二軍でのチームメイトの話
「何なの? お前」
俺の言葉に、杉森は微笑んで返した。
「そうなりますよね。俺もわからないですよ」
「あの新しいオーナーの隠し子じゃなかって話を聞いたぞ」
「ハハハ。でも、俺も疑っちゃいます。両親とも健在なんですけど、何かあるのか、知ってないか、訊いてみようかな」
まったくの無名からのドラフト会議での指名、そこまでなら、過去にもいくつも同じようなことはあったに違いなく、わからなくもないが、この杉森は、試合で十分な成績を残していないのに、しかも即座に、育成から通常の一軍の公式戦にも出場できる支配下登録へときたのだから、そりゃ妙な噂や勘繰りも出てくるってもんだ。
だが、今のやりとりのように、自分も思いあたることが何もないらしいなかで、笑って受け流すなど、動揺は一切感じられなかった。不安の類の感情がわかなかったということはないだろう。まして、新人だから慣れていないのに加え、プロ野球という世間の注目が半端ではない環境なのだ。多分、元々トラブルに負けないタフな精神力があるのと、野球自体で結果を出すしかないと考えたに違いない。日々、やるべきことを淡々とこなしていた。
ところがまだ終わりではなく、シーズンが始まってまだ間もない五月半ばに、二軍の試合でホームランを含む四安打を放つと、一軍に呼ばれたのだ。今回は結果を残したとはいえ、その試合の前まではそこそこの成績で、やはり誰もが納得できる昇格ではなかったのである。
嬉しくないことはもちろんないに決まっているが、こんなえこひいきのような、そして本人も訳がわからない出世じゃ、素直に頑張ろうというふうに集中できないだろう。あいつ自身が悪いわけではないのに、ずっとファーム暮らしの奴も少なくない他の選手からの冷ややかな視線を感じなかったはずもない。
それでも、わずかながらも一緒に過ごした俺たち二軍のメンツの大半は、杉森に野球の高い能力が備わっているのを認めざるを得なかったことや、真面目に人一倍練習に励む姿を目の当たりにし、周囲にいるどんな立場の人間に対しても分け隔てなく気を配るといった素晴らしい人間性に触れていたから、温かく送りだしたのだった。うちの球団は、強いところにありそうな「チームメイトであろうとレギュラーを争うライバル」といった意識は希薄で、よく言えば仲が良く、悪く言えば馴れ合いの関係が強いのも影響したかもしれない。
「頑張ってこいよ」
俺はそう声をかけた。
「ありがとうございます」
浮かれる感じも、反対にナーバスになっている様子もない、相変わらずの落ち着いた礼儀正しい態度で、杉森は頭を下げた。人間性が素晴らしいと述べたけれども、ほんとに善い奴だ。厳しく、生活や人生が懸かっていて、頭を悩ませない日はないくらいのプロではなく、学生時代の後輩だったら、もっと可愛がって、おめでたいことにはもっと派手に祝福してやったのにと思う。
「一軍に場慣れさせる目的で、すぐ落とされて帰ってくる可能性もあるから、まあ、気楽にな」
「はい。でも、俺、上に定着するつもりで行きます。実際に場慣れさせるためであっても、いいところを見せられなかったら、『使えない奴』ってイメージがつくかもしれないですから」
「新人だから、いまいちでも大丈夫だろ」
「いやあ、一年目だしなんて安心してると、あっという間に五年くらい経っちゃうと思いますので」
「……そうだな」
己のことを言われているようで、言葉に詰まった。俺は新人のとき何もできずに終わったのだが、「まだ一年だから大丈夫」と余裕をこいて、オフに必死というほどは練習をしなかった。そのツケを払わされているように、二軍暮らしから抜けだせずに何年も経ってしまっている現状なのだ。
高卒からの新人で、十代だってのに、自分と全然違うな。
俺はすごく恥ずかしくなったのだった。
あのときの「俺もしっかりしなきゃな」と意識を変えるきっかけや、その後の杉森の奮闘に対して触発、そして、もう一度ともに、それも上の舞台で、プレーしたいという気持ちなどによって、二軍でくすぶって、プロの世界でやっていくのを諦めるという選択肢が頭にちらついていたのを振り払い、俺は懸命に努力を重ね、一軍に昇格して、ヒットを打てたりできたのだ。
そこまで深く関わりはしなかったけれど、お前と出会えて、タイミング的にも、本当によかったよ。
ありがとうな、杉森。




