母親の話①
私の息子の圭吾は、朗らかで、動揺したりする姿をほとんど見せないので、今までの人生で関わったかなりの割合の方に、メンタルが強いと思われているのだろう。実際に、私は幾度か、精神面が安定していてうらやましいといったお褒めの言葉をいただいた経験がある。
けれど、それは正しくない。
もしも私があの子の自慢をするとなったならば、真っ先に挙げる長所は、優しいところだ。
野球のプレースタイルが派手と評されるものであるのは、観客や視聴者の皆さんに喜んでもらいたいからだと本人が明言しているが、ホームランやヒットなどの通常の結果に関しても、応援してくださる方々の期待に応えたいという要素がおそらく大きくて、それが実現できるだけの能力を運良く持ち合わせていたという好循環でずっときているのだと思う。
別のスポーツではなく、野球をチョイスしてやり始めたのにしても、普通に好きで、他のどの競技よりも楽しかったからという部分ももちろんあろうけれども、若い頃に、夫は野球、私は近い競技のソフトボールをずっとやっていて、プロ野球や高校野球などを観戦するのも好きで熱心にしていたので、私たち両親が嬉しいだろうと考えたのもあった気がする。
圭吾が精神的に強くないとどうして言えるのかというと、幼少期はとてもよく泣く子だったのだ。感動してというのではなく、子どもらしいおびえなどによって。成長とともに涙を流すことはなくなっても、三つ子の魂百までと言うように、根本はそんなに変わらないのではと思う。
同じように泣き虫な子は、大概が、徐々に涙する頻度が減っていって、最終的にほとんど泣かなくなったりするものであろうが、あの子は泣くのと泣かなくなったのの境目がはっきりしている。
あれは、圭吾が小学校に上がって間もない頃。私が、もしかしたらがん、それも重篤な病状かもしれないという状況に直面したときがあり、総合病院で精密検査を受け、結果を待っていた。
「お母さん、やだよ。死んだらやだよ」
伏せていたのに、病気のことが耳に入ってしまい、あの子はそうくり返して激しく泣いた。
「まだがんかどうかもわからないんだよ」
私と夫が何度言っても駄目だった。このとき泣きやまなかったことについては仕方がないだろう。親がそんな状態だったら、たとえ大人、それも強い人だって、不安を抑えるのは難しい。
それでも安心させようと努めたが、ふと気づいた。
大丈夫だと思わせることを私は言っているけれど、やっぱりがんで、しかも末期だったりしたら?
私は考えて、そうなった場合に備え、次のように声をかけた。
 




