無駄
「努力なんてどうせ無駄になる」これは、俺が今までの人生で得た教訓と言ってもいい。でも、若かりし頃の俺は、そんなことを信じるわけもなく、目標に向かってひたすら精進を続けてきた。頭のどこかで、絶対になんとかなると思い続けてきた。
結局、その努力は報われることはなかった。学生時代、恋愛、受験勉強、部活。あの戦場で俺は全て負けた。その後、俺は負け犬として過ごす羽目になった、
そんな日々を過ごしていたからだろうか、俺は努力をやめた。これと言ったきっかけがあったわけでもない、ふと無駄に感じたからだ。今までつぎ込んできた時間も、大切にしていたその時の熱意も、物も、無駄になったからだ。
そこから、俺の人生はだいぶ楽になった。解放された感覚だった。日々をただ生きることだけに注いで、この世界で生き抜くことだけを考えた。趣味も無い、友達と飲みに行くことも無い、けど楽だ。本当に楽だ。
そうして今までを過ごしていた俺も、社会を支える立場となった。やる気のない俺を拾ってくれる会社は少なかったが、何とかそれなりの会社に就職することはできた。自分でも正直驚いている。名づけるなら、怠け者の奇跡だな。
その会社で働いているうちに、新たな社員がここに入社する時期がやってきた。休日なんてスマホを眺めて終わるような生活をしていた俺にとって、些細な楽しみでもあった。そして、新たに配属された俺の部下は
「本日からお世話になります! 佐々木と申します!」
やる気の権化みたいな奴だった。初めてみた時、姿、形、声のどれもまるで違うが、昔の自分を見ているようだった。
俺はそんな彼に仕事を教えないといけなくなった。でも実際は、最低限のことだけを教えて放置していても問題ないほど。これも全部佐々木の飲み込みが早いおかげだった。
そんなある日、風の噂で佐々木が昇級したと聞いた。その話が本当なら、次から俺は佐々木の部下ということになる。だからと言って、俺が悔しいと思うかと言えば、そんなことは全くないが。
そんな話なんかすぐに忘れて、いつものように適当に仕事をこなしていると、時計の針が二つとも真上を指した。昼飯を食う気力もないから、一服しようと屋上に向かった。喫煙所もないこのビルで一服できる唯一の場所、それが屋上だ。
「あいつ、すげぇよな」
ふと漏れた独り言。誰にも聞かれることのない独り言。煙草の先から上っていく煙が、俺の思いを代弁しているかのように思えた。二本目を吸おうとした時、後ろから扉が開かれる音が鳴った。
そこには多分、ここにいるべきでは無い男がいた。
「佐々木か」
「あ、お疲れ様です」
「お前も、一本どうだ?」
「遠慮しておきます、妻がいるので」
ここで一服する仲間を見つけたと思ったのだが、勘違いみたいだった。断る理由がいかにも佐々木らしい。
彼と話す話題を探すことも面倒で、黙々と吸っているとふと気になったことがあった。
「佐々木って、そこまで努力するんだ?」
「え、俺ですか?」
きっと、親からの教えが良かったとか、環境が良かったとか、友達みんなが努力していたから、とか言うんだろうな。分かっていることなんだけど、こんな奴に聞く機会なんて中々ない。単なる好奇心だった。
俺の単純な問いに、佐々木はずいぶん深く考えているようだった。そして数分が過ぎ、やっと佐々木は答えてくれた。
「努力は必ず報われるって言う嘘を、本当にしてやりたいと思ったからです」
「え?」
彼の口から言ったことが、信じられなかった。普通逆だろう。その迷信を信じるものじゃないのか?
「あんな嘘を信じている奴が大量にいるせいで、不幸になった奴のなんと多いことか」
一字一句の狂いもなく自分のことを言われているようで、返す言葉が見当たらなかった。哀れみの目を空に向けながら、話を続ける佐々木。
「だから、俺がその反証になってやりたいって、そう思ったんです」
「……」
そのまっすぐな目は、澄んでいた。燃えていたといった方が正しいかもしれない。きっと彼もまた、そのジンクスに騙された者なのだろう。
「そろそろ、戻りますね」
「......おう」
「こんな話聞いてくれて、ありがとうございました」
俺にそう言い残すと、颯爽とその場を後にしようとした。俺は咄嗟に呼び止めた。
「なぁ、佐々木」
「はい」
「頑張れよ」
俺にもそう言ってくれる誰かがいたら、何か違ってたのかもしれない。