熱烈なファンの話⑥
「フー」
危なかった……。九回の表、三塁までランナーを進められ、駄目押し点を取られそうだったが、この回から登板のロケッツのストッパーの小野がなんとか失点を防いだ。よかったけれど、心臓に悪いから、いや、それよりも、また鼻血ブーになるから、ビシッと抑えてよ。
そうして、一対二の一点ビハインドで、九回裏のロケッツの攻撃を残すのみとなった。といっても、同点に追いついた場合は延長戦になるが。
ベアーズは、あと二球で球数が百二十に達するというのに、六車が引き続きマウンドに上がった。この重要な試合、初回から飛ばしていたであろうことを考えると、疲れはもっとあるに違いないというのにだ。
ベアーズのリリーフ陣は、チームが首位にいるだけあって素晴らしい投球をしてきたピッチャーが多いものの、疲労が原因か、シーズンの後半戦は全体的に調子が良くない。最近は持ち直してきているが、安定感に欠けるから、それが投手交代をしない一番の理由だろうけれども、六車が志願したのもあるかもしれない。元々タフで完投が多いし、まだまだ気合十分といった様子からも、自分が胴上げ投手になるんだと思いそうな性格的にも、そんな感じがする。
負けないでよ、ロケッツ! この男からの今年初めての勝利が、優勝を決める一勝となる。最高のシナリオで、文句ないチャンピオンになるところを、一年間応援し続けてきたご褒美として、どうか見せて!
「よし!」
ロケッツのこの回先頭バッターの成海が、フォアボールをもぎ取った。ガッツポーズをして一塁へ向かう。
成海は四番ゆえホームランがあるから警戒したのと、ファウルで粘られたのも大きいが、六車があと三人で優勝というので力んでしまったのもあるんじゃないだろうか。エースとはいえ、あの男も四年目の若手なのだ。何にしろ、ノーアウトランナー一塁のチャンスである。
そして成海の代走で、チームトップの俊足の松沢がベンチから出てきた。ロケッツサイドの応援がまた熱を帯びる。
その観客たちに背中を押されたように、五番バッターの綿引が、クリーンアップなので普段ほとんどしないバントをきっちり決め、松沢がスコアリングポジションの二塁に進んだ。
続く六番は、ベテランの石黒だ。勝負強く、球団で最年長の選手とはいえまだ三十代で、ピーク時よりは減ったけれども今年もホームランを十七本放つなど、長打力がある打者である。
彼なら逆転サヨナラホームランを打つのだってなくはないし、たとえ単打でも足の速いランナーが二塁にいるから同点になる確率は高い。そうなったら、さすがに六車は降板するだろう。最強のピッチャーがいなくなり、勢いやロケッツのホームであることなども加味すれば、この回が同点止まりで終わったとしても、追いつくことさえできれば、優勝は手にしたも同然くらいの有利な状況となるのじゃなかろうか。要するに、ここで一点が入るか入らないかで勝敗が決まる可能性が大だ。
だから、頼むよ、石黒ちゃん! いや、石黒さま!
わっ。
一塁が空いているが、逆転のランナーになるから敬遠はしないだろうと思っていたら、その通り普通にバッター付近へ投じられた初球を、なんとなんと石黒がバントした。送りバントではなく、自分も生きようというセーフティバントだ。圭吾くんは足が速いほうである一方で、石黒は盗塁が年間で一個か二個くらいと遅いから、圭吾くんよりも驚きの行動である。
そして肝心のボールは、出塁に成功した七回の圭吾くんのときと同じコースをたどってるんじゃないかと感じるほどで、つまりは石黒でもセーフになる見込みが十分な、良い位置に転がった。
げっ。
さっき圭吾くんにしてやられた六車は、他の選手もしてくることがあり得ると、その奇襲を警戒していたのかもしれない。またしても三塁手が処理するようなボールを自ら、ダッシュしてきて素早く、それも素手でつかみ、今度はしっかりと一塁へ送球してアウトにした。
「あー」
ワンアウト三塁・一塁と、ツーアウト三塁では全然違う……。
でーも、でもでも、ネクストバッターは圭吾くんだ!
何でもいい。ボテボテの内野安打でもいいからランナーが還って同点に追いつけば、ロケッツの勝利が見えてくる。
お願い、神様! 彼を、相手の優勝が決まる最後のバッターになんてさせないで! お願いします!
「ええ!」
祈るので目をつぶって、再び一瞬グラウンドから視線を外し、まぶたを開けて、びっくりした。先ほどのは六車を混乱させるためだったのであろう本来とは異なる左打席に、圭吾くんはこの場面でも立ったのだ。
?????
球場じゅうもその驚きで、九回の土壇場、それにホームチームであるロケッツのチャンスということで興奮状態だったが、一層異様な雰囲気になった。
おそらく、圭吾くんは六車を怒らせてストレートを投げさせる狙いなのだ。さっきのバントもそうなったし、球種がわかれば打てる確率は上がる。
そのように私が考えた直後の初球——。
!
私はこのときのことを一生忘れないだろう。
「うそ……」
鼻血で鼻の穴に詰めていたティッシュが、瞬間的に荒くなった鼻息で、飛び出た。もう血はとっくに止まっていたから問題はないが。
圭吾くんが打ち返したボールは、チームの愛称のロケットのような勢いで、バックスクリーンに到達した。




