父親の話
僕の息子、杉森圭吾は、ベースボールプレイヤーである。
しかし、圭吾の選手としての歴史は、自宅のテレビで観た、ボクシングの試合が始まりと言っていい。
それは日本人同士による世界タイトルマッチ。当時すでに、たとえ世界チャンピオンがかかった試合でも、地上波のテレビでやるのは皆無なほどボクシングの人気は昔と比べて落ちていたが、その戦いは注目度が高かったことからゴールデンタイムで放映されて、圭吾は目にするに至ったのだ。試合会場はもちろん満員で、画面を通してでも熱気が伝わってくるほどだった。
「ん~?」
選手二人ともに入場してリングに上がり、もうすぐゴングが鳴るというタイミングで、僕と一緒にリビングにいた、六歳の誕生日を迎えて間もなかった圭吾は、首をひねって疑問の声を漏らした。
というのも、チャンピオンの神崎は、女性にモテるに違いなく、男性から見たらうらやましくなるくらいの、若くてかっこいい容姿なのに対し、チャレンジャーの柘植は、おしゃれや洗練さなどは微塵もない、中年のいかにもおじさんといった印象の男で、見た目だけで憧れの対象にはまずならない。にもかかわらず、観客のほとんどが柘植のほうを応援していたからである。
「なんで?」
圭吾に訊かれた僕は、訳をきちんと教えようとしたけれども、考え直して、こう口にした。
「説明しても、お前にはまだわからないよ」
本当のところは、どうしてなのかはこれから始まる戦いが教えてくれるというのに、前もって言ってしまうのは野暮に感じたのだ。実際に、説明しても年齢的にちゃんとはわからないんじゃないかというのもあったが。
しかし、開始した試合を目にして、圭吾は理解したのだと思う。神崎はしっかりとガードを固めて、細かいパンチで的確にポイントを稼ぐという、競技としてのボクシングで勝つためにやるべきことをよく心得た戦い方である一方、柘植はずっとKO狙いの闘争心あふれるプレースタイル。それは、柘植自身が相手をダウンさせたい気持ちなのももちろんあろうが、観客がノックアウトによる決着を望んでいるからであるのが最大の理由で間違いない。なぜそう言えるかというと、時折行う観客を乗せるジェスチャーや、盛り上がった場面での攻めっぷりなど、彼の動作に観ている人間の期待を裏切るようなときがただの一度もというくらいになかったのだ。ボクシングは最悪死亡することがあるくらい危険なスポーツ、つまり命懸けでそこまで自分たちを楽しまそうとしてくれているのだから、みんなホレてしまうわけだ。
よってこの試合は、「勝利こそすべて」と「お金を払って観てくれている観客を満足させる」というのに徹した、目指すものは違えど、まさにプロ対プロのハイレベルな戦いだったのである。
結果は判定によって神崎が勝ったものの、いつも通りの終始KOを求める攻撃的なファイトだった柘植への声援が、敗れてもなお圧倒的だった。
「ハー」
試合に集中して、テレビ画面に釘付け状態だった圭吾は、リラックスするための深呼吸をした。
僕や興奮がすさまじかった会場の観客たち同様に、息子も柘植の戦いぶりに熱くなったし、同時に学んだのだろう。
スター、いや、それを上回る、スーパースターのなり方を。