11
佐伯竜司の部屋に、黒焦げの死体が見つかった――。
夜明け前の薄暗いアパートの前には、すでに捜査員と報道陣が集まり始め、
現場は異様な熱気と緊張に包まれていた。
規制線の外では、報道記者がマイクを突き出し、
野次馬たちがスマホを掲げて騒いでいる。
生活安全課の北村と新田は、慌ただしくその対応に追われていた。
「おい下がって! はい、取材は後で! テープの中には入らない!」
北村が怒鳴り、汗をぬぐう。
そんなとき――
黄色い規制テープを、堂々とめくり上げて中へ入ろうとする影があった。
小柄な少年。年の頃は十四、五に見える。
落ち着いた足取りで進み出ると、新田が慌てて腕を伸ばした。
「こらこら、君! ここは立入禁止だよ!」
その瞬間、少年は新田の手をバシィと払いのけた。
細い腕とは思えない鋭い動き。
「特殊課の金田一無だ。
邪魔だから退いてくれる?」
新田は目を丸くした。
少年の手には、きらりと光る警察手帳。
だがどう見ても制服を着た中学生にしか見えない。
帽子はディアストーカー、
黒いインバネスコートに身を包み、
右目だけが鋭く光っていた。
まるで――ちびっ子探偵のような出で立ちだが、
その視線の奥には老練な刑事の目が光っていた。
「いやいや、駄目だって。どう見ても子供――」
言い終わる前に、背後から低い声が割り込んだ。
「やっぱり止められてるか。一無ちゃん、だから言ったろ?」
振り向くと、そこには白衣を羽織った長身の男が立っていた。
白衣の下には黒のスーツ、無精髭に優しげな目元。
まるで研究者のような風貌だ。
「この子、見た目こんなんですけど――いっぱしの刑事ですよ」
男は柔らかく笑い、新田の前に警察手帳を掲げた。
「特務課の御堂弥勒です。
特殊案件で来てます。通してください」
「だれが“この子”だ!」
一無が弥勒の背中を小突いた。
「はいはい、あとでね。一無ちゃん、行こうか」
弥勒は新田に「ご苦労様」と優しく肩を掛ける。
「“ちゃん”言うな! 子供扱いすんなっての!」
口を尖らせながらも、一無は弥勒を追い越して現場へ向かう。
「お前の足が遅いから、こうなんだよ」
「はいはい、了解了解」
ポカーンと二人を新田は見つめていた。
そんな軽口を交わしながら、二人は焼け焦げた臭いのするドアの奥――
佐伯竜司の部屋へと足を踏み入れた。
竜司の部屋に入った一無と弥勒は、
生活安全課の主任・吉田と発見者の前田が、
一課の南雲と話し込んでいるところに出くわした。
現場はすでに規制線が張られ、
廊下の空気には焦げた臭いと緊張が混じっている。
「現場は荒らしてないよな?」
南雲が確認すると、前田が慌てて答えた。
「はい、極力荒らしてません」
南雲が淡々と当時の状況を聞き出すその背後から、小柄な影一無が近づく。
少年の声が落ち着いた調子で響いた。
「なんかわかったのか?」
南雲が振り返り、一瞬きょとんとする。
「……金田さん!? どうしてここに?」
驚きながらも、どこか敬意のこもった声音だった。
金田一無――A県警で数々の難事件を解決した伝説の刑事。
その名を知らぬ者はいない。
彼はとある事件で若返り、今は“特殊課”に籍を置いているが、
見た目が若すぎて誰も最初は信じない。
南雲も、目の前の“少年”がかつての恩師だという現実にまだ馴染めずにいた。
「まぁいろいろあってな。お前もすっかり一課の顔になったじゃねぇか」
一無は口元を歪めて、古い友人を見るように笑う。
吉田と前田は“伝説の刑事”が本当に目の前にいるのかと固まっていた。
(あれが……金田一無……?)
