母親の話②
「まだがんかも、症状が軽いか重いかも、わからないけれど、事故とか別の原因で早く亡くなる可能性だってあるし、お母さんが死んだときのために、あなたに伝えておきたいことを今から言うから、よく聞きなさい」
私の真剣な雰囲気を感じ取ったのだろう、圭吾は涙を流し続けながらも、黙って聴く体勢になった。
「まず、できるだけ人の悪口を言わないようになりなさい。意地悪な人もいるし、嫌だなと思う人がいるのはしょうがない。誰も聞いてないところで不満を口にするくらいのことも許す。でも、みんな必死で生きてるんだから、馬鹿にしたり見下したりしちゃ絶対に駄目。いい?」
圭吾はうなずいた。
「それから、そうやってすぐに泣かないで、もっと笑いなさい。せっかく生まれたんだから、人生楽しまなきゃ損よ。今つらいことも時間が経てばだいたいは良い思い出になるものだし、そもそも良いも悪いも自分の受け取り方次第な場合が多いんだから、前向きに考えて生きるの。わかった?」
「……うん」
あの子はまた首を縦に振った。
少しして、私のその病は良性で、命に別状はないし、障害が残ったりもしないとわかったのだが、あのとき圭吾にかけた言葉は良くなかったかもと思うようになった。というのも、あれ以来、あの子は明るくなり、弱さが見られなくなったのだけれど、例えば神様に、私に言われた通りにするから死なせないでと願い、それが叶ったかたちになったためで、無理して陽気に振る舞っているだけなんじゃないか、つらいときには泣いたっていいはずだ、と。
すぐ後に圭吾に当たっているか訊いた際は、「違うよ。無理なんてしていない」との返事だった。
しかし、私に気を遣って正直に答えていないんじゃないかと、長らく引っかかっていたのである。
それが、北信越ロケッツへの入団後、私の心のトゲに気づいたのか、あの子は言ってくれたのだ。
「確かに、言われた当初は、つらいことに対して我慢したところもあったよ。だけど、素直に、前向きに生きよう、人生を楽しもうとしたパーセンテージのほうが断然多くて、その通りできるようになっていったんだ。あの言葉をくれた母さんには感謝してるんだから、過ちを犯してしまったように思うのは終わりにしてよ。母さんこそ、人生を楽しんで。お願いだからさ」
私も圭吾のことを弱いなどとはとても言えたものではない。昔やっていたソフトボールで、もう少しでなれたオリンピックの代表は、技術面以上に、精神がもっとタフだったらメンバー入りは夢ではなかったし、親ゆえに心配なのは当然としても、息子が厳しいプロ野球の世界に飛び込んだことは、私にとって、不安がとても大きく、心を暗くするくらいの出来事だった。
けれど、この息子の言葉によって、だいぶリラックスして試合を観られるようになったのである。
口に出したら親バカな発言となるのだろうが、私なんかにはもったいない、素晴らしい子だ。
ありがとう、圭吾。
お世話になっている方々やファンの方々への感謝はもちろん必要だけれども、その人たちに喜んでもらうためばかりでなく、もう少し自分のため、あなたのやりたいようにしてもいい。
野球を楽しんで、頑張ってね。




