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所属チームの最年長選手の話①

 大抵のベースボールプレイヤーがそうであるのと同じく、小学生のときに野球を始めた私は、中学、高校、大学と、部に所属して出場した主要な大会において、準優勝やベスト四など、いいところまではいくものの、優勝には手が届かなかった。とりわけ高校では、全国大会が行われる憧れの甲子園へ、あとアウト二つ取れば足を踏み入れられる状態から、まさかと言うくらいの大逆転劇を食らってその切符を逃すという、とても悔しい思いをした。

 だから、華やかさなどはなく、勝ち負けに対しても淡白で執着はなさそうに見られがちな人間でありながら、私は人一倍そこを求めるのだろう。

 プロ入りの際、ドラフト会議で指名が競合し、毎年上位の成績で、最も優勝できる可能性が高いと思われる球団にくじを引かれて交渉権を得られた。それはつまり良い選手が多いチームゆえに一軍やレギュラーの座を自分のものにする道が険しいということでもあるのだけれども、嬉しい感情しかなかった。

 なのにだ。懸命の努力の末に、一軍に定着し、スタメンに名を連ねるのも珍しくない、準レギュラーといった立場になりながら、一番の目標である優勝はやはり達成できない何年かを過ごしたオフに、フリーエージェントで移籍してきた人の代償として、やってきた人が元居たチームが欲しい選手を獲れる、人的補償という制度によって、その強い球団を去ることになってしまった。

 欲しい選手として選んでもらえたのだから光栄でもあるのだが、二十八名はプロテクトという仕組みで奪われないようにできるのに、前のチームからそのメンバーに入れてもらえなかったわけで、激しく落ち込みまではしないものの、二重にショックな出来事だったのである。

 そうして移ってきたロケッツでは、元の所属先を見返してやるとさらに頑張ったのもあって、全試合出場を果たすなど、完全なレギュラーになれた。一方で、チームは長らく下位に低迷。プレーオフに進める二位や三位になるであるとか、惜しいところにすらいけないという歯がゆい歳月を送り、優勝を一度も経験しないまま引退かと諦めの感情が芽生えつつあった。

 しかし、今年、久しぶりに希望を持てる状況が訪れた。

 まずは監督が、前回別のチームで務められたときに、二年連続でリーグ優勝、うち一回はシリーズでも勝って日本一を果たした、仁科さんになった。当時、外からだけれどもずっと目にしていた采配は素晴らしく、指導者歴のない私が偉そうに言うのもなんだが、その手腕は確かだ。うちのOBでもなければ、名監督としてすぐに名前が出てくる方でもない。よくぞ彼を抜擢してくれたと、親会社が変わって刷新されたフロントに、やるじゃないかと感心した。

 また、世間的な注目はされていないけれど、新人にとても有望なのがいると耳に挟んだのだ。それが杉森だった。


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