早乙女が小声でつぶやき、南雲が小さく頷く。
「死体は?」
一無の問いに、南雲が顔を引き締めて答える。
「浴室にあります。結構、グロいですよ」
その言葉を聞くなり、隣で待ちきれなかった弥勒が目を輝かせる。
「浴室か、いいねぇ。血液の流れ方が見やすい」
南雲が止める間もなく、
白衣をひるがえしながら弥勒は勢いよく浴室へ駆け出した。
「おい弥勒! 勝手に行くな!」
一無が小さな体で追いかける。
興奮の冷めやらぬ弥勒が、
慌ててラテックス手袋をはめながら浴室の扉を開け放つ。
その瞬間、焦げと薬品の混じった異臭が一気にあふれ出した。
「……おお、これは……」
低く唸るように声を漏らす。
白衣の裾が焦げた空気をはらみ、弥勒の目が獲物を見つけた獣のように輝いた。
浴室の中央には、黒く炭化した“人型”が残っていた。
体表は完全に焼損し、皮膚も衣服も識別不能。
筋繊維が収縮して関節が不自然に反り返り、いわゆる“焼死体特有のボクサー姿勢”を呈している。
浴槽の縁は熱変形を起こし、プラスチック素材が波打つように融解していた。
「ほう……炭化層が薄い。表面温度はせいぜい一千度前後か。
ガソリン系の加速剤でも使ったかと思ったが、
それにしては燃焼域が局所的すぎる……」
弥勒は身をかがめ、焦げ跡の縁を指先でなぞる。
灰を指に取り、匂いを嗅ぎ、口角を上げた。
「……金属酸化物の臭いがしない。酸化炎じゃないな。
これは――純粋な“燃焼痕”じゃない」
一無が眉をひそめる。
「何言ってやがる、弥勒。燃焼痕が燃焼じゃないって?」
弥勒は返事もせず、視線を床へ落とす。
浴室のタイルに黒く焼き付いた奇妙な模様が浮かび上がっていた。
焦げ跡は、偶然とは思えないほど幾何的に整った円形を描いている。
外周には、まるで炎の舌が這い回ったような痕跡。
そして、円の中心――そこには“双角”を象った記号が、黒く焼き付いていた。
「……見ろ、一無ちゃん。
熱源は一点集中してる。
まるで“上から降った火”だ」
弥勒は静かに笑った。
「重力方向と逆。炎が上がったのではなく、“落ちた”……
まるで、儀式的な――そう、“召喚痕”のようだね」
一無が呆れたように頭をかく。
「また始まったよ、死体マニアのオカルト講義か」
だが、弥勒の目は真剣だった。
その視線の先、黒く焼け焦げた人影は――
まるで“燃やされた”というより、“存在を焼き消された”ように見えた。
弥勒は焼死体の前で夢中になっていた。
「この炭化層の均一性……美しい。まるで自らを焼いたかのようだ」
検察官が制止に入るが、彼は止まらない。
「ほら、見てください。この皮下脂肪の流れ。通常の発火では起こりえない」
弥勒の声はどこか愉悦を帯びていた。
そんな異様な空気に一無は肩を落とす。
「まったく……死体と話すのは刑事の仕事かよ」
少年のような顔に似合わぬ、深い溜息をつく。
若返ったとはいえ、中身は75歳の老刑事――
彼の目は飽くまで老練な捜査官のそれだった。
浴室を離れ、リビングへと足を向ける。
焦げの臭いと、焼けたプラスチックの甘い匂いがまだ漂っている。
荒れた室内。割れた灰皿、転がる酒瓶。
その中で、一無の視線がふと止まった。
テーブルの上――
一台のスマートフォンが微かな光を放っていた。
液晶はまだ点いたままで、
通知のトーク欄が開かれている。
最後のメッセージにはこうあった。
〈K-LOOP集合。〉
一無は目を細める。
「……LINEの未送信か。つまり、死ぬ直前に打とうとした?」
独り言のように呟きながら、
彼はスマホの画面を注意深く覗き込む。
その時、背後から吉田の声が響いた。
「袋君? 今どこにいる?……何? カラオケ屋? K-LOOP?
今すぐ署に戻りたまえ。――事件の参考人??」
一無の耳がぴくりと動いた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
その眼光は、まるで獲物を見つけた古狼のように鋭い。
「吉田、だったな?」
「え、ああ……そうですが」
「その“袋”ってやつ――今すぐ行くぞ。
中央区の裏通り、雑居ビルの三階だろう」
吉田が驚いて聞き返すより早く、
一無はくるりと背を向けて歩き出した。
黒いインバネスコートが揺れる
「弥勒は放っとけ。死体が喋るまで動かん」
振り向かずに言い捨て、
玄関口でディアストーカーのツバを鳴らす。
「……臭うな」
幼い声に、年老いた鋭さが滲む




