表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/48

敵チームのエースピッチャーの話③

「幼い頃に、憧れたり、大きく影響を受けた選手はいらっしゃいますでしょうか? いれば、どなたでしょうか?」

 インタビューで質問された杉森は、こう答えたのである。

「いますが、すみません、野球ではなくて、別のスポーツの方なんです」

「え? そうですか……ちなみに、その方が誰なのか、教えていただいてよろしいでしょうか?」

「ボクシングの柘植選手です」

「野球でないばかりか、球技でさえないんですね。しかも格闘技とは。ただ、なるほど、私は納得です。若い世代だと柘植選手に関してさっぱりわからないという方が多いかもしれませんけれども、お二方ともに、ファンを喜ばせる、魅せるプレースタイルが共通していますよね」

「あの有名な神崎選手との世界チャンピオンをかけた一戦は、私はまだ幼かったので、うっすらとしか覚えていないのですが、柘植選手の戦う姿を食い入るように観ていたと父に何度も聞かされましたし、その後の試合は両親のおかげでたくさん目にすることができまして、今VTRで観ても当時と変わらずワクワクしてしまうくらいに柘植選手が好きなんです。それは私に限ったことではないでしょうし、今の子どもたちでも目にすればファンになってしまうのは一人や二人では済まないのではと思うほどに柘植選手のファイトは素晴らしいですよね。私が最も影響を与えられたスポーツ選手と言って間違いありません。野球界の先輩方にも、『野球選手の誰だろう?』と答えを期待された方にも、非常に申し訳ないのですが」

 柘植——にっくきあのボクサーの名を、自分が相対する野球人から聞くことになろうとは。

 あいつと俺の親父との、日本じゅうが注目したと言っていい世紀の一戦。国内で行われながら、試合前の空気にしても、当日のリングを取り囲んだ観客たちも、大多数が柘植のほうを応援するという完全アウェー状態のなか、負けることなく親父は勝利をつかみ取った。

 なのに、世間もマスコミも、「内容は完全に上回っていた」「本当の勝者は彼だ」などと敗れた柘植を絶賛して英雄視し、一方の親父は、まるで犯罪でも犯したかのような扱いをされまくった。やれ「くそつまらない戦い方」だの、「あんなので勝って嬉しいのか」だの、「みっともねえ」だの、「ボクシングを辞めちまえ」だの。自宅や所属のジムに脅迫の電話や手紙がいくつも寄せられた。

 世の中の奴らは何もわかっちゃいない。

 親父だって、デビューの頃はハードパンチャーとして恐れられ、連戦連勝で、そのほとんどが早いラウンドでのKOによる勝ちだった。

 しかし、世界が相手になるとそう簡単にはいかない。それでいながら、ボクシングの人気は下がってきていて、家族を養うだけの満足な収入を得るには、世界チャンピオンになるしかない。しかも、すぐに陥落せず、できる限り長くその座に居続けるくらいでないと安心はできない。まして、俺という食べ盛りの男児を抱えていたのだ。独身だった柘植とは違う。

 本当は、あの試合で、漫画のような、生きるか死ぬかといった派手な打ち合いの戦いを親父もしたかったのだ。それでも一家のため、加えて、華やかさはなくとも勝利を手に入れることこそがプロであるという信念もあったのだろう。親父が最も尊敬するボクサーの人がそういう考え方だったのだ。だから、みっともないと蔑む奴がいるのはわかっていたけれど、安っぽい見栄やプライドはかなぐり捨てて、勝ちに徹したファイトスタイルを貫いた。

 そうした背景や立派な生き様を、外部の連中は誰一人理解しようとはしなかった。

 ギャーギャーピーピー騒ぐガキみたいなそんな輩とはまったく違う大人の親父は、事情や自身の思いを公に話すなど言い訳めいたことを一切やらなかった。さらに、罪人と変わらない立場の自分の身内であるために、母さんや俺も後ろ指をさされたり暴力を振るわれたりしないように、一度離婚し、世間に忘れられた頃に再婚しながら、なお危険な目に遭う確率を低くしようと、その二度目の婚姻届けを出す際に母さんのほうの姓になることまで行ったのである。

 俺も、親父の跡を継ぐみたいに、ボクサーの道を選択して、柘植をやっつけるのは対戦するのが現実的ではないから無理にしても、圧倒的に強いチャンピオンとなって、世間の奴らを見返してやりたい気持ちもあった。だが、野球のほうが向いていて、かつ、やりたいことであるのをわかってくれている親父は、俺の心中を察して、言ってくれたのだ。

「ボクシングをしようなんて思わなくていい。お前の人生なんだから、自分が得意なことを精一杯やりな」

 そうして思う存分野球に打ち込むと、疲れていたりだとかどんな日であろうと、率先して練習に付き合ってくれたし、俺たちが親子だと気づかれないように、こっそり試合を観にきてくれたり、俺の気持ちを優先しつつ、良い進路先を調べてアドバイスしてくれたりした。

 俺は親父を誇りに思うし、戦う舞台は違っても、親父を見習って目指すのは勝利のみという精神でここまでやってきた。甲子園で頂点に立ったけれども、俺は準決勝で相当の球数を放ったために、決勝のマウンドには上がらせてもらえなかった。それに、注目はされても高校野球は所詮アマチュア、プロが本番だと考えている。親父と俺が追求してきたことが正しかったと今年こそ証明するという意気込みで、順調にきていたなかで、あの杉森の野郎がインタビューで柘植の名を出し、「今の自分があるのは柘植選手のおかげと言っても言い過ぎではない。それくらい影響を受けた。感謝している」とまで言い放ちやがったのだ。

 だから、優勝はもちろんだが、特に北信越ロケッツ、そして杉森圭吾には絶対に負けない。

 誰かに語るのは今までも、そしてこれからもないに違いないけれども、俺が心に誓っていることなのである。

 確実という状態だったリーグ制覇の雲行きが怪しくなり、猛追してきたのがその杉森らロケッツというのは、神が俺に与えた試練なのか。人生、簡単にうまくはいかないという言葉を耳にすることもよくある。

 いいだろう。望むところだ。柘植が無理なぶん、あいつらを倒し、そして頂点に立ったとき、達成感は何倍にもなる。今までに味わったことのない歓喜を親父と分かち合うことができるはずだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