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所属チームの監督の話②

 何だと思って首を傾げた直後、彼女はこうつぶやいたのだ。

「怖い……」

 なんと、父親の私に、本気で怯えていたのである。

 どういうことだ? 

 混乱した私は固まった。

「あなた、自分の顔を鏡で見てごらんなさいよ」

 娘とのやりとりを目にしていた妻が言った。

「え?」

 私は洗面所に移動し、鏡に己の顔を映した。

 これは……本当に私か?

 そう思ってしまったほど、険しい、まるで鬼のような、子どもが怖がるのはもっともな顔つきをしていたのだった。

 その瞬間、何かが、いや、すべてが、間違っているという感覚になったのだ。なぜそこまで勝利にこだわるのか。勝たなければならないのだろうか。

 例えば、ドーピングは勝利至上主義がもたらす負の側面の最たるものだが、メジャーリーグでも選手による筋肉増強剤の使用が問題になった時期があった。この場合の目的は試合の勝利よりも個人の成績の向上だけれども、本質は一緒で、結果が良ければいいという、本来求められるべき中身の充実はそっちのけなわけだ。

 そうはいっても、日本の野球の最高峰であるプロ野球のような高いレベルのものには、表情を鬼のようにしてしまうくらいの厳しさはあって当然と言われるかもしれない。それでも、子どもに夢を与える場でもあるプロ野球はもっと楽しいものであるべきだし、少なくとも私が住む世界ではないのであろう、という思いが心を支配した。

 一気に脱力した私は、監督二年目だったこの年もそれまでの貯金のおかげでリーグ優勝は成し遂げたものの、絶対に勝つという執念を失っていてはシリーズをも連覇するのは不可能だった。そして仮に勝てていたとしても、もう指揮官を続ける意欲はありはしなかったのである。

 ゆえに、今回の監督の要請も受ける気は当初さらさらなかった。

 しかし、交渉役の遠島さんという女性は、断っても諦めずに何度も私のもとを訪れて頭を下げた。彼女の印象は仕事相手以前に人として非常に良かったので、無下にできず言葉に耳を傾けたのだけれども、このように私を口説いたのだ。

「高額なお金を支払えないわけではありませんが、それに見合う大物選手がいなくとも優勝することで、一般社会でもスポーツ界でも格差が広がり、少なくない人が経済的に苦しんでいる世の中にあって、野球に関心を持ってない方たちにさえも、夢を与えられるのではないかと藤野は考えております。監督も同様の立場の人材を望んでおりまして、失礼は承知で申しますと、仁科さまもプロ野球界においてエリートではございませんよね? このビジョンを実現できる可能性がある方は、現時点では、仁科さましかいないとの判断で、簡単に諦めることができないのです。金銭面以外では、仁科さまの理想とするチームを作れるよう最大限バックアップいたしますので、どうか受諾していただけませんでしょうか?」

 お金に関しては無制限とはいかないが、それを除けば、全権委任、すべてお望み通りにやっていいというわけだ。一流の監督でもそこまではなかなか託してもらえないに違いない、とんでもなくぜいたくな話であろう。それでも、言われた直後は気持ちに変化はなかった。

 しかし、そうか、前の監督時代の反省ではないけれど、子ども、また、野球に詳しくない大人にも、楽しんでもらえるような試合をすればよいのだ。知った間柄ではないがおそらく、あのオーナーの性格からして、彼女が口にしていたことは百パーセント正確ではないだろうけども、弱いチームが優勝することで庶民に夢を届けたいという考えは共感するし、勝ちさえすれば良いと思っていないのは相通ずるのだし、との思考がわき上がってきた。

 エンジョイベースボールを追い求めた結果、目を覆いたくなるくらいのひどい成績で終わったとしても、元々私は使い捨て感覚でしか任されないクラスの監督なのだから、今さら経歴に傷がつこうがどうということはない——。

 そうして要請を受けることにした私は、自由にできるチーム作りにおいて、コンセプトは子どもが観てワクワクするような楽しい野球を実践するというので決まっているので、その実現に大きく影響を及ぼすこともあり得る、新たな選手の獲得をどうするかに着手した。

 とりわけ、金銭面を考慮する必要がないのでほぼ思う通りにできる、ドラフトで指名するルーキーの候補たちを、綿密に調べたところ、実にホレボレする、まさに試合に勝利するためよりも、観ている人々を明るく楽しい気分にいざなえるプレイヤーである、杉森に目が留まった。


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