殊課”に籍を置いているが、

見た目が若すぎて誰も最初は信じない。


 南雲も、目の前の“少年”がかつての恩師だという現実にまだ馴染めずにいた。


 「まぁいろいろあってな。お前もすっかり一課の顔になったじゃねぇか」

 一無は口元を歪めて、古い友人を見るように笑う。


 吉田と前田は“伝説の刑事”が本当に目の前にいるのかと固まっていた。

 (あれが……金田一無……?)

 早乙女が小声でつぶやき、南雲が小さく頷く。


 「死体は?」

 一無の問いに、南雲が顔を引き締めて答える。

 「浴室にあります。結構、グロいですよ」


 その言葉を聞くなり、隣で待ちきれなかった弥勒が目を輝かせる。

 「浴室か、いいねぇ。血液の流れ方が見やすい」

 南雲が止める間もなく、

白衣をひるがえしながら弥勒は勢いよく浴室へ駆け出した。


 「おい弥勒! 勝手に行くな!」

 一無が小さな体で追いかける。


 興奮の冷めやらぬ弥勒が、

慌ててラテックス手袋をはめながら浴室の扉を開け放つ。


 その瞬間、焦げと薬品の混じった異臭が一気にあふれ出した。


 「……おお、これは……」

 低く唸るように声を漏らす。

 白衣の裾が焦げた空気をはらみ、弥勒の目が獲物を見つけた獣のように輝いた。


 浴室の中央には、黒く炭化した“人型”が残っていた。

 体表は完全に焼損し、皮膚も衣服も識別不能。

 筋繊維が収縮して関節が不自然に反り返り、いわゆる“焼死体特有のボクサー姿勢”を呈している。

 浴槽の縁は熱変形を起こし、プラスチック素材が波打つように融解していた。


 「ほう……炭化層が薄い。表面温度はせいぜい一千度前後か。

  ガソリン系の加速剤でも使ったかと思ったが、

それにしては燃焼域が局所的すぎる……」

 弥勒は身をかがめ、焦げ跡の縁を指先でなぞる。

 灰を指に取り、匂いを嗅ぎ、口角を上げた。


 「……金属酸化物の臭いがしない。酸化炎じゃないな。

これは――純粋な“燃焼痕”じゃない」


 一無が眉をひそめる。

 「何言ってやがる、弥勒。燃焼痕が燃焼じゃないって?」


 弥勒は返事もせず、視線を床へ落とす。

 浴室のタイルに黒く焼き付いた奇妙な模様が浮かび上がっていた。


 焦げ跡は、偶然とは思えないほど幾何的に整った円形を描いている。

 外周には、まるで炎の舌が這い回ったような痕跡。

 そして、円の中心――そこには“双角”を象った記号が、黒く焼き付いていた。


 「……見ろ、一無ちゃん。

  熱源は一点集中してる。

  まるで“上から降った火”だ」


 弥勒は静かに笑った。

 「重力方向と逆。炎が上がったのではなく、“落ちた”……

  まるで、儀式的な――そう、“召喚痕”のようだね」


 一無が呆れたように頭をかく。

 「また始まったよ、死体マニアのオカルト講義か」


 だが、弥勒の目は真剣だった。

 その視線の先、黒く焼け焦げた人影は――

まるで“燃やされた”というより、“存在を焼き消された”ように見えた。


 弥勒は焼死体の前で夢中になっていた。

 「この炭化層の均一性……美しい。まるで自らを焼いたかのようだ」

 検察官が制止に入るが、彼は止まらない。

 「ほら、見てください。この皮下脂肪の流れ。通常の発火では起こりえない」

 弥勒の声はどこか愉悦を帯びていた。


 そんな異様な空気に一無は肩を落とす。

 「まったく……死体と話すのは刑事の仕事かよ」

 少年のような顔に似合わぬ、深い溜息をつく。


 若返ったとはいえ、中身は75歳の老刑事――

 彼の目は飽くまで老練な捜査官のそれだった。


 浴室を離れ、リビングへと足を向ける。

 焦げの臭いと、焼けたプラスチックの甘い匂いがまだ漂っている。

 荒れた室内。割れた灰皿、転がる酒瓶。

 その中で、一無の視線がふと止まった。


 テーブルの上――

 一台のスマートフォンが微かな光を放っていた。

 液晶はまだ点いたままで、

 通知のトーク欄が開かれている。


 最後のメッセージにはこうあった。


 〈K-LOOP集合。〉


 一無は目を細める。

 「……LINEの未送信か。つまり、死ぬ直前に打とうとした?」

 独り言のように呟きながら、

 彼はスマホの画面を注意深く覗き込む。


 その時、背後から吉田の声が響いた。

 「袋君? 今どこにいる?……何? カラオケ屋? K-LOOP?

  今すぐ署に戻りたまえ。――事件の参考人??」


 一無の耳がぴくりと動いた。

 そして、ゆっくりと顔を上げる。

 その眼光は、まるで獲物を見つけた古狼のように鋭い。


 「吉田、だったな?」


 「え、ああ……そうですが」


 「その“袋”ってやつ――今すぐ行くぞ。

  中央区の裏通り、雑居ビルの三階だろう」


 吉田が驚いて聞き返すより早く、

 一無はくるりと背を向けて歩き出した。


黒いインバネスコートが揺れる

 「弥勒は放っとけ。死体が喋るまで動かん」

 振り向かずに言い捨て、

 玄関口でディアストーカーのツバを鳴らす。


 「……臭うな」

 幼い声に、年老いた鋭さが滲む

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