所属球団の幹部の話①
「失礼いたします」
私は社長室に足を踏み入れた。といっても、そこは普段ほとんど使われず、話があるときに呼ばれるのが主な部屋である。
「ご用件は……プロ野球のことについてでしょうか?」
「お、さすが、ってか、わかるよな」
我が社の社長である藤野将克はニヤリと笑った。
「まあ、座れよ」
促されてソファーに腰を下ろし、私たちはローテーブルを挟んで向かい合う状態になった。
「どう思った? 最初にそれを聞いたとき」
「意外でした」
彼がプロ野球経営に乗りだすと社内で明言した際に真っ先に頭に浮かんだのは、まさに「意外」の一言だった。
「私に限ったことではないと思いますけれども」
そう私は付け加えた。
藤野は、一般的にへそ曲がりやあまのじゃくと評される性格で、とにかく他人と同じなんてつまらない、誰もやってないことをやりたい、皆が追随してきたなら方向転換するぞ、という性分である。経営者なのだから当然との見方もできるが、トップはリスクを抱える立場ゆえに保守的な面も持ち合わせているのが普通だろう。しかし、この人は本当に横並びや前例踏襲を嫌う。
うちはIT企業で、現在のプロ野球の親会社で、珍しいどころか一番多い業種だ。名乗りをあげるのが初というなら理解できるけれど、「どうして?」と社員全員が思ったに違いない。スポーツが好きなのは周知の事実だから、前に所有していた会社が撤退して訪れた、球団が手に入るチャンスに目がくらんだのではと言った者がいたが、私もそれくらいの理由しか考えつかない。
「もちろん、俺がやるからには、他と足並みを揃えるようなことはしねえよ。ずっと歯がゆかったんだよな、傍で見てて、プロ野球の経営のやり方が。『なんでこうしねえの?』って」
「例えば、どういった点がお気に召さなかったのでしょう?」
「まず、単純にもっと儲けられるだろうってのがある。一昔前は、一部の球団を除けばどこも赤字で、そこまでではないにしろ、今も赤字のところはいくつもある。本業の宣伝が目的だから構わないって意識なのかもしれないが、稼げるとこは稼げるようにしなきゃビジネスなんて面白くねえよ。で、『お前、誰?』って選手が億もらったりしてるんだ。年棒が高過ぎんだよ、世間の基準と照らし合わせて。適正な金額にして、文句を言う奴はトレードに出しちまえばいい」
これを聞けば、確かにプロ野球選手がもらうお金は一般人には破格と言えるだけに「賛成」と拍手をする人もいるだろうけれど、「こいつは乱暴な男だ」と見なす人がかなりの数に上るに違いない。しかし、そんなに簡単ではない。彼は会社がもし経営危機に陥っても絶対にリストラはしないと宣言している。そういう状況を招いたのは自分たち上層部の人間なのに、下の首を切るのはおかしいからだそうだ。今だって、ただ「年棒を下げる」ではなく「適正な金額」という表現をするし、文句を言う奴は「戦力外にする」でもいいところを「トレードに出す」なのである。けれども、だから実は優しいんだとも言いきれない。人間というのは多面的なので特別ではないのかもしれないが、つかみどころがないのだ。
昔は悪かっただろうと思わせる不良っぽい見た目や、堂々とし過ぎているとも言える態度に、強気な仕事のやり方などからくる横暴なイメージに加え、そういう理解が難しい部分もあって、他の幹部たちは皆、当たり障りのないことを言ったり、機嫌を取ろうとしたり、薄いバリアを張ったような遠慮がちな接し方をする。
一方、言葉遣いこそ丁寧にしているけれど、私は素直に自分の思ったままを口にしている。私だって、どこに潜んでいるかわからない彼の地雷を踏んだりしたらどうしようという気持ちは抱えている。でも、仕事でエネルギーが要るのに、そこに神経を山ほど使うのは生産的ではないと判断して、あるときから正直に振る舞うことに決めたのである。それが良かったのだ。藤野が、女性だからなんかは一切なく、本音を聞かせてくれるというポイントで私を気に入っているのは間違いない。
「ですが、もし実際に主力選手を、それも場合によっては何人も、放出となったならば、勝敗に影響が出るのではありませんか? もちろんチームが強い弱いとビジネス的にプラスかマイナスかは別でしょう。しかし、儲かっているから最下位でもよいと考える方では、社長はないと私は思っておりますけれども?」
スポーツ好き、それに、勝気な性格という観点でも。
「ああ、その通り。選手の給料を抑えるだけしていたら、ファンに愛想を尽かされて、経営面でもマイナスになるだろうしな。ところが、そんなに高給取りの選手がいないのに優勝をかっさらっちまったら、どうだ? すげえってなるだろう? 大物をFAなんかでたくさん獲って勝ったって、面白くともなんともねえ。その、誰もが無理だと考えている優勝を実現するんだよ」
「できますか? 難しいと思いますが」
「できる」
「……」
すごい自信だ。この人はうぬぼれ屋ではない。冷静に聞いていたこの話に、興味をかき立てられた。