プロ野球マニア(オタク)の話①
「すげー、よく知ってんな」
「もはや小原の場合、ファンというより、オタクだな」
教室で、プロ野球のことについて質問を受けて答えた僕に、クラスメイトの男子がそう口にした。
「それなら、マニアと言ってほしいな」
僕は、プロ野球に関して、ちょっと詳しいのだ。
運動は全般苦手で、だから野球も、チームにいたこともなければ、ろくにプレーしたことさえない。観るの専門ということになるが、別のスポーツは、関心がないことはないけれども、情報量は豊富なものでも、そこらへんを歩いている成人男性に毛が生えた程度である。
プロ野球が好きになったのは、小学生のとき、夏休みに訪れた伯父さんの家にあった、スポーツ新聞がきっかけだ。そこに、ピッチャーは防御率、バッターは打率の成績が良い順の、選手のデータ一覧が載っているのを目にして、興味を持ったのだ。野球というスポーツがとても人気がある理由の一つは、他の競技と比べて、いろいろな記録が圧倒的に多いところにあると思う。例えば投手なら、九イニングを投げたら平均で何点取られるかという指標の防御率に加えて、勝ち星、負け星、奪三振、与四死球、投球回など。打者なら、フォアボールやデッドボールといったものを除いて何回に一回ヒットを打ったかを表す打率以外に、本塁打、打点、盗塁、四球、死球、三振、二塁打、三塁打、出塁率、長打率など。それに、これらは個人の成績だが、チームに関するものもたくさんある。理系の僕は、こういった数字を飽きることなくずっと眺めていられる。世の中には、列車の時刻表を見るのが楽しくて、趣味にまでなっている人がいるらしいけれど、おそらくそれと同じ感覚だ。
一般的な、チームや選手個人のファンになってという入り方ではなかったわけで、昔も今も応援しているチームや選手はいない。ゆえに、自分が好きなチームに関してならば同じようにとても詳しい人は珍しくないが、僕は日本のプロ全十二球団まんべんなく知識があって、今しがたみたいに「よく知ってるな」「すごいね」という流れに至るケースが多いのである。
高校生の現在は、関心を抱いた最初の頃のように、データだけ見て、チームや選手の良し悪しを判断したりはしない。それは中学生で味わった苦い思い出も関係している。当時、学校じゅうや学年じゅうとまではいかないものの、プロ野球博士のような存在として周囲に知られていた僕が、誰かに何かを訊かれてコメントしたところ、野球部の奴にこう言われたのだ。
「お前、見方が浅いな。野球には、数字には表れないものもいっぱいあるんだぞ。やっぱり自分がやってねえから、わからねえんだろうな」
「……」
何も言い返せなかった。屈辱だった。
勉強の成績は、僕がレベル百なら、そいつはレベル一といった具合だし、別に僕はそのとき偉そうに語ったわけじゃない。相当野球について学んだ自負がありながらも、低姿勢と言えるくらいの、ちゃんとした態度での発言だったのだ。でも、自分にはまともなプレー経験がない、だから野球の本質的な部分はおそらくわかっていないというのを、意識はしていなかったが内心は気づいていて、なので痛いところをつかれた感に打ちのめされたのである。
それからというもの、野球の奥深いところまで知ることができそうな書籍、とりわけプロ野球選手だった人が、執筆したり、インタビューされて話している内容の本を読みまくって、同じようなことがあったときにデータに詳しいだけの人間と思われない回答もできるように努めた。
もう今は、プロ野球情報バカではなく、プロ野球通、ちょっとした専門家くらいのレベルに達している自信はある。




